終 冬まで、当たり前のように

 僕はカズスムクとソムスキッラ、マルソイン家の面々と共に、再び夏の碧血城での聖婚式とパレードに参加させてもらった。

 パレードが始まる前の挨拶回りハルシニの場。久しぶりに再会したタミーラクは、深紅のフードつきクロークを纏い、小さな男の子の手を引いていた。

 彼はもう贄候補スタンザではなく正式なザカーなので、衣装は去年までの地味なものから様変わりしている。ふちには金糸の縫い取りがあった。


 男の子は金に近い明るい茶色の髪で、子供用の詰襟礼服フエミャ姿がなんだか微笑ましい。彼はしっかりとタミーラクの手を握りしめていた。年の頃は七つか八つだろう。


「お初にお目にかかります、アンデルバリ子爵、イェキオリシ伯爵令嬢。それにガラテヤのシグ・カンニバラ。タミラおじさまから、お話はかねがね聞いております」


 タミーラクの手を握ったまま、その子はぴんと背筋を伸ばした。


「ぼくはユコンリウシ〔Veqonlius多芸多才〕、次期トルバシド侯爵ザミアラガンの長男です。どうぞおきを」

「えらいぞユコ坊ユコフ〔Veqoch〕。でもな、そこは〝おみしりおきを〟だ」


 笑いながらタミーラクに指摘されると、可哀想に、ユコンリウシはたちまち耳まで真っ赤になる。


「しっってます! 子爵をちょっと試しただけです!!」

「声が大きいって。それはさすがに苦しいぞ。あ、痛い痛い」


 ユコンリウシはタミーラクの手に爪を立てたが、叔父は堪えた様子もなく苦笑いするばかり。カズスムクの隣で、ソムスキッラが耐えられなくなって吹き出した。


「なつかれているわね」

「はじめまして、ユコンリウシどの。二人とも兄弟みたいだよ、ミル」


 カズスムクが同意すると、タミーラクは照れくさそうにした


「家にいたら、ずっと俺にくっついてくるんだよ」

「だって、タミラおじさまは再来年には召し上げられるんでしょう?」


 場に暗雲が立ちこめ、それまで輝いてた太陽が隠されたような気がした。


「おじいさまはずっとずっと、タミラおじさまが美味しくなるよう大切に育てあげられたそうです。だからぼくも、こうしてお側にいて、お守りするのです」

「えらいなー」


 タミーラクは軽く甥の背をさすって、ただ笑っていた。ユコンリウシは指が白くなるほど、叔父の手をしっかりと握りしめている。


 そこで僕は思い至った。この子は昨年、夏の碧血城にはいなかった。角が生え変わる前のザドゥヤ人は【肉】を口にできないので、祭礼や祭宴パクサに参加できない。

 ユコンリウシの年格好は、ちょうど子供の角が抜けて、大人の角が生え変わるころだ。つまり、つい先日ニマーハーガンの祝いを経験しただろう、ということである。


 ある日お祝いに出されたごちそうの正体が、兄弟のように育った友達だと知る儀式。それは人を食らうザドゥヤ人が、必ず通る道である。

 そして同じ家で暮らす叔父が、数年後には同じく贄になって死ぬ。そのことを理解した時、ユコンリウシの内面にどんな思いをもたらしたのか。

 いくら僕でも、子供にそれを問いただすような真似はできない。ただ、傍から推し量ることしかできなかった。


 ユコンリウシは従者から手提げの籠を受け取って、それを掲げる。


「それでは、これをどうぞ子爵! タミラおじさまが作った、りんごとケトヤのテニエカ〔Tengeqa揚げた生地〕です」


 テニエカとは、果物を詰めたペイストリー生地を揚げたお菓子である。どうやら生地にケトヤ(大豆の絞り汁を固めた食品)をすりつぶして混ぜたらしい。

……豆乳入りの生地とどう違うのかよく分からないが、後でカズスムクに訊いたら別物と断言された。汁を固める凝固剤で、何か違ってくるのだろうか。


 もらったテニエカは綺麗なドーナツ型で、大変美味しかった。ペイストリーではない気がするが、生地はふわふわと柔らかく、蜂蜜が甘さとしっとり感を加える。

 中のりんごは芯をくり抜いて大きな輪切りにしており、元々の形を見た目に活かしつつ、豪快さもあって食べごたえがある。かなり小ぶりの品種らしく、挨拶回りの品にもちょうど良いだろう。りんごの香りとジューシーさが生地に絡んで最高だ。


 カズスムクは返礼にアプリコットのゼリーを渡した。ぷるぷると柔らかいものではなく、飴のように固めた乾燥タイプのゼリーで、上質な砂糖をまぶしてある。

 刻んだ干しアンズをアンズのジュースとリキュールに浸し、海藻から取った凝固剤と砂糖を混ぜて煮て冷やして、と工程はシンプルだがひとつひとつ丁寧に手をかけたものだった。生の果物より、味が濃縮されて美味しいのだとか。


 酒を使っているが、アルコール分は飛んでいるので子供でも食べられる。

 このゼリーを口に放りこんだ瞬間、ぱっとユコンリウシの顔が華やいだ。それから飴玉でも舐めるように、長い時間をかけてそれを味わうと、恐る恐る口を開く。


「……もう一ついただいてよろしいですか、子爵」

「どうぞ」


 カズスムクは十数個入りの袋をユコンリウシの手に乗せた。眉も目も上唇も一斉に上へと伸び上がって、それから平静を装うが、むにゃむにゃと口がにやけている。


「良かったなユコ坊、カズーの菓子はうまいだろ」

「でも、おじいさまの敵じゃありません」

宮廷料理長ユアレントゥルどのと比べられては、かないませんよ」

「そうでしょう! おじいさまは、とてもすごいのです」


 どうやらこの孫は、祖父に可愛がられているらしい。


「イオ。あなたも今年は菓子を作ってきたでしょう? そろそろお渡ししてはいかがです。恥ずかしがらないで」


 とうとうカズスムクに、僕の番を振られてしまった。

女性であるソムスキッラは菓子を受け取る役だが、外国人とはいえ男である僕は何か作ってくるのが礼儀である(※子供の場合、何か作ってくるのは十五歳からだ)。


「ええ……なにぶん初心者なもので、」

「しょしんしゃ? ぼくよりずっと年上なのに、ですか?」


 ユコンリウシから無邪気に問われ、心苦しさで胸がつまる。


「イオはガラテヤ人だっつったろ。あっちじゃあまり料理しねえんだから」


 タミーラクが甥をたしなめたが、相手は十歳にも満たない子供である。うわあ、と露骨な声音がこぼれた。今のでかなり格下に見られた気がする。


「簡単なものですが」


 僕が差し出したのは、りんごの蜜煮レモン入りだ。タミーラクと材料が被ってしまったが、そこは諦めるしかない。

 八等分のくし形切りにしたりんごと、太めの輪切りにしたレモンをじっくりコトコト煮つめて冷やすだけ――という簡単なものだ。

 フィカがまともに作れれば良かったのだろうが、あれはまだアク抜きを習っている最中である。かといって、焼き菓子を作るのは時期尚早、とカズスムクは判断した。

 一口もらったユコンリウシは、やや微妙そうな顔になる。


「わるくないとおもいます」

「お気遣いどうも……」


 カズスムクの時と反応の落差が凄い。決してまずい物ではないが、相手は宮廷料理長の孫である。舌が肥えた子は正直だ。


「ちょっと煮すぎでジャムになる一歩手前って感じだな。でも、焦げたところもこれはこれで香ばしくて美味いよ」


 とはタミーラク談。「彼もがんばりましたから」と、カズスムクは頬の筋肉をやや緩めた。ユコンリウシの反応が悪くて僕は冷や汗を流したが、この分なら及第点はもらえる、かもしれない。でないと困る。

 そう思っていたら、タミーラクが意外なことを言い出した。


「なんか安心したよ、イオ」

「安心、ですか?」

「お前はまあ、面白いやつだし、悪いやつでもないけど、この先料理を覚えねえままだったらさすがにちょっとな、と思っていたからさ」


 何とも言い難い、ぬるま湯のような微笑みでそんなことを言われてしまった。

 この国ではつくづく、料理をしない成人男性への評価は地の底らしい。タミーラクも態度に出さないままそう思っていたというのは、ちょっと堪える。

 けれど、今となっては別の考えが僕の中に浮かんだ。料理をしないことは、彼のような贄となる人間にとっては、不誠実な態度ではないか、ということだ。


 かつてタミーラクは、この世には〝まずいと言われる食べ物〟ほど悲しい物はない、と言った。自分はそうなるのは、「俺は絶対にゴメン」だとも。


 まずいと思うなら食べるな。

 食べないなら殺すな。

 何のために殺されると思っているのか――そういうことだ。ザデュイラルでは、捧げられた命を無駄にしない姿勢は調理技術で量られる。


 僕はタミーラク自身を調理することはないが、他の誰かを手にかけるなら、技術も知識もあった方が良い。僕は今年の夏至祭礼では奉納ガグリフの後、解体や調理を少しずつ手伝うことになっていた。去年のように見学に徹することは許されない。


「次にトルバシド伯とお会いできるのは、冬至祭礼ユルサヴォール〔Yrzawơr〕ですね」

「ああ。夏至祭礼と違って、贄は解体した端から調理して食うから、刺激が強いぞ」


 正直怖いが、それはそれでぜひ見たい祭礼である。


「その時には、もっと上手くなっていることをお約束しますよ」

「でなきゃ、あなたカズスムクに殺されるわよ」


 ぽそっとソムスキッラに言われ、僕はむせそうになった。そうか、彼の忍耐の限界は冬までか。もはや大学受験より、そっちの方が僕の進退に関わる気がしてきた。


「今度わたくしも見てあげるから、がんばりなさいな」

「鋭意努力いたします」


 そして僕らは別れ、またマルソイン家の挨拶回りに戻った。そのことが、何か奇妙な感じがする。またいつでも会える人にするように、ごく普通に別れてしまった。

 こうした場でタミーラクと顔を合わせるのは、来年の冬至祭礼で最後だ。その次、1270年の夏至祭礼では、彼自身が主役の贄となるのだから。

 一歩一歩、着実に死へと向かっていく友人に何ができるかと考えていた。だが結局、自分の研究だとか受験だとか、そんなことしか頭になかったのだ。


「……ひとつ分かりましたよ、アンデルバリ子爵。料理は食材に敬意を払うためのもの。けれど同時に、食べて欲しい誰かのことを思って作ることも大事なのですね」


 次は、タミーラクがびっくりするぐらい、美味しいものをプレゼントしたい。カズスムクは控えめにだが、今日一番の微笑みを浮かべた。


【アンデルバリ伯爵のお料理教室 終】

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