熟れて腐れる 1343字/30分
いとしい姫の前で跪く事こそが私の喜びである。ずっとそうであればよかった。
私が彼女を愛している事を誰も、それこそ彼女ですらも知らない。私が彼女に捧げるべきは忠誠だけであり、私は彼女の剣であり、私は彼女の盾である。何故 愛 などという浅ましく醜いものを彼女に捧げてしまいたくなるのだろう。
彼女は誰もに愛される可憐さと、その愛を正しく受け止め育む慈悲深さと、愛でられるだけでない聡明さを併せ持っている。私はかつて剣を捧げた時にそれを誇りと思い、十年たった今もその気持ちは変わらない。
変わらない、筈だったのだ。今や私の忠誠は爛れて変色してしまっている。
剣でなく、魂を彼女に捧げられたら。手の甲でなく、唇へ口付けられたら。豪奢なドレスでなく、薄い夜着の、私はなんて醜い事を考えているのだろう!
私の愛する、嗚呼、もう偽る事すら出来ない、愛する彼女のいっとう傍でせめて守る事だけが私の拠り所である。
だが私は守れなかった。
魔女の呪いで永遠の眠りについた彼女を目覚めさせるには、彼女を真に愛する者の口付けが必要だという。彼女の親族のそれでは目覚めなかった為、つまりは、欲を伴う浅ましい「愛」が必要なのだろう。
それは私にしか与えられないと思った。
彼女を真に愛する者、が複数人存在しているなら呪いの意味は無い。となると、最も強い愛を持っている者が呪いを解く存在になるだろう。それは私を置いて他にはいない。彼女を、この、熟れ落ちる林檎に似た愛でもって救える者がいるとしたらそれは。
だが騎士たる私がそれを認めるわけにはいかなかった。私が彼女を愛している事は罪悪なのだから。幸いにも呪いはただ眠り続けるだけであり、速やかに命が危険になるものではなく、私は名乗れぬもどかしさに睡眠時間を削られた。
彼女が眠り続けてひと月が経った。まだ彼女は目覚めず、私はそれに安堵してしまっていた。彼女が目覚めぬ限りは、私のこれが真の愛情であるという事だ。
だがひと月と五日経ったその日、彼女の許嫁である隣国の王子がやってくる事になった。私は胸がざわついた。
真の愛の持ち主は私だ。それに間違いはない。だが、もし呪いが妥協して、王子の口付けで彼女を目覚めさせてしまったら。皆は王子のそれを真の愛と呼ぶだろう。真の愛を抱いているのは私だけなのに。
気付けば私は国境を越える馬車の警護に志願していた。
初めて見た王子はきらきらと輝くように美しく清らかで、心底彼女の事を心配しているようだった。少なくとも、お義理であるとか、打算であるとかで来たわけではなさそうだった。
その口付けは彼女を目覚めさせるだろうか、いや、目覚めさせるわけがない。真の愛は私が。しかし。もしかしたら。
「殿下は姫を愛しておいでですか」
「その口付けで彼女を目覚めさせられると」
「そう、そうですか、きっと貴方なら真の愛を示せるでしょう」
「では、ごきげんよう、殿下」
それからの事を私はよく覚えていないが、国境から王城までは三日ほどかかった。
王子は行程の途中、賊に襲われ亡くなった。私の力不足だ、謝って許される事ではない。
彼女の眠りはまだ醒めない。
真の愛は私が抱いたまま。
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