第202話 みんなみんな生きているんだ
「だからぁ、やっぱり人質をとらないと話にならないと思うのぉ。夜討ち朝駆けも効かない以上はねぇ」
今日もミケ氏に手も足も出なかったらしいアイちゃんは、俺の家に来てソファーに腰かけるなり、開口一番そう言った。
「人質って、ミケさんにとっての大切な人じゃないと意味なくない? ここら辺にそんな人いる?」
俺はデスク仕事を中断し、ペコペコタイムに突入する。
戦闘で荒れたアイちゃんの爪や指を、オイルやらなんやらで綺麗にしながら呟く。
俺氏はシエルちゃんの所で、ファッションの延長線上で美容についても色々学んでいるので、こういう好感度稼ぎもできるのだ。
完全にホストかヒモのような奉仕っぷりだが、俺氏にはプライドも何もないので平気である。
「極論、誰でもいいのよぉ。ああいうキザキザアスパラガスは、見ず知らずの他人でも救えるなら救おうとするでしょぉ? ヒーロー気取りぃ」
アイちゃんは当然のように俺の奉仕を受け入れながら、歯ぎしりして天井を仰ぐ。
ミケくんのあだ名がモヤシからアスパラガスにランクアップ? している。
ある意味、アイちゃんからミケくんへの敬意の証ともいえる。
アイちゃんの言う通り、ミケくんは初対面の一般市民のためにも身体を張るだろう。
でも彼が他人へ優しいのは英雄願望があるというよりも、日頃たくさんの人命を奪っていることへの贖罪の意味が大きい。
まあ、その動機も逆にヒーローっぽいけどね。
「本気でミケくんと殺し合わなきゃいけない場面なら俺も止めないけど、さすがにお遊びの模擬戦で人質はナシだなぁ」
「人じゃなくてもいいわぁ。そこらの飼い犬とか、野良猫とかでも、あいつが見殺しにするラインを探るぅ。あいつの余裕ぶった笑顔の仮面を引っぺがすぅ」
アイちゃんが邪悪な笑みを浮かべて言う。
やっぱり越えるべき敵を前にしたアイちゃんはイキイキしてるね。
でも、その仮面が引っぺがされたミケくんはバーサーカーモードなのでダメです。
「野生の鹿とか猿とかじゃだめなの?」
「自然で強者が弱者を狩るのは、ただの摂理でしょぉ? あいつが嫌がるのはぁ、『人として」の倫理を犯されることだからぁ、誰かが大切している生き物じゃないとだめぇ」
アイちゃんが首を横に振って言う。
(その通り。この短期間でここまでミケくんを理解するとは、さすがアイちゃん)
相手の嫌がることをするのは戦争の基本だからね。
「なるほどね。理屈としては正しいけど、無駄に残虐な所を見せてミケさんの心象を悪くするのは今の所得策じゃないかな。ハンナさんに頼んで本物そっくりのロボット動物を作ってもらうから、とりあえずはそれで勘弁してよ」
俺は生き物苦手民ではないので、普通に犬猫がかわいそうだし。
「キザパラは普通に見抜くと思うけどぉ? まあ、試してみるくらいはいいかもねぇ」
アイちゃんは不承不承といった感じで頷くと、テーブルの上にドンっと足を投げ出した。
フットネイルもやれとおっしゃる?
まあ、やるけどね。
「失礼致します」
アイちゃんに媚びまくる俺に、落ち着いた声が投げかけられる。
事務畑の幹部娘――フオンちゃんがすでに開いているドアの扉に形式上のノックをしていた。
「ああ。ちょうど休憩している所だから大歓迎。何かあった?」
「……はい。至急、マスターに相談させて頂きたい案件が」
遠慮がちに中に入ってきたフオンちゃんはそう言って、アイちゃんをチラリと一瞥した。
「ふぅん、アタシが邪魔ってわけぇ? アタシに聞かせられないとなるとぉ、普通の仕事上のトラブルではないわねぇ。となると、もしかしてぇ、誰か妊娠でもしたぁ? 野良猫みたいにぃ」
アイちゃんがからかうように笑う。
「そんな訳ないでしょう」
「――真顔? いつものあんたなら、もっと呆れた感じで言うわよねえ。ってことは、マジぃ? みんなで堕胎費用をカンパするお決まりイベントでもするぅ?」
「アイ、ミケさんに負けたからって八つ当たりするのはよくないよ。席を外して」
「えー? まだ薬指と小指が残ってるんですけどぉ?」
アイちゃんが足の指をグネグネさせて、一部のフェチ太郎たちが喜びそうな動きをした。
「アイ」
「はいはーい。マスターのお望みのままにぃ」
アイちゃんは異能の風と熱でネイルを一瞬で乾かすと、窓から外へ出て行った。
とはいえ、アイちゃんがガチると普通に盗み聞きされると思うけど。
「マスター、お手数おかけしました」
「いや、全然大丈夫。それで?」
「ええ、それが、部下から相談を受けたのですが、どうにも私個人では判断しかねるので、マスターの判断も仰ぎたいと思いまして」
「わかった。伝聞情報より直接話を聞いた方がいいよね。その子は今来てる?」
「はい――クセニア!」
振り向き、呼びかけるフオンちゃん。
「失礼します」
クセニアと呼ばれた少女が緊張の面持ちで部屋に入ってくる。
「こんにちは。いつもありがとうね」
軽く手を挙げて挨拶する。
俺はもちろん、彼女を知っている。
日頃は平娘ちゃんなどと雑な
出身としては、ロシアと某国の国境辺りの紛争地域の生まれと聞いている。
ロシア系の少女というと、創作物では大体、金髪か銀髪にされがちだが、彼女の髪色はダークブラウン。顔は関西製作の朝ドラのヒロインのような愛嬌のある顔立ちをしている。
一言でいうと、そばかすの似合う素朴なカントリーガールといった感じだ。
「……えっと、その」
クセニアちゃんが口を開いて、また閉じる。
「クセニア、マスターが貴重なお時間を割いてくださってるのだから、ちゃんと自分の口で言わないと」
フオンちゃんがクセニアちゃんの背中を擦って促す。
「はい。あ、あの、私が、ミケさんを好きになっても、問題ありませんでしょう、か」
クセニアちゃんが意を決したように言う。
(なるほど、そうきたか)
「……一応確認させてもらいたいんだけど、それはネタのワーキャーじゃなくてガチのやつだよね?」
「は、はい」
クセニアちゃんはそう答えて恥ずかしそうに俯く。
「そっか。わかった。結論から言うと、特に問題ないと思う」
「よろしいのですか? 私たちの方針としては、ヘルメスさんとミケさんとの恋を応援する計画ですが」
「いや、まあ、確かに、俺はヘルメスさんとのミケさんの恋を応援してるけど、他の人との恋愛を否定している訳じゃないしね。前も言ったと思うけど」
「ええ、ですが、さすがに身内からというのは、公私混同と申しますか」
フオンちゃんが気まずそうに言う。
ああ、クセニアちゃんはフオンちゃんの部下だから、その辺りの責任を気にしてるのね。
「まあ、営業先の人と恋愛関係になるなんて一般社会ではよくあることだし。ともかく、俺としては、こうして報告してくれただけで嬉しいよ。――えっと、上手くいくといいね」
俺は保護者面して、クセニアちゃんに笑いかける。
「あ、ありがとうございます」
クセニアちゃんはホっとした様子で何度も頭を下げた。
「よかったわね、クセニア。それじゃあ、仕事に戻りなさい」
「はい、失礼します」
クセニアちゃんが丁寧にお辞儀して去っていく。
まあ、社長(俺)と部長(フオン)の手を、平の立場で煩わせてると思うと緊張するよね。
「寛大なご判断の感謝致します。――ですが、こうなると、ヘルメスさんとミケさんの恋を応援するというのも中途半端になってしまいそうですね」
フオンちゃんが苦笑いする。
「まあ、元々、仕事と言いつつ、半分遊びのようなノリだったしね。一応、ヘルメスさん推しの方針は変えないけど、他のみんなが個々人の判断でクセニアを応援しても俺は咎めないよ」
俺はネイル道具を片付けながら言う。
「では、そのように周知しておきます。――それでその、クセニアの前では言い出しづらかったのですが、一つ質問よろしいですか?」
「なに?」
「このような下衆な勘繰りはしたくないのですが、ミケさんの逆ハニートラップ《ロミオ諜報員》の可能性はありませんか?」
フオンちゃんが心配そうに言った。
「確かに、可能性としてはあり得るね。でも、ミケさんはそういうタイプじゃないんじゃないかな。もし、情報を引き出すという任務があったとしても、彼は、ハニトラではなく、脅迫とか拷問の方を選ぶと思う」
俺は即答した。
「そうですか? 僭越ながら、私はミケさんからマスターのおっしゃるのとは逆の印象を受けたのですが」
「ミケさんは人の心を神聖なものとして扱っている節が見受けられるからね。それを冒涜するような行いを嫌う。恋心を弄ぶよりは、身体を弄ぶ方がまだマシだと考えるタイプだ。ハニトラの方がスマートなやり方だとしても、敢えて嫌われる拷問とか脅迫を選ぶ」
俺はコップに残った麦茶を飲み干して言った。
身体の傷はいつか治って忘れるが、心の痛みは一生モノだ。
誰かの恋愛感情を弄ぶよりは、一時的な肉体的苦痛を与えて任務を達成し、自分が嫌われ者になった方がいい。
そういう発想である。
ある種の自己犠牲的行動方針であり、穿った見方をすれば、アイちゃんの言う通り、『キザ』ともいえるかもしれない。
だけど、主人公はちょっとクサいくらいがちょうどいいのだ。
「なるほど……。そういうものですか。マスターの洞察力には感服します。――確かに、機密情報を狙うには、クセニアではアクセス権が不十分ですしね。狙うならば、せめて、幹部級の子でないと」
「まあ、それもあるよね」
「となると後はクセニア次第ですか。失恋した場合は問題ありませんが、もし、成功したら、もう一緒に働くという訳にはいかないんでしょうね」
「さすがに、現実的にウチで勤め続ける、というのは難しいよね。フリーランスみたいにして、機密の絡まない仕事だけ振るとかはできるけど、同じ仕事場というのはさすがにね」
「ですよね。スキュラでは別に仲良い訳でもなかったのに、今となっては誰も欠けて欲しくないなんて思ってしまいます。幼稚な家族ごっこに過ぎないとわかってはいるんですが」
「そう? 俺は本当に家族だと思ってるけど」
俺は真顔でサラっと言う。
俺氏も主人公だからキザなのだ。
「そうですね。マスターはそういう人ですよね――家族としては、家長の伴侶も気になるところですが」
フオンちゃんはそう言うと、一瞬、仕事モードを崩し、くだけた笑みを浮かべる。
「はは、ヘルメスさんにも似たようなこと言われたな。最近、やたらとみんな俺の将来を気にしてくれるね」
俺は苦笑して言った。
「……失礼しました。軽口がすぎました」
フオンちゃんがいつもの仕事モードに戻って、一歩下がる。
「気を遣ってくれるのは嬉しいよ。じゃあ、参考までに、フオンは俺が誰と一緒になれば安心なの?」
俺は冗談っぽく尋ねる。
「それはもちろん、みかさんです! 私だけではなく、少なくとも非戦闘員はみんなそう思ってます」
フオンちゃんが食い気味でそう断言した。
みかちゃんがみんなから慕われているのは知っていたけど、ここまで精神汚染、いや、浄化? 祝福? が進んでいるとは思わなかった。
でも、客観的視点でみればそうなるよね。
例えば俺がアイちゃんとかとくっつくと、非戦闘員の子たちはやりづらいだろうしな。
「……貴重なご意見ありがとう。まあ、こういっては何だけど、クセニアの件も、俺のアレコレも、今はまだ、全部、絵に描いた餅だよね。仮定についてあれこれ話しても仕方なくない?」
「おっしゃる通りですね。クセニアの案件はともかく、マスターの件はシエルさんとの婚約を何とかしないと始まりませんし」
「現実を思い出させてくるねえ、フオン」
俺は肩をすくめて、飲み終わったコップを台所に下げた。
「申し訳ありません。でも、夢見心地で仕事をする事務なんて最悪でしょう?」
「だね。じゃ、しがない現実に戻ろうか」
俺は再びデスクについて、パソコンと向き合う。
「ですね。お時間とらせました」
フオンちゃんが楚々とした足取りで立ち去る。
やがて甘い夢は霧散して、俺の頭の中を現実的な金勘定が埋め尽くした。
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