その美味を嘘にするな(後)


 ニマーハーガンの生け贄を募る時、貴族でも皇帝でも手順はさほど変わらない。平民であれば、親族などのつてを使ったり、市場で買い入れて来る。

 どちらの場合も、〝市場売り〟の贄は基本的に価値が低いものだ。贄とは神聖な務めであるゆえに、当人がその自覚を持って死を受け容れることが重要視される。


 赤ん坊であれば、その務めを志すことは親が代行するが――それなら、市場売りの贄も、売る側が志願を代理したようなものだ。貴族や皇帝が臣民から子供を買い取ることと、市場で買ってくることと、どれほどの違いがあるものか。


……理屈に合わない。

 それが僕の意見だが、それを口にするほど愚かでもないつもりだ。

 何より、この二つを分けるその境界線を思う時、どうしてもタミーラクのことを思い出さずにはいられなかった。彼のような贄に出す用の子スタンザは、角を赤く塗るまでは〝候補〟であって正式な贄ではない。


 成長の過程で、彼らスタンザは自ら贄となることを受け容れるとされる。事実上、贄そのものであると扱われていても、当人に拒絶の余地はなくともだ。

 この納得し難い差異は、下手をすれば彼の命と思いを侮辱してしまうようで。だから、僕は誰にも言えないままここに書き綴っている。


角の生え変わりニマーハーガンおめでとうタリフキリ!」


 いつもの食堂は、夏至祭礼の飾りつけをそのまま部屋に合わせたように華やかに彩られていた。祭礼と違うのは、タシティカルの聖体料理テムトーブルはなく、小さな頭蓋骨だけ中央に飾られている点だ。その前にはパン、果物、飲み物が供えられていた。

 夏至祭礼の供物なら飲み物は血割りの蜂蜜酒だったが、子供に酒は出さない。代わりに、リンゴとハーブを煮詰めた甘いジュースに血が加えられていた。


 食堂に呼ばれたゾーネムユリは、使用人から握らされた赤い片角を不思議そうに握る。飾られた頭蓋骨のことを、彼はあまりに気にした様子はなかった。ザデュイラル建築の内装では、髑髏模様や装飾は珍しくもない。

 手を引かれたゾーネムユリが着席すると、僕らみんなで拍手し、食讃歌イニクヴサを歌った。カズスムクとソムスキッラを残して、それぞれ自分の席につく。


「大人の角が生えて、少しお兄ちゃんになったわね、ゾーン」


 ゾーネムユリはやや緊張した面持ちで、落ち着かなさげに周囲を見渡していた。けれど母親に微笑みかけられると、安心したように口元を緩める。

 その前に、コックコート姿のカズスムクが初めての一皿を運んできた。


さあ、召し上がれカムシーイ・デニアマザン、ゾーネムユリ。これはきみのための【肉】だ」


 それは心臓のプルーン煮こみだった。炒めたパールオニオンと、食べやすく切った心臓をじっくりワインで煮て、赤スグリのジャムと干しプルーンを加えたあの料理。

 ジャムもプルーンも、昨年からカズスムクが仕込んでいた自家製だ。皮をすりおろして混ぜたレモンも、この数日入念に選んだ最高の一品。

 付け合せのマッシュポテトは、ふわふわと雪のように白く、柔らかく、ゾーネムユリはかぐわしい湯気をゆっくりと吸い込んだ。


いただきますアグイエ・ユワ


 銀の匙ですくった黒い料理に、ゾーネムユリは期待に満ちた眼差しをそそぐ。ぱくりと口に入れると、彼は大きく両目を見開いた。

 匙を口から出して、もぐもぐと噛んで、飲みこんで、そのまま数秒固まっている。その様を僕たち全員が固唾を呑んで見守っていることに、当人は気づいた風もない。

 再び手を動かしたゾーネムユリは、二口目、三口目を夢中でかきこんだ。やや無作法に入るかという勢いで、たちまち半分ほどを平らげると、ぴたりと匙を置く。


すごくおいしいユワ・カムシーイ!』


 やや形の崩れた典礼語手話で、ゾーネムユリはそう叫んだ。手は、しばらく感想を訴えることと食事を続行することと、どちらを選ぶか迷ってわたわたと宙をさまよう。結果、彼は匙を再び握って、皿が空っぽになるまで放さなかった。



 ニマーハーガンのお祝いを終えたゾーネムユリは、とても幸せそうに見えた。新しい角はまだ小さいが、次からは祭宴パクサにだって参加できる。

 薔薇のように色めく頬と、星のようにきらめく瞳。少し大人になったのだという誇らしさと未来への希望で、小さな体ははち切れそうな力に満ちていた。


 それは、祭礼の時の彼ら魔族の姿によく似ている。

 普段の彼らが取り立てて不幸に見えるというわけではないのだが、思う存分【肉】を食べた後は、カズスムクも、ソムスキッラも、かつてのタミーラクも、内側から生命力の光が滲んでいるように、艶々とまばゆく見えるのだ。

 毎年の祭礼で彼らのそんな様子を見ていると、やはり【肉】がどうしても必要なのだと思い知らされる。ゾーネムユリも、その仲間入りを果たしたのだ。


「ねえ、とうさま。タシィは?」


 玄関ホールのソファで父親にじゃれつきながら、ゾーネムユリはついにそう訊ねた。ハーシュサクらも、僕も、同じくホールに残って親子三人を見守っている。

 祝い事は一段落したが、まだ大事な〝学び〟の段が残っているのだ。カズスムクはあらかじめ、「食後にタシティカルのことを教えます」と宣言していた。


「まだ病気なの? 早くぼくの角見せたい!」

「タシィはもういないよ、ゾーン」


 カズスムクは手短に言い放つ。


「きみや、とうさんや皆が、さっきあの子を食べたのだから」

「どうして?」


 ゾーネムユリはまだ、父の言うことを理解していない。きょとんと、難しい話を聞いた子供特有の、ふわっと気が浮わついた表情だった。


「今朝、ヨーおじさんに頼んでタシィを連れてきてもらったんだ。ヴェットおじさんにお薬をもらって、とうさんが作ったお菓子に入れて食べさせた。みんなであの子を運んで、殺して、今日の料理を作ったんだよ。とても美味しかっただろう?」


 一語一語を淡々と踏みしめてカズスムクは語る。吹雪の雪原に投げ出されたような、目の前と足元の区別がつかなくなりそうな、一面の冷たい白一色を思わせる声音。前もって用意された言葉は、空疎に響いて聞こえた。


「ころした、の?」


 この歳の子供が、死というものをどれだけ理解しているものか。僕は、自分が六歳の時にそれを理解できたか今ひとつ自信がない。だが、子供は存外、賢いものだ。


「タシィには、もう会えないの?」

「そうだよ。食堂に飾ってあったのは、タシィだった頭蓋骨だ。けれど、きみが食べた今日のごちそうはタシィの命、あの子そのものなんだ」


 カズスムクはこつん、とゾーネムユリの小さな胸をつついた。


「そこに生きている。話もできない、一緒に遊ぶこともできない。けれどきみの心臓を動かして、体を温かくして、明日も生きていられるようにする。神さまみたいに」

「そんなのイヤだ!!」


 槍のような金切り声。空気をつんざくその声に、僕は思わず許しを乞いたい気持ちで自分自身を抑えつけた。謝ってはいけないのだ。そんなことをするぐらいなら、タシティカルを逃がすため、カズスムクを裏切ったほうがまだ誠実だっただろう。

 無論、それは下から数えたほうが早い最低な行いの中では、だが。


「タシィをかえして、とうさま! どうしてころしたの!」

「きみを生かすためだよ、ゾーネムユリ。明日も、明後日も、眼を覚まして歩いたり、しゃべったり、ものを食べたりするために。それをずっと続けていくためには、タシィの命をもらうしかないんだ。それが生きるということだよ」

「生きてないとなにもできないの?」


 そうだよ、とうなずいたカズスムクの頬を、ゾーネムユリは力なく触れた。


「じゃあ、とうさまは、タシィにそんなひどいことしたの? タシィがもうなにもできないようにしちゃったの? どうして、ぼくからタシィをとりあげるの?」


 ぼろぼろと、ゾーネムユリは大粒の涙をこぼす。僕はなにか言おうと言葉を思い浮かべては、周囲を威圧するソムスキッラに従って、それを呑み続けた。

 タシティカルを殺したのは、僕だって同罪だ。あの子を今日殺して食べさせると知っていて、ずっと接してきた。おためごかしを言うぐらいなら、堂々としていなければならない。これがこの社会でのルールなのだ、と。


 ゾーネムユリは燃えるような瞳で、カズスムクを睨みつけた。


「タシィをころしたとうさまなんか、死んじゃえ!」


 涙に濡れた真っ赤な頬が、ぱしん、と乾いた音を立てる。ソムスキッラは息子を平手打ちして、今までにない剣幕で叱りつけた。


「お父様に謝りなさい!!」


 美しい面は憤然ふんぜんと青ざめ、しかめた眉間には雷が閃く。その奥には彼女自身も、タシティカルという養子を喪った悲しみが秘められているはずなのに。

 ゾーネムユリはわっと大声を上げて泣き出した。自分の内臓ごと吐き出そうとするような、激しい嘆き。カズスムクはその背中を優しくなでた。


「泣きすぎないようにしなさい、ゾーン。吐いてしまったら、きみが食べたタシィが無駄になってしまう。そうなったら、今度こそ本当にあの子はいなくなるんだ」


 その言葉が聞こえたのかどうか、ゾーネムユリの嗚咽はしばらく止まらなかった。



 泣き疲れたゾーネムユリはそのまま眠りに落ちて、僕らは一旦解散した。翌日、朝食のため食堂に集まると、食卓の上には何もない。

 朝の食事を始める前に、カズスムクは息子と話すことがあった。


「いいかいゾーン、これからとうさんが訊くことは、決して嘘をついてはいけないことだ。必ず、本当のことを言いなさい。なぜならきみの返事が、タシティカルとの最期の思い出になるのだから。分かったね?」

「はい、とうさま」


 しおれた花のように生気のないゾーネムユリは、それでもしっかりとした口調で答える。隣にはソムスキッラが立って、小さな手を温かく握っていた。

 家長の席に座るカズスムクは微塵も崩れた所がなく、完璧な氷の彫像のように凛としてる。朝の光に透けるようで、きらめいて、なめらかだが固い。

 これに問われたら、必ず答えねばならないと思わせる重圧が発せられていた。


「ではゾーネムユリ、角の生え変わりニマーハーガンおめでとう。きみがお祝いに食べたごちそうの、タシティカルは美味しかったか?」

「……はい」

「どれほど?」


 一言目は落ち着いて返事したゾーネムユリは、一拍の間を置く。


「とても。とても、おいしかった」


 意を決して口を開くと、ゾーネムユリの顔に赤みが差し、表情が明るくなった。とろけるようなため息をついて、昨日のごちそうを思い出すように。


「いままで食べたことないくらい、本当に、おいしくて……おいしくて」


 泣き笑いになりながら、小さな涙がひとすじ、彼の片目から流れ落ちた。カズスムクは席を立ち、息子の元へ歩いてそれて手でぬぐう。


「そう、それで良いんだゾーン。友達を美味しいと思うのは、決して悪いことじゃない。その味に嘘をついたら、ユワを殺してしまうんだ。それを忘れず生きなさい」

「でも、とうさま。こんなに美味しいのに、タシィはもう食べられないの?」


 ゾーネムユリの発言は端的だったが、それは『仲良しの相手がこんなにも美味しいのなら、自分も同じぐらい美味しくなるはずだから、自分もまた、自分自身をタシティカルに食べさせてあげたかった』の激しい省略だった。

 アンデルバリ伯爵夫妻は一発で理解していたので、さすがである。


「タシィはもう、何も食べられないよ。あの子はきみや、とうさんや、かあさん、おじさんやおばさん、私たちみんなが食べた。だから、いつかまた私たちの家族に生まれてくるだろう。それが十年後か、百年後かは分からない」

「その時は、ぼくが食べられたい」

「では、そうしなさい。だが今は、きみの番じゃない」


 息子の肩を叩いて、カズスムクは席に戻った。ソムスキッラもそれにならい、朝食が始まる。ザデュイラルの子供は、こうして大人への道を歩き出すのだ。



「カズスムクは優しすぎる。オレたちの時はもっとひどかったのに、兄さんシェニフユイはずいぶん甘やかしたんだな!」


 ハーシュサクはそんなことを言っていたが、僕はこれより酷いニマーハーガンのお祝いなんて、とてもじゃないが想像したくもなかった。



 その年の末、ソムスキッラは四番目の男の子を出産した。

 カズスムクがその子に名付けたのはドラバル――赤い名前だ。

 ようやく、マルソイン家の贄候補スタンザが決まった。


【その美味を嘘にするな 終】

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