青いインク 1664字/30分
「作家たるもの、蟻獅子の一頭や二頭倒せなくてどうしますか!」
「無茶言うなあああ?!」
その男は、恐らく世界新に迫る速度でサバンナを疾走していた。
――作家と編集者は魂と魂でもって契約する。
作家がその筆から生み出すものは世界すら書き換えかねない危険な毒であり、世界物語連盟によって厳しく取り締まられている。そのひとつが、「編集者制度」である。
新たな作家が観測された場合、速やかに連盟から使者が派遣され、力の強さと指向性を調べた後、相性のよい編集者と契約させられる。契約した編集者と作家は常に互いの位置や生死を知ることが出来るようになり、作家の生み出したものを解毒出来るのは契約した編集者だけであり、作家の生み出したものをより強化出来るのも編集者だけである。また編集者は特別な訓練を受けており、相性も加味して組ませられる為、ほぼ100パーセントに近い確率で作家と信頼関係を築き上げる。また、どちらか片方が死ぬともう片方も死ぬ。つまり生きた枷である。
編集者はほとんどの場合作家の恋人か主人か従者になり、つつがなく作家は飼い殺され、今のところ連盟は世界を守ることが出来ている。
連盟が作家を管理し始めてから百年近く経った頃、とある作家が誕生した時、連盟の幹部たちは慄いた。その作家は歴史上のどの作家よりも強く、殺意の高い毒を生み出していた。
可及的速やかに編集者を宛がわねばならない。だがその時期編集者は不作であり、その作家と相性がいいと判定された編集者のほとんどが訓練期間であり、唯一実用レベルに達している者は人格に問題があった。
……だが背に腹はかえられず、その変わった編集者が、至上最強の作家と契約をした。
作家を縛る枷であり、保険であり、爆弾である筈の編集者に無理やり引きずり回された挙句に「筆力を上げましょう!」と魔物のうようよいるサバンナへ放り込まれてから二泊三日。
出くわした蟻獅子に追いかけられて二人はこうして走っているのであった。
「俺が死んだらお前も死ぬんだからな! そこんとこわかってるよな?!」
「わかってますよ、でも私の『作家』にそんじょそこらの飼い殺しみたいにはなってほしくないですからね!」
「それがどうしてこうなるんだよ?!」
悲鳴のように叫ぶ男とは裏腹に、編集者は楽しそうに笑っている。その後を追う蟻獅子はいつの間にか三頭に増えていた。
若い編集者とは違い男はとうに青年期を過ぎており、そろそろ脚力にも限界が近づいていた。ちくしょう、と噛み締めた歯の隙間から漏らして、男は袖口から筆を、(最近は皆がタイプライター型などを使っているのに)万年筆という古代の神器の形をしたそれを取り出した。
「ああああああもう!!」
「きゃー先生かっこいいー」
きわめて棒読みに近い歓声を無視し、男は筆のキャップを跳ね飛ばして背後を向き直った。
「『その時わたしは』『ふと天道の日差しを浴びて』『眩暈を覚へた』」
筆の先から溢れるのは『青』。空よりも青く海よりも青く、人間の手ではけして作り出すことの出来ない純粋な青。その色を唯一生み出す作家である男の目もまた、青い。
「『ああきつと』『かかる毒の』『馨しいこと』!」
ずわり、とざわめいた青は純粋で、一点の濁りも無く、「おぞましい」。
恐らく動物の本能的な勘によって危険を察知したであろう蟻獅子たちが逃げるよりも、その青が毒を生み出す方が早かった。
――そして数分後、そこには蟻獅子の死体が三つ転がっていた。
「さっすが先生、見事な作品、ほれぼれしちゃいます!」
今度は心底興奮した様子で頬を上気させ飛び跳ねる自分の編集者、娘であってもおかしくない年頃のそれを見て、男は頭痛を堪えるように目を眇めた。
「私が先生の一番のファンですからね! 先生ならきっと世界で一番すごい作家になれます! ぜったい!」
「いや、別になりたくないから」
作家というものはどの時代においても、頭痛の種に苛まれるものである。
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