第10話 悪魔の囁き

「本当にあの亀、倒れてるとはな。ひっくり返ってたのを見て、驚いたのなんのって」


 ロックが補助系の魔法を大亀にかけたあとの午後、メンバーたちで確認を行った結果、大亀は動かなくなっていた。ダイニングルームではそのことで話は持ちきりだ。


「見直したわよ。ロックさん」

「おほん。まあ、たいしたことは、あるかな〜」


 鼻が高くなるロックがいて、苦笑いするクリームがそこにいた。いつもより静かでどこか上の空のシンに、オルトが声をかける。


「リーダー? なにかあったのか?」

「…いや、なんでもない。気にするな」

「シンさんもびっくりしてるんだよ。まさかって感じでな」

「でも、マナポイズンが効いたのか、ポイズンが効いたのか不明ね。あれじゃあ」

「どっちでもいいぜ、そんなこと。倒せればいいんだよ。倒せれば」

「そうね。これでここも安全になるんじゃない?」

「そうだな。ははっ」


 「そういえば」とローズ。


「リーダー。ゲオルグさんとはなに話したんですか?」

「ああ。ちょっとな」

「ヒビの件じゃないのか?」

「ああ。東側の壁の?」

「それしかないだろ。な、シンさん」

「悪い。ちょっと、先に上がらせてもらう」


 シンは一人、食器を片付けてから部屋を出ていった。ローズとクリームは後ろを振り返り、その後ろ姿を見ていた。


「なんか今日のリーダー。変ね」

「もしかして、実は違うとか?」

「どういうことだ?」

「本部の部長が訪ねてくるってよっぽどだ。つまり…そう。人員削減ってやつかもしれない」

「ば、バカね。こっちは人が足りなくてかつかつなのよ? これ以上減らしたらそれこそ回らなくなるじゃない」

「いや。上の連中って数字しか見ないだろ? 現地の状況を知らずに決定を下すってよくある話じゃないか。なあ、ロックさんよ」

「確かにそれは十分あるかもな。なんせあのゲオルグだ」

「ロックさん。前にも言ってたけど、そんなに仲、悪いの?」

「まあね。案外、僕をどうにかする策を持ってきたんじゃないかな?」

「ははっ。まさか。そんな理由でここまで来るか?」

「どんだけ嫌われてんのよ、それ」


 これにはメンバーたちが笑った。ただ、ロック一人だけは笑わなかった。


 夕食が終わり、一人、ロックは机の上で趣味となる宝珠の中身をいじっていた。中身といっても物理的に開けて見るようなことはしない。彼が見ているのは宝珠に記憶されたMコードというプログラムコードだった。

 ノックの音がした。出てみるとクリームが立っていて、入ってもらう。彼女はキールから話を聞いたことを伝えにきた。マナアブソーブの件だ。


「やっぱりどこも売り切れなんだ」

「うん。キールくんの親戚に宝珠屋を営んでいる人がいて、その人から聞いたんだって」

「いったい誰が回収してるか、わかればなあ」

「さすがにそこまでは…。でも、その宝珠を使ってどうするつもりなの?」

「マナアブソーブは空気中のマナを吸収することができる。それを使って濃度を減らせば、魔物のエサである魔結晶が作られない」

「つまり、魔物が減るってこと?」

「そういうこと。宝珠を解析して大型化すれば可能かもしれない。仮説の段階だけどね」

「なるほど。でも、それがもしできたとして、魔物が減れば私たちの仕事は…」


 ロックはイスに座ったまま、ふうっと息を吐き出す。


「完全にはなくならないと思うよ。テレポーターが作られたあとも馬車は動いている。縮小はしただろうけどね。それと同じ道をたどることにはなると思う」

「…」


 複雑な心境のクリームがそこにいた。

 業界で働くものにとって、やろうとしていることは裏切り行為。ただ、そうしたほうがいいという正しさみたいなものはあるのも事実。その狭間で揺れ動くのは当然のことなのかもしれない。


「クリームさん。このことは他のメンバーに、リーダーも含めて言わないでくれる?」

「…はい。そうしたほうがいいですね。でも、じゃあなんで私に?」

「口硬そうだから」

「それだけですか?」

「…うん。まあ」


 カチカチカチ。

 時計の針の音だけが聞こえる。妙な空気に耐えられなくなり、彼女から口を開いた。


「ええと。今、なにを」

「これは秘密」


 今、ロックの机の上には様々な機器が置かれていた。スペースを埋めるようにして、宝珠の読み取り装置やディスプレイなどが置かれている。


「秘密ですか。そう言われると気になりますね」

「まだ未完成だから。うまく行くかどうかわからないし」

「そうですか。もしかして部屋でずっとこれを?」

「うん。好きだし」

「いつか完成したら教えてくださいね」

「ええ〜? どうしよっかな〜」

「もうっ。またそんなこと言って」


 彼女はムッとした表情になる。


「うそうそ。教えてあげるよ。そのとき、まだここにいたらの話だけどね」

「え?」

「あー。僕、結構敵作っちゃうから、あまり一つのところに留まれないような気がするんだ」

「そんなことないです。もう、ここのメンバーじゃないですか。ロックさんは」

「ありがとう。クリームさんのおかげだ」

「そんなことないです。これからもよろしくお願いしますね」


 クリームからそう言われ、ロックは笑顔で返した。彼女が部屋を出ていこうとした矢先、彼は声をかける。


「ところでさ」

「うん?」

「さっきのどう思う?」

「さっきのって?」

「僕がマナアブソーブ使って、魔物を減らそうとしていることについて、どう思う?」

「あ、えっと…その…」


 答えに困る問いだったのか、彼女はすぐに返答できないようだった。数秒、悩んでいる姿を見て、彼のほうから切り上げる。


「まあいいや。ちょっと気になったから聞いただけ。忘れていいよ」

「は、はい。では、おやすみなさい」


 バタンとドアが閉められる。

 一人になると集中し始めるのだが、余計なこともよく考えてしまう。なぜそんなことをクリームに聞いたのか? という問いを自分にして、答えを探す自分がいる。理由はすぐにわかった。

 …あいかわらず弱いなあ、僕は。誰かに同意を求めてほしかったんだ。君がやろうとしていることは正しいことだと。


 ***


 夕食後の夜、シンは再びゲオルグに呼ばれることになった。応接室にはすでに彼が座っており、見知らぬ男がそばに立っていた。

 誰だ? 見たことがないやつだな。

 Yシャツを着た二十代後半ぐらいの男に視線を移しつつ、目の前のゲオルグ、その二十あごの膨らんだ顔に目を向ける。


「決心はついたかね?」

「いや、そのことですが」

「うん?」

「申し訳ないのですが、お断りしようかなと」

「それはまた、どうしてかな?」


 ニコニコしているが、ゲオルグの目は笑ってはいない。

 今日の昼食後、シンがゲオルグから聞いた話。それはロックを退職に陥れようという計画に加担することだった。そのときは「少し時間をください」と猶予をもらった。その返事をするのが今であり、彼は断ることに決めた。


「やはり、こういうことは…」

「君に迷惑はかけない。汚れ役は全て彼に任せるつもりだ」


 彼というのは、横で立っている冷めた目をしている男のことだろう。


「しかし…」


 シンは机の下で、グッと手を握る。


「君はこのエリアで働いて十二年だったね。その実績が認められ、今のリーダーという役を任されている」

「…」

「あんなやつにかき回されたくないだろう? 君の積み上げてきたポジションを」


 かき回すようなことはまだなにもしてない。ただ、夕食のとき、どす黒い感情が芽生えたのは確かだった。自分の考えではなくロックの方法が優先されようとしている。そのことが気に入らなかった。とても、気に入らない。難度Sを経験したとはいえ、彼はここに来たばかりの経験年数の少ない若者。それに…。


「報酬は二倍といったが、三倍出そう。人員の補充もしていい。ここを任せられるのは君だけだ。なあ、シンさん」


 悪魔の囁きだということはわかっていた。しかし、それに手を貸す自分がいるとは想像もできなかった。

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