その迷宮では夢が叶う 1315字/30分

 一歩、一歩、階段を下る。

 少しずつ気温が下がって、肌の上を女の白い手が撫でていく妄想に取りつかれそうになった俺は強く銃のグリップを握り締めた。

 ダンジョン、ラビリンス、その他呼び名はなんでもいい。気のふれた魔術師が最期に生み出した大迷宮は、ここシンジュクの地下深くに広がっている。

 スポーツ感覚でダンジョンアタックとしゃれ込む富裕層、一獲千金を夢見て死んでいく貧困層、俺はどちらかといえば後者に近い。

 この地下迷宮の環境は地上とはまるで違って、絶滅したはずの動植物や、レアメタルの類が発見されたりもする。俺の目当ては前者、どうしても見つけ出したい生き物がいる。


 しなやかな体躯、艶めかしくも甘い鳴声……。


 記録映像でその生き物を見た俺は、どうしようもなくその生き物に焦がれてしまい、学会を抜け妻子を捨て財産のほとんどを処分して迷宮探索用の装備につぎ込んだ。

 ただその事だけ考えて、夢でも見ているかのように真っ直ぐ走り続けるなんて、子供の頃以来だ。

 遺跡じみた階層、あの生き物はかつての文明の近くに暮らしていたらしいから、居るとしたらここだろう。灰色の泥を固めたような壁や、木を切り出して作った原始的な家具が風化してそこらに転がっている。

「ヂヂィ!」

 不意に物陰から飛び出してきた小さな獣の影と耳障りな鳴声。小さな的に銃弾は当てられない、振り上げた足で蹴り飛ばすとそれはか細い声をあげて動かなくなった。

 ……確かこの生き物も地上では絶滅している筈だ。スパゲティのような尻尾、灰色のごわごわした毛皮は剥いでも二束三文で買い叩かれるのが関の山だろう。

 その生き物の死体を放って歩みを再開した俺は、懐から一抱えほどの布包み取り出す。……昔書いた論文の権利を売り渡してようやく手に入れたこれは、俺の探し求める生き物の好物だという。この形状にとても懐く、らしいが俺が見てもよくわからない。

 そっとその棒を見渡しの良い場所に転がして、俺は少し離れた物陰からそれを窺う。


 どれくらい、待っただろう。


 うとうとしかけていた俺は、それを見た。

 貴婦人のような足取りで、歩み寄ってくる一匹の獣。間違いない。

 俺は汗でぬるぬるしてきた掌をそっとズボンで拭いながら、呼吸さえ止めてその光景を眺めていた。

 転がしておいた棒の匂いを嗅ぐと、獣は甘ったるい声をあげてその場に寝転んだ。包みを前足で抱き、ふにゃふにゃとすすり鳴いている。

 俺は物陰から飛び出すと、慌てて逃げ出そうとした獣に麻酔弾を撃ち込んだ。ころりと地面に落ちた布包みから、四つんばいの獣に似た不気味な肉色の塊がはみ出していたが、俺は焦がれ続けた生き物を捕らえた興奮に支配されていた。

 地面に横たわり動かないその生き物の胸がゆるやかに上下している。白くつるりとした毛の存在しない胴体と、長いたてがみの生えた頭部。少し力を加えれば折れてしまいそうな細い腰を掴んで身長に抱え上げる。

 俺の夢。

 ようやく手に入れたこの生き物との暮らしを思うと、思わず右第三触腕が鳴りそうだった。




 ※ニンゲン…かつて文明を支配していた獣。地上では絶滅している。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る