第7話 防護壁のヒビ

 翌日の早朝、二人は寮を出て立入禁止エリアから外に出た。

 二人はともにウィッチーズの制服を着ている。手首には金色のワンダーリングも装着済みだ。ロックは眠そうに大あくびし、ブルブルと顔を左右に揺らす。


「眠そうですね。夜ふかしですか?」

「まあ、だいたいそうかな。じゃあ行こっか」


 ロックはクリームの肩にポンと手を置いた。


「あ、はい」


 元気のないクリームがいて、ロックは不思議に思っていた。歩き始めて少しして、彼女の方から話し始める。


「なんか、私、ローズちゃんから嫌われてるみたいで…」

「なんで?」

「隣の部屋、ローズちゃんの部屋じゃないですか? だから昨日、ロックさんと会話してたのが漏れ聞こえてて、それが気に入らないらしくって」

「あはは。じゃあ今日は二人でご機嫌取りってわけか」

「笑い事じゃないですっ」


 二人は外周を回って、壁に異常がないか見ていく。明らかな異常があれば魔物の目撃情報が多々出てくるので、ないと思うが一応だ。三メートルほどの高さの鉄製で、少々の衝撃ならびくともしないはずだった。


「この程度の壁、超えてくるような気がするけど、これでもってるのが不思議なくらいだ」

「難度Sではもっと厳重なんですか?」

「壁の厚みと高さが違う。それに上にも魔法で逃さないように電撃のバリアを張ってる。でも、ここは特にそんなことはしてないみたいだ」

「大丈夫なんでしょうか?」

「経費削減なんだろうなあ。上の連中は死者が出なきゃ動かないから」

「そうなんですね…」

「そんなもんだよ。見たところ、異常はないようだけど相当古くなってる。いくら鉄といっても雨が当たってれば錆びてもろくなる。塗装が必要なんだろうけど、そういうことはしてないみたいだ」

「前、シンさんが人手が足りないとボヤいてたんですけど、もしかしたら今回の件…」

「ん? なんのこと?」

「実は、近いうちに上の方がこちらへ来るという話を聞きました」

「本部のやつが? 名前は?」

「ゲオルグさん、みたいです」

「げっ。あいつか」

「シンさんの要望を聞き入れて、状況確認しにくるのかもしれませんね。そうすれば人が増えて、ちゃんと壁の管理ができるようになるかもしれません」

「…」


 ゲオルグが、ここにか。嫌な予感しかしない。


 グルッと回る中で問題の箇所が見つかった。なにか衝撃があったのだろうか、壁の一部にヒビが入っている。強い力で押されたことは見て取れた。ロックは壁に手で触れて確かめる。


「これは…石膏か」

「東側の壁は鉄ではないんですね」

「一部だが、これは酷いな」


 それは二つの意味に対してだ。もろい壁を作ったことと、ヒビだ。


「このヒビ、魔物ですよね」

「間違いない」

「このことはシンさんに報告したほうがいいですよね?」

「そりゃ、そうでしょ」


 それ以外は特に目立った場所は見つからなかった。そうこうしているうちに腹が減ってきたので、寮に戻って昼食をとることにした。午後は私服に着替え、ワンダーポリスに向かう予定だった。プリンを購入するためだ。

 玄関で待っていたのはYシャツ、長ズボン姿のロックだ。そこへクリームが出てきた。


「お、おまたせしました」

「うわ…。すごっ」

「な、なんですか?」


 驚いたのは、彼女のその格好だった。普段着は学生が着るようなダサいジャージなのに、遠出するときの服は白のヒラヒラワンピースだ。この辺りはおしゃれに気を使う女子なのだろう。ギャップ効果なのだろうか、よりきれいに見える。肩にかけたカバンも様になっていた。


「ていうか…でか…」


 強烈なインパクトを放つのは、その大きな胸だった。ジャージではある程度まで誤魔化せていたものがドンッとう擬音が聞こえそうなほど表に出ている。

 Fはあるな。いや、Gか。もうって言うし、やはり前世は牛なのか。


「ど、どこ見てるんですか? ていうか、ガン見しないでください!」


 クリームは両腕を交差させて胸を隠す。そんなことしたら谷間が強調されてすごいことになるんだけど、わかってやってる…わけではなさそうだ。


「男として、お願いがあるんですけど」

「…なんですか?」


「もませてもらってもいいですか?」


「だ、ダメに決まってるでしょ! ていうか、なに真剣な顔してるんですか!?」


 残念だ。実に残念。

 やや怒った様子で彼女は歩き始めてしまう。ロックは後を追い、並んで歩くことにした。

 こうして二人歩いているとデートみたいだな。


「あの。ロックさん。なにか勘違いしてませんか? 私はあなたの指導係なんですよ?」

「それはもう、わかってますよ」

「だったらふざけたこと言わないでください」

「いや…。だって、そんな格好見せられたら、誰だって反応するってば」


「普通の男の人はもませてくれなんて言いません。もしかして童貞なんですか?」



「ぐはっ!」



 ロックは立ち止まり、フラフラと体を左右に振ってから地面に力尽きた。痛恨の一撃をくらったようだ。


 もしかして童貞なんですか? もしかして童貞なんですか? もしかして…。脳内に先程のセリフがこだまする。彼女いたことないんですか? という質問ではない。前者は本質の部分だけをくり抜いたエグい攻撃だった。


「え? あ、本当に?」



「や、やめろよおおおおおおっ! そういうこと言うの! そういう目するのおおおお! 本当に? じゃねえよおおおおっ!」



「え? え?」

「く、くそ! くそがあっ!」

「お、落ち着いてください。私が悪かったですから。ね?」


「どうせ僕は童貞だよっ! ああ、一生童貞だよ! 部屋でオナニーすることが限界の童貞だよ!」


「お、おな…。変なこと言わないでください!」


 クリームは顔を赤くさせる。


「はあ…。もう僕は部屋に戻る。クリームさんに深く心を傷つけられたからね」

「ご、ごめんなさい。まさかと思って。えっと、ロックさんって何歳でしたっけ? あれ? そういうことも聞いちゃいけない…」



「のおおおおおおおおおっ!」



 またもや痛恨の一撃だった。二十五歳で彼女がいたことがないという事実が胸をえぐる。

 三十になれば魔法使いになれるという噂があるが、もうすでになってるよ! なんだ? 童貞魔法使いに昇格するとでも言うのか? 悔しさで体内の魔力が高くなるとでも言うのか?


「クリームさん。君、ひどいや」


 ロックはその場に体操座りする。地面に尻をつけて汚れるが、この際、気にしない。


「えっと。その…。元気出してください。ね?」


 だったらおっぱいもませてくださいという冗談も今は言えない。遠目から、ダダをこねる子供とその母親に見えるこの状態のまま、少しの休憩を挟んだあと、ロックは立ち上がった。

 ああ…。ようやく少しだけ元気になれた。


「い、行きましょうか?」


 生きましょうか? ああ。生きるとも。生きてやるとも。…くっ。ダメだ! 今はなに聞いてもマイナスの言葉としか受け取れねえ!

 徒歩を再開する二人。ロックは気になることが出てきたので、それをぶつける。


「クリームさんは、彼氏いたことはあるんですよね?」

「うん。まあ、ね」


 ですよねえ〜。そんなおっぱい…いや、容姿がきれいだから、男が放っておかないよねえ〜。


「どんな人なの?」

「少なくとも胸をもませてくださいとは言わない人でした」


 いや。そいつは言わないまでも、思っていたに違いない。切望、熱望を隠し、表には出さずにいたに違いない。男というのは基本、そういう生き物なのだ。


「…今もその人とは?」

「いえ。結構前に別れましたよ。今はいません」

「もったいないなあ。あ、男のほうね。僕が言ってるのは」

「あはは。もうこの話はやめましょうか」

「聞きたいなあ」

「無粋ですよ。もうっ」


 町に着いたので今度はしっかりとプリンを購入。代金は半分ずつ出した。自分が払うよ、などということは言うはずのないロックだった。

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