第203話´ はやし冷やかしにぎやかし´

 夕飯時、テーブルに並んだサラダボウルとカレーの皿を見つめながら、俺は手を合わせる。


 開け放った窓からは、ぬるい風が吹き込んできていた。


「はーい。それじゃあ、いただきます」


「「いただきます」」


 俺とぷひ子は、みかちゃんのかけ声に応じて呟いた。


 クロウサも、肉多めのカレーを前に律儀に前脚を合わせている。


「いつも思うけどぉ、それ今言っても意味なくなぁい? 殺す前ならともかくぅ、殺して刻んで煮てから言っても、ぶっ殺した奴らに対する死体蹴りよねぇ。勝利宣言でしょぉ」


 アイちゃんは、皆が揃うのを待つまでもなく、既に勝手に食べ始めている。


「斬新な発想ね。でもね、アイちゃん、いただきますには奪った命に対してだけではなく、生産者や料理してくれた人への感謝も含むのよ」


 みかちゃんがサラダを小皿に取り分けながら言う。


 とはいえ、いただきますの習慣が示す所には明確な定義もなく、日本人の謙虚な精神を示す伝統面をしている割には、全国的に定着したのは昭和に入ってかららしいけど。


 もちろん、わざわざみかちゃんの発言に水を差すようなことは言わないけどさ。


「ふぅん」


 アイちゃんが納得してなさげな、適当な返事をする。


 彼女に配給されたサラダの小皿は、俺の方に押しやられてきた。


 少しは野菜を食べなさい野菜を。


 まあ、アイちゃんは生肉とか生肝とか生き血とかも接種してるから、ビタミンは足りてるんだろうけどね。


 肉食獣が野菜を食べなくても大丈夫なのと同じ原理だ。


「みかちゃんのカレー好きー」


 ぷひ子が口の端を茶色く汚しながらカレーを掻き込む。


「ああ、やっぱりみか姉のカレーだよな」


 俺は皿に福神漬けを盛りながら頷いた。


「ゆうくん、納豆を入れるともっとおいしいよ?」


 ぷひ子が勝手に俺の皿に納豆をぶち込んできた。


 顔にトマトぶつけんぞ。


「悪くないけどぉ、パンチが弱いわねぇ」


 アイちゃんはタバスコや七味やらを振りかけまくってる。


 このカレーはぷひ子に合わせて甘口だから仕方ない。


「っていうか、アイ、ヘルメスさんとももうすぐお別れなんだから、向こうで食べればよかったのに」


 一ヶ月ほどこちらに滞在していたミケくんだが、そろそろタイムリミットらしい。


 ヘルメスさんは残り少ない時間を惜しむかのように、魔女の子どもたちと触れ合っている。


 そして、みかちゃんはヘルメスさんに気を遣ってこっちに来ているという訳だ。


 みかちゃんが向こうにいると、子どもたちがみかちゃんにばっかり群がって、ヘルメスちゃんの脳が破壊されるからね。


「嫌よぉ。クソガキ共とあいつが作ったものなんてぇ。下手したら鼻水とか入ってそぉ。絶対こっちの方が美味しいに決まってるしぃ」


 アイちゃんはそううそぶくと、スプーンを口に突っ込んで、プラプラさせる。


「そんなことないわ。確かに初めは色々と大変だったけれど、最近はみんな、すごく料理が上手になったのよ」


 みかちゃんがにこやかに訂正する。


 身の回りのことは、みかちゃんと家事娘ちゃんたちが優しく教えてるからね。


 あっ、ヘルメスちゃんが成長した魔女の子供たちの料理を食べて脳破壊されてる絵が見える見える。


「みか姉、アイは、本当はヘルメスさんと別れるのが寂しいんだよ。顔を合わせると余計に寂しさが募るから、敢えて避けてるんだ」


「はぁ? マスターぁ、本気で言ってるなら脳みそ切り開いて丸洗いした方がいいわよぉ?」


 アイちゃんがジロリとこちらを睨む。


 半分くらいは本気だけど、アイちゃんを怒らせるのもなんだから黙ってよ。


「ぷひゅー、アイちゃんは恥ずかしがり屋さんなんだー。じゃあ、手作りの特別なお土産で大好きだって伝えたらいいよ。えっと、アイちゃんの故郷の発酵食品だと――あ、そうだ。そのタバスコ、私が作ったんだよ。後はパイナップルで作ったお酢とかもあるし、私が作り方、教えてあげるね」


 ぷひ子がニコニコして言う。


 俺の家の調味料は八割以上がぷひ子製である。


 発酵が少しでも絡むものには全てぷひ子の愛情呪いがこもっている。


 ぷひ子は純粋な料理技術だとみかちゃんに敵わないから、調味料で俺の食卓を侵略してくるんだよね。


 もちろん、普通においしいからありがたいんだけどね。


「だから、余計なお世話よぉ。そもそも、あいつはその気になればなんでも作れるんだからいらないでしょぉ」


「発酵食品がふさわしいかはともかく、アイからのプレゼントなら、ヘルメスさんはなんでも喜ぶと思うよ」


 他愛ない会話。


 俺は麦茶のコップに手を伸ばす。


 刹那、音もなく、唐突に、俺の視界が白に染まる。


 勢いのまま指先に触れた冷たいガラスの感触。


「チッ、なによぉ! 飯時にぃ! ――シフトB!」


 アイちゃんが叫ぶ。


 風圧で床に這いつくばいの格好にさせられる俺。


 定期的に『守られる』訓練はしているので、動揺はなかった。


「クリア!」


「クリア!」


「クリア!」


 庭の外から声が聞こえる。


「マスター、ご無事ですか?」


 兵士娘ちゃんたちがいつの間にか俺の周りを固めていた。


「ああ、問題ない。二人共、大丈夫?」


「え、ええ」


「ぷひゅー、びっくりしたー」


「よかった」


 俺はぷひ子とみかちゃんを助け起こす。


 クロウサも俺を盾にするかのように背中に張り付いてるから無事だな。


 スマホが鳴る。


 ミケくんからだ。


 俺は無言でアイちゃんを見た。


「呪術的なトラップは感じない。問題ないわぁ」


 アイちゃんはそう言うと、カレーを咀嚼する作業へと戻っていく。


 どうやら大丈夫そうだ。


「わかった。ありがとう」


 俺はアイちゃんに礼を言って、通話に応答する。


「――ごめん、祐樹くん。驚かせてしまったと思うから、先に謝っておくよ。力が馴染むまで、上手くコントロールできなくて」


 ミケくんが、心底申し訳なさそうに言う。


 そのトーンで、俺は完全に状況を察した。


「そうですか。ということは、先ほどの光は……」


「ああ、ボクだ。どうやら、祐樹くんの言っていたことは本当だったみたいだよ」


「なるほど――えっと『おめでとうございます』でいいんでしょうか」


「そう言ってもらえると嬉しい――んだと思う。ごめん、ボクも少し混乱している」


 ミケくんが震える声で言った。


「とにかく、お話ししましょう。クセニアも側にいますね? 一緒に、俺の家へいらしてください」


「わかった。ごめんね。夕食時に」


 それだけ会話を交わして、俺は通話を切った。

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