空を切り取った 1525字/30分
かさかさとした風に肌を撫でられて身震いをした僕は、上を向いている。そこにある空は、四角く切り取られている。大地はどこまでも続いてこわいくらいなのに、空はちょうど僕が両手を伸ばせるくらいを一辺とした四角に切り取られている。
人間ひとりに与えられた空の広さには個人差があるが、大抵はそれぞれが両手を広げたくらいの四角形である。大昔には空というものに区切りはなくて、どこまでも広がっていたらしい、信じられないことに。
空戦があったのは地戦が終わり切ってからだった。大地を切り分け終えた人類は、今度は空を切り分けた。パイのように切り分けられていった空は、切っては繋いでを繰り返し、元に戻らないくらい細かくばらばらになって、最終的に個人が所有するようになった。
しかし、空は無限ではない。今や人間ひとりの頭上に存在するのがせいぜいで、隙間だらけの空からときどき不思議な音が降ってくる。それを神学者は天の徒が空を織っている音だと言い、錬金術師は空気のマテリアルが再結晶する音だと言う。それ以外にもさまざまな説があるが、どれも確証はない。
僕はときどき空を見上げては、そこに確かに僕のぶんの空があることに安堵し、狭い四角の中を雲が流れていくのを確認して安堵する。
だからその日も僕は、癖のような確認でしかなく、今度は湖に映るそれではなく、空を見上げたのだ。
ぬるり、としかいいようのない様子で空から何かが落ちてきたのを避けるのが間に合わず押し潰される。思ったより痛くはない。眼鏡をかけ直しながら体の上を確認した僕は、ええ、と声をあげた。
子どもだった。
ようよう十に届くか届かないかくらいの、細くて小さな子どもだった。
もぞもぞと動いたそれは、顔を上げるなり僕とばちんと目が合って、慌てて飛び上がるようにして僕の腹の上から降りた。
「どうも」
「どうも」
なんとも間抜けなあいさつをして、正座で向い合う。短い草が足に触ってくすぐったい。
「あの」
その子どもは妙に落ち着いた、老人のような目で僕を見た。声も女だか男だかわからない、弦楽器を鳴らすような声だ。
「空がすっかすかなんですよ」
「ええ、まあ、そうですね」
「わたしたちとしては迷惑なんですよ」
「そうなんですか」
「だからこうして足を滑らせて落ちたんですよ」
「空にお住みなんですか」
「はい」
「すっかすか、なんですか」
「飛び石みたいな状態ですね」
想像してみた。切り取られた空の裏側を、子どもがひょいひょいと飛び越えて歩いていく。
「大変ですね」
子どもは疲れた様子で溜め息を吐いた。それからどこか哀れむような顔で僕を見る。
「わたしは、いわゆる御使い的な、あなたたちが天使だとかそう呼ぶあれなんですが」
「そうなんですか」
「正直、大地はまだいいとしても、空まで切り分けられると困るんですよ」
「まあ、そうですね」
「今までは様子見していましたが、そろそろ本格的に天罰落とそうかという話も出始めています」
「それは困りますね」
「でしょうね」
子どもの表情に困惑が濃くなってくる。
「……もう少しこう、怖がったりとか、謝ったりとか、怒ったりとか、しないんですか」
「そう言われましても、そういうのは政治家とかそういうところと交渉してもらわないと」
「あなたはどういったひとですか」
「僕ですか。僕はただの」
僕はただの、勇者です。
え、と子どもが問い返すより先に、僕は腰から抜き放った短剣でその喉を貫いた。
こうして落ちてきては僕に殺される子どもは、これで九人目だった。
先送りにしかならないこの綱渡りを、僕たちは何百年も続けている。
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