夕暮れ、あるいは世界の端で笑う神 1158字/30分

 耳鳴りがした。

 またか、と思いながら振り返ると、やはりそこには夕暮れの道があった。

 今度は何をさせられるのだろうと一歩、二歩、三歩と進んで無色の空気と橙色の空気の境目を踏み越えれば、スイッチでも切ったかのように耳鳴りが消え失せた。



 私は中学二年生の夏、高熱を出して生死の境をさまよった。そのとき夢の中で夕暮れの道を歩き、不思議な少年と出会い、ひとつの提案をされた。

 ――「きみを助けるかわりに、僕を助けて」。

 その夢は妙にクリアで現実感をおびていて、これを断れば自分は死ぬのだと何故だかはっきりわかった。だから中学二年生の私は、その提案を受け入れたのだ。

「やあ」

 この夕暮れの道を歩くのは何度目だろう。来るたび景色は違うのに、ここはいつもの場所だと私の全身が主張する。

「ねえ、ちょっと」

 今回はコンビニに行く途中だったので財布と携帯電話くらいしか持っていない。

「ねえってば」

 以前のように怪物と追いかけっこなどする羽目になったら困る、と思案している私の背に先程から彼が声をかけているが無視し続けた。

 と、突然眩暈がする。たまらずそばにあった電信柱に手をついて身体を支えると、恐らくこれ以上ないくらい不機嫌そうな表情をしている私の顔を少年が覗き込んだ。

「その反抗に意味はあるのかい、この場所でなにもしなければ、君はあのとき先送りになった負債を払って死ぬんだよ」

 少年の目はありとあらゆる色のインクを水の上に流して掻き混ぜたようなマーブル模様をしている。刻一刻と色味は変わり、今は青が強い。

「今日は……そうだなあ、うちの蛍光灯が切れたから取り換えて」

「……了解」

 今回はごくたまにある日常の手助けのようだ。この類の仕事だと、以前は大掃除を手伝わされた。

 最近薄々感づいているのだが、この少年は別段そこまで困っていないときでも私を呼びつけるし、呼んでから頼みごとを考えることすらあるようだった。

 少年の家には何度か行ったことはあるが同居人はいないようだし、そもそもこの夕暮れの道を歩いているときに彼以外の人間に会ったことはない。

 この場所は死んでいる。暖かな橙色をおびたこの場所では、なにもかもが死に絶えている。

「このさびしんぼうめ」

 詰ってやると少年は笑った。

 私の命を握って、ときおり戯れに――先程のように――私の心臓を握り潰そうとして、混沌そのもののような目をして、少年は無邪気に笑うのだ。

「お前は何者なんだ」

 いったい何度目の問いだろう。

「僕は神様だよ」

 そして、いったい何度目の答えだろう。

 全てが死に絶え静止し続けるこの場所で、私たちの関係も固定されている。どこへも進まず、戻らない。

 夜は、この場所には来ない。

 そして朝も、きっと。

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