今日、も 876字/30分

 ある日世界中から「明日」が盗まれた。

 人々は今日を繰り返し、子供は子供のまま、大人は大人のまま永久を生きる。

 「明日」という言葉は辞書の中だけに存在し、誰も明日を実感できずに生きてゆく、そんな世界のお話。



 好きだよ、って、彼が言った。

 私も、と、彼女が言った。

 それは百と六回目の告白だった。

 永遠に明日は来ないのに、それでも告げずにはいられなかった。彼らはこの告白を、その百と五回を正確に記憶しているのに、それでも愛を宣言した。

 感極まった彼が彼女を抱き上げぐるぐると回った七十七回目。

 なかなか言い出せない彼にしびれをきらした彼女から告げた八十一回目。

 互いに黙って涙を零した九十二回目。

 階段の上と下から叫びあった百回目。

 そして、今日が百六回目。静かな目で愛を告げた彼を見る、彼女の目もまた静かで。

 彼と彼女は細い腕を伸ばして抱き合い、ただぎゅっと抱き合い、その触れた個所から溶け合いひとつになれとばかりに力をこめた。

 明日は来ない。「明日」は来ない。

 だからこの瞬間は、互いの愛を共有する感覚は、今この時にしか感じられない。

 永遠に続く今日。

 どこへも進めない僕ら。

 彼も彼女も大人になる事は無く、子を成す事も、老いて死ぬ事も無い。永遠に今日を繰り返し、何も得られぬまま生き続ける。



 「明日」を盗まれた世界は、たくさんの苦痛から解放されたが、たくさんの報酬を失った。

 「今日」は何もせずとも訪れるし、今日がたくさん積み重なって「明日」になる事も無い。努力は実を結ばす枯れて、逃避はつけを払わされる事無く逃げ切った。

 なるほど、明日盗人は、世界を永久に平らかにしたかったのかもしれない。

 今日。変わらず、今日。繰り返す、今日。今までもこれからも、今日。

 進まず退かず、今日。足踏みをする、今日。廻るめぐる、今日。



 今日、もまた、深夜零時をまたぐ瞬間、どこかで誰かが首を括る。

 永久にぐるぐると回る円環から、抜け出したがった誰かが、首を括る。



 ⇒⇒⇒そしてまたはじめに戻る⇒⇒⇒

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