止まらない僕ら 1493字/30分

 私は売れない小説家である。現代において、ちょっと文章が巧みであったりちょっと発想力がある程度ではなんの武器にもならない。今日も私はダブルスコアをつけられて敗戦後、近所の居酒屋で一人寂しく天然ビールを空けていた。

 つけっぱなしのテレビではW-1の試合が放送されており、酔っ払った客がわいわい騒ぎながら観戦している。シングルスが行われている最中らしく、片方は熱狂的なファンの多いアイドル小説家、片方は聞いたことのない名前の小説家だった。

 アイドル小説家の一筆一筆に観客が黄色い悲鳴をあげる。私は彼女のファンではないからその良さにいまいちぴんとこないが、一定レベル以上の実力があることはわかる。一方の無名の小説家には悲しいくらい声援がかからなかったが、その打鍵の勢いたるやすさまじく、音がここまで聞こえてきそうなほどだった。

 試合は三本勝負、二本先取した方の勝ちであり、現在は二本目。一本目はアイドル小説家が取っており、無名小説家は追い詰められている。歯を食い縛って執筆し続ける様を見ていると、今日の自分の試合を思い出してきりきりと胃が痛んだ。


 ……「プロの」小説家というのは選手の一形態である。消費される範囲は出来上がった作品だけではなく、制作工程にまで及ぶ。スタジアムで衆人環視のもと書かれる小説はその構成や筆運び、完成までにかかった速度、テーマの独自性、観客の反応などが評価され、その点数を対戦相手と比べ勝敗が決まる。

 この競技のなりたちは知らないが、昔の小説家というものは対戦はせず、一人で作品を制作し、完成したものだけを提示して評価を得ていたらしい。私にはそちらの方が向いているような気がする、というのは今日の試合結果を踏まえた負け惜しみにすぎないだろうか。


 わっ、と歓声があがる。テレビに視線を戻すと、二本目が終わったところだった。どうやら無名小説家が取り返したらしい。だが見るからに彼は消耗し、最後の一本をまともに戦えるかどうかも怪しく見えた。ああ、胃が痛い。

 しかし私は彼の目に光を見た。額に汗を浮かばせ、手元に置いてあったボトルの中身を飲む彼は、ぎらぎらとした目で対戦相手を見ていた。若さと無謀さ、怖いものも失うものもない強さ。そういったものがぐちゃぐちゃに混ぜ込まれた目だった。

 そして三本目が開始する。恐らくストレートに勝てると踏んでいたのだろうアイドル小説家が思いかけない反撃に本気を出しており、その筆は踊るように動いている。観客はほとんどが彼女の味方だ。歓声がひとつあがる度、対戦相手である無名小説家の体力が消耗していくのが手に取るようにわかる。

 いつのまにか私は彼に一体化していた。彼に親近感のような、連帯感のような、強い感情移入をしていた。彼にとっては迷惑な話だろうが、散々な負け方をした今日の私の代わりに勝って欲しいとさえ思った。

 一分一秒がひどく長く感じた。空中にずらずらと並んでいく文字列を追いながら小説家たちの様子を見るので精一杯で、居酒屋の客たちを見る余裕はなくなっていった。あと数百文字ですべてが終わる。彼らの試合が決する。からからになった喉へビールを流し込もうとしてグラスが空であることに気付き、おかわりを頼む。

 小説家という生き物を見ていると苦しくて、痛くて、悲しくなる。それでも私はこうあり続けることでしか生きられないし、きっと彼らもそうなのだろう。魂を絞ってそのインクで文字を書くのだろう。

 すべてが終わる。向こうでもこちらでも、この数文字で、決する。


 わっと湧き上がった歓声は、どちらへの祝福だっただろう。

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