第14話 覚悟を決めろ男だろ
季節は過ぎ行き、うだるような暑さが続いていた。
カズイシ村には当然のように冷房器具などない。アユムは障子を全開にして寝そべり、魔法でそよ風を起こしながらごろごろと少しでも涼しいところを探していた。
あ、ひんやりしている。
畳みのある部屋を飛び出し縁側の床板に頬を当てれば、そこから熱が逃げていくようだった。
「何やってんだよ」
とそこに、呆れたような声がした。天地が逆さになったレイだ。いや逆さまなのは僕の方か。アユムはゆったりとした動作で居直りレイと向き合った。
「さ、今日もさっさと行くぞ」
レイとアユムはここのところ、毎日のように一緒にでかけていた。
「ねぇ遅いわ、早くしなさいよ」
だが今日はアユムの前にはレイと、加えて麦わら帽子を被ったサリナが歩いている。くるりとこちらを振り向いて、発破をかけるその顔はどこか嬉しそうだ。
これから行くのは僕ら三人だけの秘密の場所。秘密基地だ。サリナはお勤めで毎回行けるわけではないけれど、空いたときを見つけてはこっそりでかけるのが、僕らの暗黙の了解になっていた。
普段切羽詰まったように張りつめたサリナの表情も、この時ばかりは柔らかなものになる。その顔を見てアユムとレイもまた嬉しくなるのだった。
と、そこで何かを思いついたアユム。
『突風よ、飛ばせ』
思い浮かべたのは映画のワンシーン。そう唱えた手を振ると、突風が起こりサリナの麦わら帽子を飛ばした。
悪戯が成功したことに満足げに笑みを浮かべるアルム。しかし突風に驚き、飛ばされていった麦わら帽子を目で追っていたサリナがにやりと笑った。かと思えば柔らかな風が吹き、麦わら帽子はサリナの手の元に戻るのだった。
「呪文もなしなんてアリかよ」
敗北感に打ちひしがれるアユムだった。
―――水しぶきが上がる。
襲い来るのはいままでに体験したことないような大きな衝撃と、キーンと耳をつんざくような音。
ぼんやりと目を開ければそこは見たこともないような世界。上も下もなく浮遊する中光射す方を見れば、そこにはキラキラと輝くヴェールが弛んでいた。
僕はここで一度死んだんだ。
それまで聞こえていた虫や鳥の声、川のせせらぎ、うだるような夏の暑さ。
それら一切が水面を境に置き去られたように、過ぎ去った先には静寂な水の世界がそこにはあった。
だがそれも体が自然と浮かび上がるとすぐに終わった。水面から顔を出すとそれまで忘れていたじんじんとする体の痛みと共に、わっと、嘘のように盛大な音がよみがえった。
こちらを心配する琥珀の鳴き声が聞こえる。恐る恐る目を開ければそこには、満面の笑みを浮かべたレイがいた。
「やったなアユム。だけどお前、いますごい顔してんぜ」
鼻水と一緒に慌てて顔を拭うと、恥ずかしさを誤魔化すように水を浴びせた。じわじわと笑いがこみあげてくる。川の水は冷たくて、最高な気分だった。
アユムたちは秘密基地から少し離れた滝つぼへと来ていた。
もちろん琥珀も一緒だ。久々に会えて嬉しいのか、琥珀は三人の足元を縫うように歩いては叱られていた。アユムは何食わぬ顔をしていながら、琥珀が自分のところに来るのをいまかいまかと待っていた。誰もが笑顔だった。
5mほどの高さの小さな滝からは終始水が落ちて、辺りに水しぶきを飛ばしている。それだけで暑さが和らぐようで深呼吸をすれば清々しい気持ちになれた。
「よし、泳ごうぜアユム!」
滝つぼに着くなり、なんとレイは当然のように腕や足を伸ばしながら言った。
「え、でも水着なんて持ってないよ」
まさかこんなことになるとは思わなっ田アユムは、冗談だろうと疑っていた。しかしレイはそれを聞いてきょとんとした顔をして言った。
「水着? そんなもの必要なのか? 下着で泳げばいいじゃねえか。
そんなこといいからさ。さ、早くしろって」
言うや否やポンポンと着ているものを脱ぎだすレイ。それを見てサリナとレイを交互に見ながらしどろもどろになるアユム。
こちらの世界では下着は麻のようなガサガサとした繊維でできていて、外観はステテコパンツのようだ。ヒモで腰にくくり付ける簡素なものだから、脱げやしないかと心配になる。
さすがにサリナの見ている前では、と戸惑うアユムだったが、当のサリナは気にすることもなく、いち早く滝つぼに飛び込むレイを見てむしろ羨ましそうな目で見ていた。
「サリナは川に入らないの?」
何気ない気持ちで言った数瞬後、アユムの顔からはさっと血が引いて急に挙動不審になった。これじゃ早く脱げと言っているようなものじゃないか。アユムを猛烈な後悔が襲っていた。
だが当のサリナはどこ吹く風。気にもしない様子でレイを見ながら「体に障るから泳げないの」と言っていた。
あ、そうなんだと思う間もなくぱちっとサリナと目が合うと、何をしてるのとばかりに首を傾げられる。そこでついに観念したアユムはもじもじと服を脱ぎ始めるのだった。
川の水は驚くほど冷たかった。
アユムはプール以外の場所で泳いだことがない。
川の水が足を避けるように流れていく。撫でるような感触がくすぐったい。
だからアユムは最初、足をつけるだけで奇妙な感動に包まれていた。
だがいざ足を踏み出すとなると、苔むし、ごつこつとした石は滑りやすいし、足に刺さるようで歩きにくかった。
「うわっ」
何歩目か足を進めていたあるとき、突然天地がひっくり返り、気づけばアユムは水の中にいた。全身びしょびしょだ。踏んだ石がごろりと転がり、支えを失ったアユムは転ぶしかなかったのだ。
転んですぐは最悪な気分だったアユムだったが、楽しそうに泳ぐレイを見ていると、自然と足が前へ進み、気づいたら水に浸かっていた。
一度慣れてしまえば楽しいもので、アユムたちは夏の暑さも忘れ、川遊びに興じた。
しばらくするとレイが「もっと楽しいことしようぜ」という。のこのことアユムがついていくと、いつの間にか二人は、3mはあるんじゃないかと思われる大きな岩の上にいた。
それからはあっという間の出来事だった。レイが川へと飛び込む姿がスローモーションのように見えた。
水しぶきが上がる。
川辺で興奮した琥珀がキャンキャンと走り回るのが見える中、いつまでも上がってこないことにアユムはドン引きしていた。
ところがしばらくして浮かび上がってきたレイは、顔を振って水飛沫を飛ばすと、最高の笑みを浮かべながら言ってきた。「アユムも早く来いよ」と。さらにまるで悪びれる様子もなくはやし立ててくる。
……冗談だろ。絶対イヤだ。
繰り返しになるが、アユムは飛び込んだことはおろか、今日この日まではプール以外の場所で水遊びをしたことすらなかったのだ。
レイが飛び込んだ場所を背伸びして覗き見れば底すら見えず、水が不気味に渦巻いている。
無理無理無理無理無理。
ここは底が平らなプールと違う。アユムは飛び込んだすぐ下に、尖った岩が待ち受けているのを想像した。
一度妄想してしまえばもう止まらない。
暗い水底には大きな生き物がいて、僕らを食べようと狙っているんじゃないか。
そういえば川にはカッパがいて、子どもを水中に引っ張り込むんだってお祖母ちゃんが言っていた。
ごくりと喉を鳴らし、後ずさるアユム。呑気に笑って手を振っていられるレイが信じがたかった。
どうせ水に入るのは同じなんだから、わざわざ飛び込む必要ある?
そんな考えが頭をよぎるのは必定だった。だが向こう側からは「早くしろ」と笑い声をあげるレイ。
そのとき背中を風が、ふわりと押した。
振り返り眼下を見れば手を振るサリナと琥珀がいる。気のせいか、その口が「頑張って」と言っているように見えた。
ここは行くしかない!
「ふんっ」と息を吐き、覚悟を決めたアユムは、目を瞑ったまま川に飛び込んだのだった。
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