天国について話そう 1239字/30分
実は、天国って、今君たちが暮らしているこの世界の事なんだよ。
君たちは知らないだけなんだよ。世界は何層にも重なって存在していて、ここより下の世界で死んだ君たちは、この世界に昇ってきたんだよ。
……え? じゃあどうしてこんなに苦しいのかって?
やだなあ、君たちは最初が一番幸せで、後は落ちていくばかりなんだよ。死はもっとも重い罪で、苦しくて苦しくて死を選んだ彼女も、追い詰められ責任をとるために腹を切った彼も、今よりもっと苦しい場所へ落ちていくんだ。
じゃあ救いはどこにあるのかって? 無いよ。
救いなんてどこにも無い、君たちは自分で自分を救うしかないんだ。
……突然私の前に現れた黒い礼服の男は、そんな口上をつらつらと述べた挙句に両手をどんよりと曇った空へと差し上げた。
「素晴らしい!それでも君たちは死にゆくんだ!その先に待つのは苦難しかないというのに、ほら、君だって今まさにそのフェンスを乗り越えるところなんだろう?!」
私はぼんやりとその緑色のフェンスを見上げて、それから男を見た。私が胡乱げな視線を送っている事に気づいたのか、男は大仰に肩をすくめてからシルクハットを取って胸元にあてた。
「信じていないね?……でも真実だ。君が死んだらその魂は僕が上へと運んであげる。絶望渦巻く世界へようこそ!」
私が無視してフェンスに手をかけると、男は慌てたように詰め寄って声量を上げた。
「本当に死ぬのかい?世界の真実を知ってなお、より苦しい場所へ上がらされるのだとしても?」
「どんなに苦しいとしても、あいつに犯される毎日よりはマシだから」
ひゅう、と男が息を飲む音が聞こえた。私は枯れ果て涙も出なくて、淡々と男に語った。 実の父に幼い頃から性的暴力を受け続けている事。守ってくれた母親は死んだ事。たまに父の友人も加わる事。
言葉を失い、あー、だの、うー、だの言い出した男は、
「ええと、ほら、あれだ!上へ行った人たちは下を見られないけど、下で幸せに生きた人の幸せのエネルギー?的な何か?が上へ行った人の苦痛を和らげるんだよ!」
……段々わかってきた。最初から信じてはいなかったけど、この男は言うまでもなく天国の案内人なんかではなく、単に私を引き止めに来たお人好しなのだ。
必死に言い募るうちに設定がグダグダになって矛盾も生じてきているけど、なんだかばかばかしくて笑えてきた。
「うん、わかった、やめるよ。そんなに苦しいんだったら、死ぬのやめるから」
私がそう言うと男はぱあっと顔を輝かせて、心底嬉しそうに私の手を取って二秒で慌てて一歩下がった。
そうして。
「……お願いがあるんだけど」
「うん?」
もじもじとシルクハットのつばをこねくりまわしながら、男は上目づかいに私を見る。
「死ぬのをやめたんなら時間はあるだろう?……僕と、デートしてくれないかな」
私は一瞬あっけにとられてから、けらけらと笑い出した。
一週間ぶりに、声をあげて笑った。
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