第8話 遠吠えが聞こえる

 カズイシ村では夜中になると時折、何かの遠吠えが聞こえた。

 その声は犬の遠吠えに似たものだったが、それよりも細く、高く、いくつもの音が寄り集まって、一つの大きな声になっている。そんな声だった。


 アユムはその音を聞くたび、恐ろしいナニカが既に屋敷の中へ忍び込んでいて、襖のすぐ向こう側では、飛び込む機会を今か今かとうかがっているような気がして、怖くてたまらなかった。


「ユウ、ユウ。外に何かいるよ」


 屋敷に来た当初、恐怖に耐えきれなかったアユムはユウの部屋に飛び込んだことがある。

 遠吠えがすぐ後ろから追いかけてくる。アユムは泣きそうになりながら、ユウの部屋の襖を叩いた。そして厭な顔一つせず出てきたユウの顔を見たとき、どれほど安心したことか。


 ユウはアユムを隣に寝かせて、優しく頭を撫でながら寝物語のように語ってくれた。


「怖いものではありません。あれは、オオカミ様の呼び声です。

 食べ物や暖かな家、そして人。この村には獣が喜ぶものがたくさんあります。オオカミ様はそれらを獣から守ってくれているんですよ」


「でもね」とユウは続けて言った。


「いま感じている恐怖を忘れてはいけませんよ。それは大事なものだから。

 オオカミ様は命を奪う、恐ろしい神様なのですから」


 そのときユウはどんな顔をしていたか、アユムは恐ろしさのあまり覚えていない。隣のユウの温かい体温が、突如別の生き物のもののように感じた。

 アユムが声をかけるタイミングを逃している内に、ユウはいつの間にか眠ってしまったようだった。

 その夜アユムは何度も、自分のすぐ傍で、耳まで裂けた大きな口のオオカミが、涎を垂らしながらこちらを見つめている夢を見て飛び起きるのだった。



 次の日、前日の恐怖が未だ拭えなかったアユムはレイにオオカミ様のことを聞いてみた。きっとレイも同意してくれるだろう。アユムは半ば確信していたのに、その想いはあっさり裏切られた。


「馬鹿だなお前、まだオオカミ様なんて怖がってんのか?」


 開口一番、呆れたようにレイは言うのだった。「え」と驚き、振り返るアユムの顔を見て、何かを言いかけて辞めるレイ。と思ったら、口元に指を当て何かを考えたかと思うと、にやりと笑って言うのだった。


「なぁアユム、こんな話を知ってるか?

 ……ある日一人の子どもが村の外に遊びに出たらしい。日も沈みだし、もう帰ろうと思ったんだが、ここがどこだかわからない。

 道に迷っちまったんだろうな。

 泣きそうになったがそうこうしている間も周りはどんどん暗くなる。必死に涙を堪えながら、とにかく少しでも見覚えのある道を探して歩き出した。

 ふと後ろから何かがついてくる気配がしたそうだ。


 何かいる。


 そいつはどんなに速く走ってもついてくる。懸命に足を動かし続けた。

 ……するとようやっと見慣れた村への道が見つかったんだ。


 これでやっと帰れる。


 そう思った子どもは、最後の力を振り絞って駆けだした。だけど疲れていたんだろうな。木の根に足を引っかけて転んじまったんだ。


 その途端、後ろからついてきたオオカミ様がやってきて、耳元まで裂けた真っ赤な大きな口で喉元をガブリ。子どもは二度と家に帰ることはできませんでしたとさ」


 嘘に決まってる。嘘だよね? 頭の中でいろんな気持ちがぐるぐると回る。アユムは息を飲み、泣きそうな顔になっていた。そこへ


「何を罰当たりなことを言ってんだい」


 マリが現れレイに拳骨を入れた。


「死んじまった子どもがどうやって死んだときのことを話すんだよ」


 そうだ、そうだよね。思わず胸を撫でおろしたアユムを見て、悔しそうにするレイ。騙された。アユムは真っ赤になった目でぎろりとレイを睨みつけた。


「まったく、あんたらがいま食べている野菜やお米だって、オオカミ様が見守ってくださるから食べられるんだからね。ほかの村だったら大変な思いをして獣から守らなきゃいけないんだから。

 オオカミ様に感謝こそすれ、人殺し扱いするなんてもってのほかさ。私にゃオオカミ様の遠吠えは、子守唄に聞こえるよ」


 そう言って豪快に笑うマリだった。

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