第18話 隠密のメディ
「ごちそうさま」
「シンさん。残ってるぜ?」
「あ、ああ…。ちょっとあれから体調がな…」
ダイニングルームでの夕食の時間だった。半分ほど残った料理を片付ける彼をキールが指摘した。
「大丈夫ですか?」
ローザが心配そうに声をかける。実は今日、シンは魔物エリアで久しぶりにミスをした。上空から来る魔物の存在に気づかず、危うくメンバーが怪我をするところだった。機転を利かせて対処してくれたのはオルトやロックだった。
「ありがとう。大丈夫だ」
「…」
オルトはその様子を静かに見守りつつ、飯を口に入れていく。シンは早々に自分の部屋に戻っていった。
「やっぱ、おかしいって」
「私もそう思うわ。ここのところ、ずっとあんな調子じゃない」
「オルさん。あのこと聞くべきじゃないか?」
キールが言ったのはアークとのつながりについてだ。ロックをはめるためにアークが動いたというのならば、突然体調不良になったシンに疑いの目が向くのは時間の問題だった。アークや上層部とのつながりをキールや他のメンバーも疑っている。
オルトはコップのお茶を喉に流し込み、ふうっと息をはいた。副リーダーというよりも、最近はリーダーっぽい行動をしている彼が口を開く。
「話したいことがあれば、彼から言ってくるはずだ。俺たちは信じてそれを待とう」
「でもよ…。このままだと手遅れになるかもしれないぜ」
「そうよね。もし上からの命令で手伝ってるのだとしたら…」
「そのことについては、まだ憶測の域を出ない」
「だから話をして、聞き出しましょうよ」
「…」
この空気の重さの中、パクパクと一人口を動かすのはロックだった。
「ちょっとロックさん」
「ん? なに?」
クリームから注意を受けても、なお箸を止めない。それを見ていたローズが呆れた様子で口を開いた。
「あんた、真剣な話し合いの中でよく食べ続けることができるわね」
「だって僕、シンさんじゃないし」
「あんたってやつは…」
「ロック。お前はどう思う? シンさんに聞くべきか?」
お茶を飲み、喉を潤す。
「なんで僕に聞くんですか? 副リーダーはオルトさんですよね? 新参者は黙って指示に従いますよ」
「お前は俺たちとは違う」
「違う?」
「そうだよな〜」
「うん。そうね。絶対変なやつ」
クリームは何も言わない。つまりそれは肯定ということだ。
「そういうことだ。それに、お前だけ意見を言ってないだろ」
「クリームさんも言ってないですよ」
「クリームは、キール、ローズと同じ意見だろう?」
「え? あ…はい。そうですね…」
「ふぅん」
ロックは横にいる彼女をまじまじと眺める。自信なさげで声が小さい。
「最後はお前の意見だ。聞かせてくれるか?」
「強制しないんですね」
「そんなことするわけないだろ。仲間は宝だ」
「…なるほど。正直、どうするか、なんて僕にはわかりません」
この答えが気に入らないのかローズは目を細めた。
なんかいちいち査定されてるみたいで嫌だな。この男、使えないわねえ、みたいな。
「わからない、か。じゃあ、言いたいことはあるか?」
「う~ん。一つ僕が思ったのは、シンさんってすごいなあってことぐらいですか」
「すごいっていうのはどういう意味だ?」
「そのままの意味ですよ。だって、四人ともシンさんのことをなんだかんだいって信じようとしてる。僕にはない信用が、彼にはある。それを築いてきたシンさんはすごいなあって。そう思っただけです」
「そうか…。ありがとう」
「感謝されることはなにも言ってませんけど」
「いや、参考になった」
このあと、オルトは信じて待つことを仲間たちに提案した。キール、ローズ、クリームもこの意見に従うことになった。騒がしい二人組が今度は素直に従ったのは、ロックの素直な意見を聞いた効果があったのは確かだった。
コンコン。
部屋にいるとき、入ってきたのはクリームだった。ロックの部屋に来るのに、あまり違和感を感じなくなってきている。
「どうしたの?」
「ちょっと話をしたくって」
「じゃあダイニングルームに」
彼女は首を左右に振って否定を示した。しかたなく若い男女が密室空間に留まることになる。ジャージの彼女は絨毯の上に体操座りした。ロックは窓際の勉強机のイスに座る。
「クリームさん。今更だけど、そんな簡単に男の部屋に入ってくるの、やめたほうがいいよ?」
男は狼だ。そして僕は童貞だ。女に飢えるのを趣味で一時的に忘却させている獣。…なんか全然かっこよくないな。
「べ、別にいいじゃないですか。それに、ロックさんの部屋にしか入りませんから」
それを聞くと、自分が特別扱いを受けているみたいで嬉しくなる。が、違うんだろうな。たぶん。
「勘違いしないでください。私、ロックさんの指導係ですから」
「さっき、話をしたいとか言ってたような…」
「もうっ。いいでしょ別に。物事には建前っていうのがあるんです」
「わかりましたよ。じゃあ続きをどうぞ」
「はい。シンさんのことですけど…」
「ん? クリームさん、実は聞くべきだったと思ってるとか?」
「そうじゃないんです。あのとき、私、意見がなかったっていうのが正直なところで…」
「あ、そうなの。どっちでもいい、みたいな?」
「そうです。私、昔っからそうで…」
「ふうん。そうなんだ」
「そうなんです…」
「「…」」
え? 終わり?
「え、えっと。つまり、その…」
どう言葉にしていいかわからないでいるクリームがそこにいた。
「いいんじゃない? 別に」
「え?」
「僕だって、なかったし」
「でも、こういうのって持つべきじゃないんですか?」
「ん〜。そうかなあ」
「そうですよ。絶対。じゃなかったら…」
その先、クリームはなにも言わなかったが、言いたいことはわかった。
なにも意見がない、同調しているだけだと自分がない。イエスマンにはなりたくない。つまりはそういうことだ。
「ロックさんは私にないものを持ってるじゃないですか」
「クリームさんも僕にないもの持ってるよ」
「え? なんですか?」
「胸とか」
「…マジメに話してるんですけど?」
「…続きをどうぞ」
そういう顔されると、おちょくるのが癖になってくるな。
「だから、胸…じゃなくって。もうっ。ロックさんが変なこと言うから」
「しっ。あまり大きい声出さないほうがいいよ。隣、うるさい人いるでしょ? また、不機嫌にさせちゃうし」
「う…。確かにそうだね。じゃあ、ちょっと近くに寄ってもいい?」
「え? あ、ああ…。どうぞ」
クリームは勉強机の近くにあるベッドに腰を下ろした。
えっと。なんだこれ? おい。変なこと考えるな、僕。声量下げなきゃいけないから近くに来ただけだろ? 落ちつけ。沈まれ。
「ふふっ」
「な、なに?」
「ロックさん。今、絶対、変なこと想像してますよね?」
「な、なななにを言っているのか僕にはさっぱり」
「なんか、可愛い」
さっきの仕返しとばかり、クリームは微笑んだ。バカにしたわけでもなく自然な笑顔にロックは顔をそむける。
「ぐっ…」
ぬああああああっ! やめろおおおおおおっ! 可愛いってなんだ? 可愛いって! うれしくねええええっ。
無菌室にずっといたけど、外に出て菌にされされて、免疫がなくて過剰反応してるっていう感じか。
って、例えがいまいちすぎだろ。僕。
「ひょっとして、僕をからかいに来たのか?」
「あ〜。今後は、その理由でここに来るのもいいかも」
「やめてくれよ」
からかうのは僕の役割であって、クリームさんではないのだ。そのことを間違ってもらっては困る。からかわれるのはあまり好きではない。
「というか、可愛いのはクリームさんでしょ?」
「え?」
「ジャージでベッドに腰かけてきて。もしかして、誘ってるんですか?」
「ば、バカなこと言わないでっ」
動揺からか、彼女は少し大きな声を出した。
返し技が決まったのは嬉しいが、隣にはローズがいるはずだ。うるさくすれば、いつぞやのように不機嫌オーラをまとわせることになる、かもしれない。
「しっ」
「あ…」
部屋はシーンとなる。ローズからのお叱りの声は聞こえないので二人はホッとする。代わりに聞こえてきたのは隣からの声だった。囁き声が耳に届く。それはローズと彼女以外の誰かが会話している声だった。ロックは立ち上がり、壁に耳をつけてなにを言っているのか探る。
「ちょ、ちょっと。ロックさん」
「ローズ以外に誰がいるな。これは…キールか?」
なにを話しているのか、その詳細まではわからない。ただ、男の方はキールっぽかった。二人とも声が大きい方なのでわかる。
「やめなってば。ロックさん」
ローズとキールが一つ屋根の下の同室にいるという事実。そこから導き出される一つの答え。
「もしかして、二人。恋人同士、とか?」
「知らないですよ。もう」
魔法使いは共同生活である。若い男女が身近な場所にいるという環境は、恋人が作られやすい。気が合えばあとは時間の問題だった。
「もうちょっとだけ…」
クリームはベッドから立ち、ロックの耳を引っ張った。彼を壁から引き離す。
「いたたたたたたっ」
「ロックさん。怒りますよ?」
「うるさいなあ」
「なにか言いました? 説教モードに移行してもいいんですよ?」
「なにそれ?」
モード? 逆に今、なんのモードなの?
「とにかく、私がいる前で これ以上変な真似はさせませんから」
ロックは隣の壁をチラッと見る。静かになっているところから、どうやらキールは退出したようだ。
「あらら…。せっかくのチャンスが」
「まったくもうっ」
彼は勉強机のイスに座った。そして、作業に取りかかる。クリームはその後ろ姿を見て、クスッと笑う。
「決めました」
「え?」
「私、ロックさんの指導係として、これからしばらく指導していきます」
「はあ…。いったい、なんの表明?」
「横柄な態度、人を実験したり、こそこそ聞き耳を立てたりといったことを正していきます。いいですね?」
「え…。やめてよ。そんなの」
「嫌そうな顔してもダメです。これが私の目的です。今の、私が決めた目的なんですっ」
「そ、そう…」
「なんですかその目は?」
「いや、基本的にはクリームさんがしたいようにやったらいいと思うけど、もっと別なことやったほうがいいかなと…」
「別なことなんてないです。しいていうなら…」
「ん? なに?」
「な、なんでもないです」
彼女の決意は硬かった。
意見がないという話からどうしてこうなった? これが彼女の出した結論だとでもいうのか?
「じゃあ、私、明日もここに来ますので」
「それは…」
追い返す方法は多種多様だ。人に好かれるのは難しいにしても、嫌われることは簡単だった。とてつもなく簡単だ。なぜならば人間は感情で動く生き物で、まったく合理的ではない。
自分のことを頭がいいと思っているが思い込みの激しい、視野の狭い滑稽な生き物。それが人間だ。この場合、消えろとか、迷惑だとか、邪魔するなとか言ってやればいい。さも嫌そうな表情で追い返せば、嫌ってくれる。環境が人を作る。その環境に女がいれば気が散るのは当然のこと。
でも…。クリームさんには言えないなあ。そんなこと。たぶん、僕は好きなんだろう。彼女のことを。
「わかったよ。でも、ほどほどにしてくれ」
「もしかして、迷惑だった?」
ああぁ。不安そうな顔でそんなこと言われると、そうじゃないと答えてしまうじゃないかよ。狙ってるのかな? って、そんなわけないか。
「いやそんなことはないよ」
「よかった」
クリームはさよならを言って去っていく。そして、ロックはイスに座ってこうつぶやくのだった。
「まったく。もう」
***
シンの部屋に女子が立っていた。窓の外は薄暗い朝だ。窓をトントンとして開けてみると彼女が入ってきた。顔は送られてきた資料で確認済み。
黒のショートカットの髪型で、前髪は切り揃えられている。ぴっちりめの黒の長袖に、下は黒のショートパンツ。黒のニーソックスに黒の靴。黒一色で統一しているようだった。年齢不詳だが、明らかに十代中盤ぐらいの幼い顔をしている。
彼女がなんの仕事に就いているのかは不明。だが、窓から入ってくるのをなんとも思ってないところを見ると、普通の職業ではない。太ももに付けられた皮のケースに収められているのはナイフのようだった。背中に背負う、小さめのリュックの中にはなにが入っているのか、気になるところだ。
「君がメディか?」
彼女は無言でうなづいた。
「やることは、聞いているのか?」
うなづく。どうやら、言葉を言わないようにしているのか、それとも喋らない性格なのかわからないが、コミュニケーションが難しい子のようだ。
「俺はなにをすればいい?」
「上に上がる方法を教えて」
可愛らしい声が小さな口から出た。
なんだ。言えるじゃないか。
「上? 屋根の上か?」
「屋根裏部屋」
「そんなところに入って、どうするつもりだ?」
「それには答えられない」
そうか。俺には求められていない、そういうことか。
「…わかった。他には?」
「特にない」
「今すぐに、か?」
彼女はうなづく。そして、屋根裏部屋へ行く道を彼女に教えてあげた。
屋根裏部屋からやることといえば、盗撮か。…そういうことか。
メディは身の軽さをアピールするように、ひょいっと上に上がり姿が消えた。
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