第16話 ロック解雇作戦の決着
応接室。
ガラステーブルの上にはお茶が入ったガラスのカップが置いてある。それには手をつけず、ドレスを着た姫がソファーに座っていた。
真向かいに座るクリームは落ち着きを取り戻しつつある。初めより少しホッとした表情になっているのは終わりが見えてきたからだ。この質問を最後に、今日の予定は終わる。
「あの。今日はお越しいただきまして、ありがとうございました。それで、姫様から二、三の質問があればお願いします」
「と、特には…」
聞き取れないほどの小声で姫は言った。そのあと、長身の男魔法使いレイが口を開く。
「じゃあ私から質問、というか雑談してもいいですか?」
「あ、はい。どうぞ」
「クリームさんはウィッチーズに入社して長いんですか?」
「いえ。五年目、ですね」
「きっかけは? 女性で危険な魔物退治の仕事を選択するのはなかなか珍しいですからね」
「母の影響ですかね」
「お母さんも魔法使いですか?」
「いえ。私の母が病気になって…」
「あ、すみません。つらいことを聞いてしまって」
「いえ。構いません。母が病気になって、どうにか薬の代金を払おうと決心した途端、求人が目に入ったんです。そしてすぐに行動してました。あ、父とは離婚しているので、いません。姉はいますが、結婚してるから大変だろうという状況で、動けるのは私だけでした。人間不思議なものですね。それまで私、パン屋でバイトしてたどこにでもいる普通の女子でした。それが、こんなことしてるなんて…」
パン屋でバイト。クリームパンとか売ってたのかな。
「よくわかりました。私も似たようなもので…」
そのときだった。ヒュン! という音ともになにかが部屋に飛び込んできた。
あっと思ったのもつかの間、パリンという音が大きく響いた。ガラスカップが割れ、破片が散らばった。
「姫様!」
な、なんだ? なにが起こった? 攻撃魔法のようだったが…。誰が?
ロックは部屋の入り口に目を向けた。その方向からやや慌てた様子で走って入ってきたのはアークだった。
***
「はあ、はあ。大丈夫ですか? 今、変な男が逃げていきましたが…」
姫は手に怪我をしていた。ガラス片で手や腕の一部から出血している。そして、クリームも近くにいたことで腕に怪我をしていた。
「あ、あ…姫様が」
クリームはとっさの出来事に頭が真っ白になっているようだった。
「大丈夫です。ヒール」
レイは落ち着いた様子で治癒魔法をかける。淡い光が姫の腕を包み込み、傷はスッと回復していった。傷痕一つ残さない。次にクリームもヒールをかけてもらう。
「あ、ありがとうございます」
「申し訳ない。私が少しここを離れた隙に」
「いえ。アークさんが見たという男は、どんな格好の男でしたか?」
「フードをかぶっていて、顔は見えませんでした。背は平均的で、特徴のない男のようでした。黒髪で…」
「そうですか。わかりました。帰り道は警戒しなくては…」
「姫様に怪我をさせたとあっては、申し訳がない。このことの責任はきっちりと」
「待ってくださいよ」
ロックはしっかりした口調で口を挟む。
「なんだ? 今はお前の話を聞いてる暇はない」
「さっき、フードをかぶった男って言いましたよね?」
「それがなんだ?」
「じゃあ、なんで黒髪だとわかったんですか?」
「っ! そ、それは…。前髪が黒かったんだ。だから…」
しまった。つい口がすべった。いや、落ち着け。証拠は何もない。堂々としていればバレることはない。
「へえ。それだと、そいつと向かい合うような位置にアークさんがいたってことになりますけど? でも顔は見えなかったんですか?」
「そ、そうだ…」
「ふう〜ん。そうなんですか」
「さっきからお前はなにが言いたい? 姫様がこうして怪我をされたんだぞ? 目の前にいたお前は防ぐことができなかった。これは、お前の責任だ」
「い、いえ。私もとっさのことで防げませんでしたし、こちらの責任です」
フォローするように、レイは言った。だが、アークはロックを睨んだまま続ける。
「レイさんはこう言ってくれているが、このことは後で報告させてもらうぞ。ロック。覚悟しておくんだな」
「…」
ククク。だんまり、か。バカめ。悔しいか? ん? 悔しいならもっと悔しそうな顔をすればいいんだ。
俺に逆らったらこうなるということを、身を持って知るがいい!
「なんだ? まだなにか言うことがあるのか?」
「やけに僕ばかりを責めるんですね。これは予定通りですか?」
「はっ。バカなことを! こんな予定などあるはずがない!」
「クリームさんもそこにいましたけど? 僕より近くにいた彼女のことはまったく責めないんですね」
「あ、はい。私にも責任が…」
彼女は暗い顔をしたまま、元気のない声で言った。
「当然、二人ともだ。勘違いするな」
「ところでアークさん。さっき、魔法を使いました?」
「なんのことだ? 使うわけないだろう?」
「使ってないんですね?」
「使ったのは犯人であり、俺じゃない」
「じゃあ、確かめさせてもらってもいいですか?」
「な、なにを…」
「ダサーチ。この魔法は魔法を使った相手の居場所を指し示すためのもの」
ロックがダサーチの魔法を発動させると、矢印のようなマークが浮き上がった。その状態でレイに近寄るとマークが大きくなり、指し示す方向は彼の右手だった。
「全ての魔法は、魔力を溜めて発動させる。発動した場所は魔力の濃度が一時的に上昇するから、それで調べることができる。つまり、魔法使いであればワンダーリングをつけている利き手ってこと。レイさんはヒールを使ったから、矢印が傾いて、反応を示す。クリームさんは使ってないから無反応。そして、アークさんは…」
矢印が大きくなり、指し示す方向はアークの利き手だった。
ば、バカな! そんな魔法があるのか? い、いや、違う! 驚くべきはその点ではない。
なぜその魔法が今、使える!?
やつのリングにはめられた宝珠は三つほどしかない。魔法は宝珠をはめないと使えない。つまり偶然たまたまその宝珠をセットしていた? そんな偶然ありえるのか? このことを想定していたとでもいうのか? そんなレアな魔法を?
ありえない…。ありえないぞ!
「あれ? おかしいですね。アークさん。魔法、使ってないんですよね? でも、反応を示しているってことはつまり、アークさん。あんた、嘘をついてるってことになるんですけど」
こ、こいつ! とぼけた顔で攻めてきやがって。か、考えろ俺。考えるんだ。まだ突破口はある。そ、そうだ!
「そ、そういえば使った、かな?」
「どういうことですか?」
「すっかり忘れていたよ。犯人が逃げる際に、攻撃魔法を使った。ああ、今思い出した。慌てていたのでな。思い出すのが遅れた」
「へえ。使ったんですか。さっきまで忘れていたのは、慌てていたからっていう、そういう言い訳ですか」
「言い訳じゃない! 事実だ!」
「ふうん」
「しょ、証拠でもあるのか? 魔法を使って、俺が、この部屋を狙ったという証拠は?」
「ないですね」
「だったらもうこの話は終わりだ。そして、ロック。お前は姫様の怪我の責任を」
「姫様は怪我なんてしてませんよ」
「――は?」
ロックの言葉に、アークは口を半開きにして固まる。
なんだ? なにをバカなことを言ってるんだ? こいつ。ついに頭だけではなく目もおかしくなったか?
チラッと座っている姫に目を向ける。治癒を受けていたのはまぎれもなく彼女。見間違いなどおこるはずがない。
「ねえ。レイさん。姫様は怪我なんてしてませんよね?」
「あ、いや…」
彼はバツが悪そうな顔をした。
ど、どういうことだ? 腕を怪我したのはドレスをつけた目の前にいる姫だろう?
「僕見たんですよね。ここに魔法が打ち込まれたとき、レイさん。あなたが、とっさにかばったのはドレスを着た姫様ではなく、隣の魔法使いの女の子でした」
「「え?」」
アークはここで気づく。重大なことに。
ということは、つ、つまり…とんがり帽子をかぶった女が…。
「レイさん。なんで姫様ではなく、同じ従者であるその子をかばったんですかっていう質問をしてもいいですか?」
核心をつかれたようで、レイは後頭部をかいた。
「…まいったな。そうだよ。こっちのドレスを着たほうは俺と同じ従者で、こちらにいる方が本物の姫様だ」
ば、バカなっ! なんでそんなことを!?
アークとクリームは信じられないといった表情で固まっていた。女性はとんがり帽子をとって、顔を見せる。その表情にはニッとした笑みがこぼれていた。
「よくぞ見破った。褒めてやるのじゃ。ロックとやら」
「まあ、最初から怪しかったですからね。その帽子。いかにもって感じがもう」
「だから言ったじゃないですか。そんなものはかぶっている魔法使いはいないと」
「黙るのじゃ。レイ。お前、生意気じゃぞ?」
「…」
「アークさん。これでわかりましたか? 姫様は怪我されていないんですよ。最初からね。だから、責任もクソもない。従者のかたには悪いですけどね。ま、でも、それは仕事の範疇でしょ」
「ぐっ…」
こ、こんなことが…。
「じゃあ、本物の姫様。質問の方を再開してもいいですよ」
姫はソファーに座り、女装してドレスを着用した従者は立ち上がった。レイの隣に、恥ずかしそうにして立つ。
「こちらから質問してもいいでしょうか?」
おずおずといった様子でクリームが言った。
「なんじゃ?」
「あ、あのどうしてこんなことを?」
「ちょっとした余興のつもりだったのじゃが。予想以上の収穫があったので驚いておる」
「予想以上の収穫? それは…」
「壁のヒビの件じゃ」
し、しまったああああああああああああああああああああっ!!!
実は姫様が本物ではなかったという驚きですっかり忘れていた。今更ながら、壁の近くで話してしまったことを思い出す。相手は従者ではなく、姫様だった。
ということはつまり…お、俺はあのときなにを言った? なにを言ってしまったんだ?
ぐるぐると頭の中で思い出そうとするアークをよそに、レイは問いかける。
「姫様。ヒビとはいったい?」
「東の壁にヒビがあるとの報告をロックから受けた。そこの修繕をしてほしいのだが、上の連中は動かなくて困っているらしいとな」
「そうなのですか。では、この件は」
「父に報告したほうがいいじゃろう。のう?」
「そ、それは助かります。ぜひ」
クリームに向けてニッコリ笑顔の姫様だったが、立っているアークには厳しい目を向ける。
「ところで、アークとやら。お前確か、私への報告をしないほうがいいと言っておったな?」
「あ、い、いや、そ、その…よ、余計な心配をと思いまして…」
アークは額から汗を流し、視線を泳がせる。
くっ。覚えてやがったか。これはまずい展開に…。
「そうかそうか。私のことを気遣っての言葉じゃったと、そういうことか?」
「も、もちろんです。他意はご、ございません」
「しかしのう。このことも父に報告するべきかどうか、正直私は迷っておる。どうじゃ? ロック。この男への処罰。お前に任すというのは」
なにいいぃいいいいいいい!? 血迷ったか!? どうして、そうなる!?
「わかりました。姫様の命令ですからね」
アークに近づいたロック、その得意げな笑みが恐怖を誘う。
「う…」
待て待て待て。どうしてこうなる? おかしい…おかしいぞ。責められるべきはお前であって俺ではないはずだ。なんで、こ、こんなことに…。
「どうしましょっかねえ〜。僕としては穏便にすませたいのは山々なんですけど、アークさん、さっき僕のことすごい責めてましたよね? なんでしたっけ? 姫様の怪我の責任がどうたらこうたらって」
ここぞとばかり、ロックは勝ち誇ったかのような顔をしていた。
こうなったら、こちらに非があるのは事実。謝って、それでどうにかなかったことに持っていくしかない。
「そ、それについては確かに姫様の怪我はなかった。謝ろう」
「そうですか。ん〜。でも一番被害に会ったのは従者のかたを除けば、クリームさんですよね。クリームさんはどう思いますか?」
「え? わ、私ですか?」
「そ。どうする? 今回のこと」
「私は…今後気をつけてもらえれば、と。ああいう風に誰かを責めるのはちょっと…」
「わ、わかった。以後、気をつけよう。すまなかったな」
アークは頭を下げた。
ク、ククク…。バァカめ。それが俺の仕事なんだよ。そんな甘っちょろいことを言っていたら、魔法使い業界では生き残ることはできまい。
しかし、これで…ククク。俺が責められることはなくなったわけだ。ロックのやつ、せっかくのチャンスだったのにしくじったな。
「優しいですね。クリームさん。でも、僕は違うかな」
「な、なに? これ以上まだ続けるつもりか?」
「彼女には意見を聞いただけですよ。一任したわけじゃない」
こ、こいつ…。なんて粘着質な野郎だ。さっきのお返しとばかり…。
「姫様。アークさんのことは父親に伝えたほうがいいかなと思いますよ」
「な…」
なんだとっ!?
「そうか。私もそうしたほうがいいと思っておった」
姫はニコリと微笑んだ。
「ま、待て。待ってくれ。た、頼む」
ここにきて、初めてアークの弱気な表情があらわになった。
くっ! これ以上の失態は、まずい! 上に対する俺の評価が…。
「ど、土下座すれば許してくれるのか? ど、どうだ? この私が、上級の私がここまで言っているんだぞ?」
「はは。アークさん。土下座なんて誰でもできますよ」
「な、なに?」
「じゃ、仮に僕がここで「死んでくれ」って土下座したら、死ぬんですか?」
「くっ…」
「その程度のものですよ。土下座なんて。それより、ここでしっかり伝えることによって、組織が少しでも改善するほうが今後のためですよ。よかったじゃないですか。会社の役に立って」
アークはがっくりと肩を落とした。
だ、だめだ。この男…。本気だ。そして、姫を止める手段は俺にはない。
決着がついたところで、姫は腰を上げた。
「さてと。なかなか刺激的な一日じゃった。よいものを見せてもらったし、そろそろ帰ろうかのう」
「あ、お見送りします」
姫と従者、ロックとクリームが部屋から出ていき、アークは一人になった。ふらふらした足取りでソファーにどっかりと座り、頭を抱える。
くそ…。くそっ。くそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!
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