第211話 幕間 それでもメイドは企む
私の人生を激変させるような出来事から、一夜明け、諸々の手配を終えた私は、再びメイド服に身を包んでいた。
ユウキ少年との取引をまとめた書類を作りながら、私は自分の心が混乱するのを感じていた。
あり得ないはずのことが起こってしまった。助からないはずの人が助かり、私の計画は全て、水泡に帰した。
ヨーロッパ全土に数百年は立ち直れないくらいのダメージを与えるつもりだったが、もはやそれを実現するほどの精神的なバイタリティを私は持たない。
いっそのこと職を辞して、生き残った人たちと静かに暮らしていきたいとすら思ってしまう。だが、ここまでの立場になってしまうと、ハンプトン家の頸木から抜け出すのは容易ではないのも事実だ。
退職理由を探られるのもまずいし、ひとまずは今まで通りの働きをするしかないだろう。
それはつまり、今後もあのご主人様に仕え続けるということである。その顔を見る度、殺意と嫌悪感が沸き起こるような相手のために働き続けなければならない。はなはだ、不愉快な状況だ。
かといって、あの男を殺したとて、今の私にメリットは薄い。
ハンプトン卿を殺せば、私はその後継者候補に、その正統性を証明するための手柄として、格好の標的とされるだろう。
もちろん、今の私なら、誰かに下手人の罪をなすりつける程度のことはできる。できるはずだが――。
(毛も生えてないようなガキにここまで 出し抜かれるとは……。私も焼きが回りましたねー)
はっきりいえばナメていた。ユウキ少年は、麒麟児は麒麟児だろうが、世界中の天才が集まるハンプトン家ならばザラにいる程度の才能だと解釈していた。なので、お嬢様が成人するまでの虫除け程度に考えていたのだが、私の認識は完璧に誤っていた。
と、なれば、私が今、過小評価している罪のなすりつけの候補も、思ったよりも有能なのかもしれない。窮鼠猫を噛まれて、手痛い反撃を受けることにもなりかねない。
そんなことまで考えてしまう。
(つまり私は、自分が思っているよりも優秀でない、ということなのでしょうね)
だとすれば、些細な復讐心が満足する代償に、助かった人々の命を危険に晒すのは、あまりにも愚かだ。
少年はこういった心の動きまで読んだ上で、私のことを『信用』したのだろうか?
だとすれば、脱帽だと言わざるを得ない。
(これから何を目標に生きて行けばいんですかねー。私は)
書類の手続き終えて、該当の部署に引き継ぐ。
やろうと思えば仕事はいくらでもあるが、暇と言えば暇だ。
そんな時、ふと見たくなった顔は、自分でも意外なものだった。
私はその場所へ、気まぐれに足を向ける。
「シエルお嬢様ー。カーラですー。少々お邪魔してもよろしいでしょうかー」
私は部屋の扉を三回ノックして言った。
「どうぞお入りになって」
「失礼致しますー」
ドアを開けて中に入る。
シエルお嬢様はお出かけの支度中だった。
お嬢様は椅子に腰かけ、ソフィアがその髪をセットアップしている。
そういえば、お嬢様は確かこの後、ユウキ少年と街でデートする予定だったか。
「カーラ。なにか問題でもございまして?」
シエルお嬢様が、鏡越しに首を傾げる。
「いえ、特にはないのですが、久々にお嬢様とお喋りしたい気分だったのでー」
本来、メイドとしては不遜な物言い。
だが、私はこれでいい。
お嬢様は年の離れた姉のように思われているだろうし、ご主人様にもそのように振る舞って欲しいと言われている。
信用できない親族に取り入られるよりは、信用できるペットを姉のように仕立て上げた方が安心だ――というのがご主人様の発想だ。
「あら、嬉しいことを言ってくれますわね」
お嬢様が、家族にだけ向ける屈託のない微笑みをする。
「はいー。ソフィア、仕事をとって申し訳ないですけど、代わってもらっても構いませんかー?」
「もちろんです。メイド長」
ソフィアが一礼して脇に控える。
お嬢様が妹なら、ソフィアは弟子のような存在だ。
否はないとわかっていた。
「懐かしいですわ。昔、ソフィアについてもらう前は、よくこうやってカーラに奉仕を受けておりましたわよね。よく考えたら、メイド長にさせるような仕事ではないのですけれど」
「そうですねー。私にとってはつい昨日のことのようなのですがー、今、お嬢様に昔と言い切られてしまい、自分の年をまざまざと自覚させられましたねー」
「ふふ、それは失礼致しましたわ。でも、何歳になっても、カーラは素敵ですわよ。もし私が男子だったら、きっと初恋を捧げていたと思いますわ」
私の軽口に、お嬢様は悪戯っぽく笑う。
ご主人様は地獄に落ちるべきクソ野郎であるが、シエルお嬢様に対しては彼なりの愛情を抱いているようだ。
シエルお嬢様は、ご主人様の理想に従い、物語のお姫様のように育てられた。
ただし、古臭いグリム童話ではなく、自立したディズニープリンセスのようにであるが。
完璧な純粋培養ではなく、そこそこ汚い所も見せる。でも、本当にどす黒い所は見せない。
上手いやり方だと思う。
それこそ、暴力や性がオミットされた適度な『試練』を与えられるディズ〇ー映画のヒロインのように、彼女は健全で魅力的な貴族に育った。
「それは光栄ですねー。でも、現実のお嬢様の初恋は泥棒猫くんにとられてしまったみたいですけどー」
「あら、どなたのことでしょう」
お嬢様はわざとらしくとぼける。
「またまたー。彼は随分立派に育ってましたよー。日本には、『男子三日会わざれば刮目して見よ』ということわざがあるそうですが、まさにその通りでしたねー」
私はお嬢様の髪を梳きながら言う。
「あら、本当ですの!? カーラにそこまで言わせるということは、やはり、ワタクシの見る目は確かだったということですわね。ソフィアもカーラも、はじめはユウキの評価が低かったので、ワタクシ、本当の所を申し上げると、少々心配しておりましたのよ?」
お嬢様は手を叩き、嬉しそうに顔をほころばせた。
「私の場合は個人的な因縁がありましたから……」
ソフィアが苦笑する。
「私も、ちょっと頭でっかちが過ぎましたー」
私はそう言ったが、今でも、彼と初対面時での判断は間違ってなかったと思う。
普通に考えて、極東の田舎のろくな帝王学の教育も受けていない少年が、ハンプトン財閥の婿にふさわしい力量を備えていると思う方が異常だろう。
逆になぜシエルお嬢様が、なぜ確信を持って自らの婚約者としてあの少年を推せたのかが気になる。
ユウキ少年はお嬢様に真相を話している訳ではなさそうだし、本当に人物鑑定眼だけで彼の力量を見抜いたのか。だとすれば、さすがはハンプトン家の血筋ということか。
(いや、さすがに考えすぎですかねー)
大方、たまたま近くにいた男子で有能そうだから目についただけだろう。
現に、お嬢様は、ご主人様の本性も、私の正体も見抜けていらっしゃらない訳であるし。
もしくは、どれだけ疑うことを教えようとも、シエルお嬢様は本質的に善良なので、人の良い所しか見えていないのか。
「ふふん。荒事ではどう足掻いても二人には敵いませんから、少しは主人らしい所を見せられて満足ですわ」
シエルお嬢様が胸を張って言う。
「おみそれしましたー。それでー? お婿様とはどこまでいったんですかー? もうチューくらいはしましたー?」
「メイド長ともあろう者がはしたないですわね。対外的にはともかく、ユウキはただの仲の良いお友達ですわ」
お嬢様がツンと済まして言う。
「本当にそれだけですかー?」
「それだけですわよ? 男性の中では一番親しいかもしれませんけど」
「はぐらかさないでくださいよー。私とお嬢様の仲じゃないですかー」
私は髪にウェーブをかけながら、そう追撃する。
これからもハンプトン家に仕えるなら、建前上はご主人様の命令を最優先で動いているように見せなければいけない。それは分かってる。
でも、個人的な感情でいえば、ハンプトン家の血筋の中で仕えてもいいかな、と思えるのは、シエルお嬢様くらいしかいない。他は全員、大なり小なりクズであるから。
そういう意味で、今、シエルお嬢様が何を考えているのかは知悉しておきたいところだ。
「……ユウキ王子様の童話の中では、ワタクシはせいぜい七人の小人の中の一人程度の役どころですわ。ライバルが強力すぎますのよ。物語の途中で登場した魔法使いが王子様と結ばれたら、観客は納得しないと思いますわ」
シエルお嬢様は冗談めかして言い、肩をすくめる。
しかし、私はその言葉の端に、僅かに寂しさを見て取った。
お嬢様がハイハイしている頃から見ているのだ。
他の者には分からなくても、私には分かる。
(ふむ。この反応を見るに、ユウキ少年の方はともかく、お嬢様の方は脈がありそうな雰囲気ですね)
好意というのは、常に非対称なものである。
友達同士でも、恋人同士でも、常にどちらかの好きが、どちらかより大きいものだ。
「ハンプトン家の娘としては、弱気すぎる発言ですねー。恋愛は戦争だと、何度も申し上げたつもりですがー」
「そういうやり方をユウキは好まないでしょう。それに、恋敵の娘たちも、ワタクシと利害関係抜きに付き合ってくださる大切なお友達ですわ。ワタクシは彼女たちのことも大事に思っておりますし、逆にワタクシのユウキへの男性としての好意も、今はその関係を壊したくないという想いに負ける程度のものだということです」
シエルお嬢様はきっぱりと答える。
(本当にかわいらしいお嬢様ですねー。ご主人様の妹でなかったら、もっとよかったんですけれどー、世界はままなりませんねー)
もし貴族がみんなシエルお嬢様のように立派で高潔な人格の持ち主だったなら、私は無邪気な心からの忠誠を誓うことができただろう。
でも、そんな貴族ばかりだったらなら、彼らが現代で権力を保ち続けることはできなかったに違いない。
「なんとなく分かりましたー。でも、どうであれ、私はシエルお嬢様の味方ですからー」
私はシエルお嬢様を後ろから抱きしめて言った。
あの男が、私の故郷の人々を殺し、今もシエルお嬢様と同じくらいの年齢の罪のない子どもを痛めつけていると、私は知っている。しかし、それでもなお、私はお嬢様を憎めない。
当初の復讐計画では、シエルお嬢様を利用するつもりだったが、憎しみに心を支配されていたあの時でさえ、罪悪感がなかったと言えば嘘になる。
「ふふっ、急にどういたしましたの? もちろん存じ上げておりますわ。カーラのハンプトン家への厚い忠誠は、今更確認するまでもないことでしょう」
シエルお嬢様はくすぐったそうに身をよじって言った。
「いえ。お嬢様にしては、随分、気を抜いた格好だと思いましてー」
私はお嬢様の服の袖を摘まんで言う。
お嬢様の今日のお洋服は、有名ブランドが中産階級にも手が届くように立ち上げた、いわゆるセカンドラインの製品だった。
ハンプトン家の子女が気になっている男の子とデートに着ていくにしては、少々安っぽい格好である。
「ユウキは庶民の育ちですから、あまり高価なブランドもので固めていくと、かえって引いてしまうようですの。故に、敢えてのカジュアルですわ」
シエルお嬢様がニヤリと意味深な笑みを浮かべた。
「相手に合わせるのではなく、相手に合わせさせるのが王のやり方ですよー?」
「王はお兄様ですから、ワタクシはまだそこまで尊大に振る舞えませんわ。それに、ユウキにはファッション講習をしておりますのよ。見所のある殿方を、徐々に自分好みに育てるのも趣きがあって良いのではなくて?」
シエルお嬢様が余裕の表情でかわいらしく小首を傾げる。
「なるほどー。お嬢様は立派なレディにお育ちあそばしましたねー。元教育係として感慨深いですー」
「当然ですわ。ワタクシですもの」
シエルお嬢様は、化粧筆を動かす私に合わせて目を閉じる。
(ちょっとやる気が出てきましたー。ユウキ少年は、おそらく、私がこのまま大人しくしているのを期待してそうですが、思い通りになるのも癪ですもんねー)
ご主人様への復讐にもなり、シエルお嬢様のためにもなり、かつ、あの少年にとっても利益のある計画であれば、無理のない範囲で企んでみるのも良いだろう。
(とりあえず、どこまで協力してくれるか分かりませんが、あの凄腕エージェントさんと連絡でもとってみましょうかねー)
そんなことを考えながら、今しばらくシエルお嬢様とのふれあいを楽しむ私だった。
=================あとがき=================
皆様、お疲れ様です! 2月19日の本作、発売に向けてちょっと早めの更新。
そして、お知らせです。
大変ありがたいことに、本作のPVを作って頂きました!
CVは、な、なんと 田村ゆかり 様です!
さすがに説明は不要ですよね。
王国民の方もそうでない方も、世界一かわいいので一度は見て頂けると嬉しいです。みかちゃんも田村ゆかり様も神↓
https://www.youtube.com/watch?v=s1x-TVvL79E
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