ぼくのカナリア 1163字/30分
「そのコマンドには従えません。別のコマンドを試して下さい」
はたり、と長い金色のまつ毛が揺れる音さえ聞こえる。
背の高い椅子に腰かけた彼女の長い金色の髪は、床でとぐろを巻いている。
「ああー、もう、僕の事は認識できているんだろう?!」
「はい、ドクター勅使川原」
「だったらパスワード違いだっていいだろ、通してくれよ!」
整った無表情で来訪者を見る彼女は門番である。
この屋敷の最奥にある博士の研究室に続く扉の前に設置された椅子に腰かけるフィンチ・タイプのドロイドである彼女は、博士の知的財産を守るために設置された、扉を封じる乙女である。
「ええーっと、くそ、……2078年5月27日アルカロス定理証明完了、20780527!」
「違います」
癖毛をぐしゃぐしゃとかきまぜながらしゃがみ込んだ白衣の男はその研究室の主そのひとであるが、セキュリティを高めるために毎日切り替えられているパスワード(歴史的事件や記念日による8桁の数字)を失念してしまったためこの美しい門番に阻まれ続けていた。
「金糸雀! 僕のDNAも声紋も網膜も生体パルスも! 本人だと証明できているんだろう!?」
「はいドクター。99.99パーセントの確率で貴方は勅使川原聡本人です」
「じゃあ!」
「パスワードをどうぞ」
神を(あるいはここまで強固なパスワード用ドロイドを設置した自分を)呪いながら博士は壁に頭を打ち付けた。
大戦の開戦・終戦日、新発見や定理の証明された日、偉人の没年日など様々な8桁の数字を言い続けても門番は動かず、そのうち博士はすすり泣き始めた。
「金糸雀……頼むよ入れてくれ……もうすぐ僕がここを出てから24時間近い、ラットの様子を確認しないと……」
ドロイド特有の細くつるりとした足に縋りついた博士を見下ろした門番の、その緑色の目は博士が磨き上げたエメラルドだ。
それをふちどる金の睫毛が、ふるり、と震える。
「……思い出して下さい、ドクター。一番大切な数字です」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしたまま、子供のようにきょとんと瞬きをした博士は、唇を震わせた。
国の至宝と讃えられたその脳髄が、その瞬きひとつの間に、ある数字を知識の海から掬い上げた。
「……2167年12月8日。21671208」
――音も無く、扉が横にスライドした。
白衣の袖で涙を拭いながら立ち上がった博士は、そのまま腕を伸ばし厳格な門番の頭を抱いた。
「そうか、今日は12月8日だったな」
「はい、ドクター」
博士は困ったように笑うと、そっと金糸を掬い上げその唇に寄せた。
20年前の今日、自分の生み出した、愛しいドロイドを言祝ぐように。
「ああああラットーーー?!!?」
「ご心配なく、私がデータの確認はしております」
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