第5話 達人の魔法
それからアユムは屋敷の手伝いの合間を見つけては、魔法の練習をするようになった。
しかしこれがどうもうまくいかない。何度犬の熊五郎を呼ぼうと呪文を唱えても、調子よくて声が聞こえるくらいなものなのだ。
『ファイ〇! 〇ラ‼』
気分を変えようと、箒片手に記憶にあるゲームの呪文を手当たり次第唱えてみても、何も起こらなかった。
「なにやってるのよ」
と、そこへ呆れた顔をしたサリナが現れた。箒片手にポーズを決めていた自分を顧みて、「わっ」と慌てて『気を付け』をして何事もなかったように装うアユム。
「な、なんでもないよ。魔法の練習をしていただけ!」
それを聞いて、サリナはまじまじとアユムのことを見てきた。
「ふーん、いまのが魔法の練習?」
なんだか恥ずかしくなってアユムは顔を明後日の方向に背けた。恥ずかしいからもうどっかへ行ってくれないかな。そうアユムが思っているとサリナは言った。
「ねぇ、私が魔法を教えてあげようか」
その顔は不敵にほほ笑んでいる。イヤな予感がしたアユムは「えー、いいよ」と渋ったのだが、結局サリナの勢いに負け押し切られてしまうのだった。
「ついてきて」
何か考えがあるのか、サリナはそう言って先をずんずんと歩いていく。置いてかれまいとアユムは慌てて後を追いかけた。
でもその前にと、手伝いの途中で出かけることをユウに伝えると、ユウは満面の笑みで送り出してくれた。そのことになんだかもやっとした思いをするアユムだった。
道中、アユムが「飼っていた犬の熊五郎を魔法で出したいけれど、中々うまくいかないんだ」とぼやくと、「当たり前じゃない」とサリナに叱られてしまった。
「そんな簡単にできるものじゃないのよ」
てっきり怒っているのかと思ってアユムが恐る恐る見ると、その表情は怒っているというよりも、悲しそうな顔をしていた。だがその表情はすぐにいつもと同じものに変わる。
「魔法は想いを実現する力なの。だから大事なのは想像力よ。よりリアルに想像することが大事なの」
サリナは得意げにそう語るとくるりとこちらを向いていった。
「村には魔法の達人がたくさんいるわ。今日は私がそのうちの一人を紹介してあげるから、ちゃんと勉強なさいね」
しばらく歩くと、ほかよりも大きな建物が見えてきた。何人か人が集まっており、賑わいを見せている。とそこへ同い年くらいだろうか? 一人の少年が声をかけてきた。
「お、サリナじゃないか。今日は出歩いて大丈夫なのか?」
金髪で、はきはきと話す快活そうな少年だ。明るい笑顔が焼けた肌によく似合っていた。後ろにいるアユムに気付いたのか、ちらりと視線を向けると驚いたように目を見開いた。
「なんだ、噂の稀人か。俺初めて見たぜ」
じろじろとアユムを見るのを遮るように、サリナがさっと間に立った。
「レイ、初対面で失礼じゃない。それに稀人じゃなくてアユムよ」
アユムは誰が言うかと思わず目を見張るも、サリナは知らんぷり。レイは叱られて気まずそうに頬をかくと、アユムにちらりと目を遣ったきりすぐにそっぽを向いてしまった。
「悪いな、いままでこの村に稀人なんて来たことなかったから。……レイだ。見た通り、うちは飯屋をやってるんだ。よろしくな」
「アユムです。……よろしくお願いします」
何か悪いことをしてしまっただろうか。心配になるアユム。何を話すこともできないまま、気まずい空気が流れていた。
「挨拶はそこまで。今日は私たち、マリさんに魔法を教わりに来たのよ」
そんな流れを断ち切るように、わざと明るい声でサリナが割り込んで言う。空気が変わったことにアユムが内心ほっと胸を撫でおろしていると、レイが呆れたように言った。
「えー、うちの母ちゃんにか? あんなの誰にでもできんじゃねぇか。それよりもお前が教えが教えてやればいいのに」
「馬鹿ね、マリさんの魔法はうちのお婆様だって真似できないわ。それに、私だって教えるけど、マリさんの魔法がわかりやすいと思って」
それでも「そうかなぁ」とぼやくレイを押しのけるようにして店に入っていくサリナを、アユムは慌てて追いかけていった。
店内に入ると賑やかな声と一緒に、なんともいい香りが漂ってくる。ここにいるだけでお腹が空いてしまいそうだ。それでもピークタイムは過ぎたのか、落ち着いた雰囲気が漂っている。
「あれ、サリナ様じゃないかぃ」
サリナが辺りを見渡していると、茶色い髪をした恰幅のいいおばさんが声をかけてきた。
「マリおばさんこんにちは。もう! 『様』なんて呼ばなくていいっていつも言ってるじゃないですか」
サリナが困ったように笑うも、マリは聞いてないように笑い飛ばしていた。
「レイ、サリナ様が来たならさっさと言ったどうだい。
まぁまぁわざわざこんなところまでどうも。今日は一体どうしたんだい?」
そこでやっとアユムの存在に気づいたようだった。
「あら坊やが例の……」
「アユムは魔法をあまり知らないんです。だから今日はマリさんの魔法を見せてあげたくて」
するとマリは驚いた顔をして「あらま~、噂は本当だったんだね」と呟くと、すぐに笑顔を取り戻していった。
「まぁまぁそんなお見せできるもんじゃないけどね。サリナ様の頼みとあっちゃ見せないわけにはいかないね」
そう言ってマリは力こぶをつくって見せると、奥の厨房へと案内してくれた。
「とは言うものの、何をお見せしようかねぇ」
マリが困ったように笑う。
「マリさんはいつものように料理してくれればいいですよ。今日はそれを見に来たんですから」
するとマリは「あら、そんなんでいいの?」と困ったように笑うと手際よく材料を切り始めた。何が普通と違うんだろうとアユムが首を傾げていると、マリが、静かに口ずさみだした。
『じっくりとろとろ煮詰めるとろ火。消えないように優しい風を』
『鍋底なめる陽気な炎。お調子者にはご用心』
『仕上げは強火、風を一気に吹きかけて。焦げないように焦げないように』
マリが歌うように呪文を唱えると、複数の竈で大小さまざまな火が踊る。アユムは最初何が起こっているのかわからなかった。
「マリさんは魔法で、薪がどんな風に燃えるかをコントロールしているのよ」
するとサリナがマリの邪魔をしないようにこっそりと教えてくれた。
火は歌の調子に合わせるようにしてその大きさを変えていく。アユムが驚きながら見ている間にも、瞬く間に料理が出来上がった。
「さ、できたよ。よかったら召し上がれ」
そう言って出された煮物や肉炒めはどれもとてもおいしかった。
「複数の魔法を同時に扱うのって難しいんだから。マリさんの料理がおいしい秘訣は、火加減にあるんだと思うわ」
サリナはそう言って、自慢げに笑っていた。だがレイは「こんなの、毎日やってれば誰でもできるさ」なんてぶつくさ言って、マリに拳骨を入れられていた。
「魔法はね、より身近なことのほうがうまくいくのさ。
火だってどれくらいの薪があって、どれくらいの風が吹けばいいのかはやってみなけりゃわからない。でも毎日やっていればそのうちそれが体に染みついてくる。そうなりゃあとは魔法がそれを手伝ってくれるってわけさ。
この魔法はうちの婆ちゃんから教えてもらったもので、代々うちに伝わっているものなんだよ」
マリはそう言っていた。その顔はどこか誇らしそうだった。
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