第15話 世界は魔法で満ちている


 川の水は知らぬ間に体温を奪っていく。

 

 気がつくとレイの唇が紫に染まっていて、それを笑ったら自分もそうだと笑われた。いざ水から上がってみると、寒さのあまり歯の根が合わないほど震えるのだった。だがそれすらも楽しくて、二人でわいわいと騒ぎながらサリナと琥珀の下へと戻った。


 いつのまにか日が高く昇り、お腹も減ってきたので3人で昼食のための魚を獲ろうという話になった。

 

「だけど釣り竿なんてどこに」


 アユムが二人の持ち物を見ても、それらしきものはどこにもない。二人はそんなアユムの様子を見てニヤニヤとしていたかと思うと言った。


「そこは腕の見せ所ってやつさ」




 一体どうやるのだろうとワクワクしながら二人の様子を見ていると、最初に手本を見せてくれたのはレイだった。


『島ひき太郎の剛力は、大岩さえも軽々と持ち上げるのだった』


 するとレイはその場にあった大きな大きな岩を軽々と持ち上げて、それを川に放り投げた。あ、これ知ってる。ガチンコ漁だ。岩のぶつかる衝撃波で、魚が何匹かぷかぷかと浮かんでおり、レイは慣れた手つきでそれを拾い上げていた。


「な、簡単だろ?」


 そのあどけない笑顔は、先程の大岩を持ち上げた者と同一人物とはとても思えない。あんなの、なん十キロもあるだろう。アユムは試しに同じ呪文を唱え、近くにあった同じくらいの岩を持ち上げようとしたがびくともしなかった。


「島ひき太郎って何?」


 顔を真っ赤にして頑張っても持ち上がらず、しゃがみこみ荒い息をつきながらアユムは訊ねた。するとレイがポンと手を叩いて言った。


「あぁそっか知らないのか。島ひき太郎ってのは昔からよく聞く昔話でな。島を手で引っ張る大きな鬼の話。この辺のガキは皆聞いて育つんだ。

 さすがに島を引っ張るなんてことできないけど、これよりももっともっと大きなものを持ち上げながら話すんだ。初めはびっくりするよな」


「うちの母ちゃんはもっとすごいぜ」そう言ってレイはからからと笑っていた。


 レイの次はサリナが腕を見せる番だ。「私、水の扱いは得意なの」というサリナのやり方は本当にすごいものだった。


 目を細め水面を見ていたかと思うと、静かに唄いだす。


『空に上がったシャボン玉。光を浴びて七色に輝く。ふわりふわりと高く飛べ。遠く彼方まで飛んでいけ』


 すると水面からは水球がいくつも生まれ、ふわふわと空に上がっていくのだった。中には魚の入った水球もあり、戸惑う魚をそのまま川辺へと運んでいくのだった。


「サリナの家は日照りのとき田んぼに水を届けるお役目もあるからな。だから水の魔法は得意なんだ」


 その様子を見て目を白黒させてはしゃぐアユム。その後ろでレイがそう言っているのが聞こえた。


 興奮冷めやらぬアユムは、早速それを真似してみることにした。しゃぼん玉なら、自分もやったことがある。


 水面を見ながら精神を落ち着ける。


 だがどれほど集中して唄おうと、水は重みに負けるようにして浮かび上がってくれなかった。魚を包み込もうとするとその反応はより顕著ですぐに弾けてしまう。上手くいかないことにアユムはいらだっていた。


 そのときサリナが何気なく言った言葉は衝撃的なものだった。


「もっと集中しなきゃダメよ。魚だって逃げようと魔法を使ってくるんだから。それを打ち消すくらい力をこめるの」


「……え、いま、なんて?」


 サリナの言うことが信じられなかったアユムは口をぱくぱくさせながら、思わず聞き返した。


「お前、魚みたいだな」なんて笑うレイを差しおいて、サリナが優しく諭すように説明してくれた。


「魔法は人だけじゃなく、生き物だったら誰でも使えるものなのよ。

 魚は泳ぐとき、ヒレを使うのと同じように魔法を使って水の抵抗を減らして早く泳ぐの。

 鳥だって風を操ってより高く、速く飛んでいるんだから。

 中には火を吐く鳥だっているのよ」


 そう言って笑うサリナはどこまで本気なのかさえわからない。さぞ当たり前のことのようにサリナの言葉は続いた。


 雨を降らす蛇。

 火を纏うネズミ。

 風で切り裂くカワウソなど。


 それこそかつて聞いた夢物語のようだった。


「だから、魚を捕まえるときは、魚と綱引きするように力をめいいっぱいこめなきゃダメなの」


「それにね」サリナはここで少し躊躇ってから言った。


「人によってはそんな馬鹿なって馬鹿にされるけど。私は自然だって魔法を使っているのだと思うの。

 魔法は想いを実現する力。意志ある生き物以外に魔法が使えるはずがないって人は言うわ。

 でもね、私は伝わってこないだけで、この水の流れや風の向き、炎のゆらぎにだって意志はあると思うの。

 だから私は自然に魔法を使うとき、お願いをするように呪文を唱える。そうした方がうまくいく気がするから」

 

「こんな考え方、子どもっぽいわよね」サリナはそう言って恥ずかしそうに笑った。


 自然に意志があるなんて、そんなこと、思いもしなかった。


 思わず言葉を失ってしまったアユムが何かを言いかけたときだ。


「そんなことねえよ」


 レイがつっけんどんに言った。


「俺は難しいことなんてわかんねぇけどさ。サリナがそう思ってるなら、間違ってないんじゃねぇの?」


 レイはそう言ってから恥ずかしそうに顔を背ける。サリナはそれをじっと見ていたかと思うと、普段の張りつめた表情が嘘みたく花ほころぶように笑うのだった。アユムはそこに口を挟むこともできなかった。




 その後2人に教えてもらいながら練習を重ね、レイが腹減ったと騒ぎ出す頃、ようやくアユムは魔法で魚を獲ることに成功したのだった。


 集めた枯れ木でおこしたたき火の横で、枝に差した魚がじりじりと焼かれていく。じっと見ているとパチリという音ともに皮が弾けて脂が跳ねた。

 琥珀が催促するように鳴いている。その横でレイも、我慢できず何度ももう食べられるか聞いてはサリナに笑われた。

 アユムが何とか獲った魚は2人と比べるとやや小ぶりだった。だが、かぶりついた瞬間に広がる、豊かな香りと脂の甘みはそんなことどうでもいい気分にさせてくれるものだった。

 釣った魚は両手で数えきれないほどあったのだが、焼けたものを競い合うように食べていくためにみるみる無くなっていった。とくに琥珀の食いつきはすごく、与えては「またちょうだい」とせがんでくるため、すべての魚がなくなってしまうまでさほど時間はかからなかった。




 腹も膨れ、心地よい満腹感に満たされながら木陰で寝そべりながら、琥珀が駆けまわる姿を見ていた。琥珀を見ていると思い出すあの姿。


『熊五郎、出ておいで』


 久しぶりに唱えた気がする。アユムはいまでは声だけでなく、熊五郎の姿まで魔法で再現することができるようになっていた。

 いつものようにアユムに擦り寄り、顔を舐めようとしてくる。「ほら行ってこい」とアユムが琥珀を指差しても、その場から離れようとしなかった。


「こいつ、昔から臆病なんだよ」


 ビデオテープを眺めて懐かしがるように、熊五郎を見つめるアユム。熊五郎はそのうち魔力が尽きて立ち消えてしまった。その様子を見て、サリナは何かを言いかけたが躊躇い、口を閉じて下を向いてしまった。


 そのとき、レイが突然起き上がり言った。


「サリナ、あれ見せてくれよ」


 それを聞いたサリナは一瞬間を開けたかと思うと次の瞬間には勝気な笑みを浮かべ「よーしそれなら張り切っちゃうから」と腕を回しながら言った。

 一体何が起こるんだろうと疑問に思ったアユムはレイに尋ねるのだが、レイは「すぐにわかるから」と何も教えてくれなかった。


 サリナはしばらく目を瞑り集中していたかと思うと、ゆっくり手を振り上げた。


『水よ水。空に上がりて雨となる水。戯れ舞て、我らを覆う水の泡となれ』


 するとゆっくりと舞い上がった川の水が渦巻き、三人を包んだ。水の中には滝登りをするように、魚が泳いでいる。

 きらきらと乱反射する太陽光が、皆の顔を明るく照らしていた。


「すごい、まるで水族館みたいだ」


 その光景にアユムは目を奪われ立ち尽くした。


 そのときアユムの脳裏には、以前に家族で行った水族館のことが思い出されていた。


 水族館には数多くの魚やペンギン、クラゲなどがいて、海にはこんなにもたくさんの生き物がいるんだと驚かされた。アユムが父親に「あれは何?」と訊ねると、その都度答えてくれる父親の静かな声が嬉しくて、何度も何度も訊ねたものだ。


 いまは懐かしい思い出に思わず涙が出そうになったが、アユムはそれを必死に堪えた。

 隣を見れば楽しそうに笑う2人がいる。アユムは笑う。もう僕は大丈夫だよ。そう誰かに伝えるように。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る