第197話 亀の甲より姉の功

「くぅ! いい加減諦めなさいよぉ! 金魚の糞みたいにしつこぃ!」


 アイちゃんが鋭い足さばきで円盤を蹴り出す。


 ノールックでフェイントを交えた見事なシュートだ。


「今度は諦めない! あの時とは違うから!」


 ヘルメスちゃんは足下を見ずに、円盤を弾いた。


 そのまま何度か壁にぶつけて勢いを殺し、円盤を確保する。


「チッ。何で対応できるのよぉ! あんたの動体視力じゃ、追い切れないはずでしょぉ!?」


 アイちゃんは舌打ち一つ、姿勢を落として反撃に備える。


「悪戯を思いついた時に舌をチロチロ出し入れするクセ、昔のままね。アドリアナ!」


 ヘルメスちゃんが円盤を斜めに蹴り出す。


「とっくに直したわよぉ! そんなのぉ!」


 壁に当たり鋭角にゴールを狙うそれを、アイちゃんは新体操のような大開脚で弾き返す。


「そうみたい、ね! それを我慢する時に、右手の親指と薬指を擦り合わせるクセはちょっと残ってるみたいだけど!」


「黙れぇ! 死ねぇ! うざすぎぃ!」


 激しいラリーの応酬。


 ヘルメスちゃんが決めて、12対12。


(なるほど。ヘルメスちゃんはアイちゃんとの戦闘経験の差を姉ムーブのメタ読みで埋めてるという訳か。それで互角ね)


 俺は納得する。


「アドリアナ、なんでウチを避けるの!? ウチはあの時のことをちゃんと話し合いたいだけ。仲直りして、昔みたいに戻りたいだけなのに!」


「わかってないわねぇ! どうでもいいのよぉ! そんなのぉ!」


「よくないわよ! アドリアナはウチに見捨てられたと思って傷ついてるんでしょ!」


「ああ、ほんとうっざぃ! 過去は過去ぉ! 記憶なんてすぐに形を変える煙のようなもの。真実なんて無意味ぃ! 全ては今、今でしょぉ!」


 アイちゃんが返した。


 13対12。


「なら、ウチはどうすればいいって言うのよ!」


「知るかぁ! 勝手に生きればいいでしょぉ! アタシはアイ! 何度言わせればわかるのよぉ、耳ついてんのぉ!?」


「――わかったわ。じゃあ、もうウチを姉と思わなくてもいい。一から始めましょう。ウチと――ヘルメスとお友達になってくれる? アイ!」


「黙れ、黙れ、黙れぇ! アタシは雑魚には興味ないのよぉ!」


 ヘルメスちゃんの攻撃をアイちゃんが弾いたが、勢いを殺し切れずに失点。


 13対13。


「強くなれば文句ないんでしょう。なら、なってあげるわよ!」


「円盤蹴りで競ってるくらいでぇ! 調子乗るんじゃないわよぉ! これが平場なら、秒殺ぅ、即殺ぅ、惨殺ぅ!」


 アイちゃんは魔法陣でも描くかのように、足で複雑なステップを踏む。


 繰り出した円盤が複雑なカーブを描いて、ヘルメスちゃんのゴールへと突き刺さる。


 14対13。


 マッチポイント。


(魔球? いや、エアホッケー系の競技で魔球は物理的に無理だよな。まさか、能力使ってないよな?)


 いや、アイちゃんはこういうルールは守るタイプだし信じよう。


 まあ、『イカサマはバレなきゃイカサマじゃない』理論を適用している可能性もあるけど。


「確かに戦闘能力では当分アイに敵いそうにないわね。だから、別の戦場を選ぶことにするわ」


「別の戦場ぉ!? 上等ぉ! やれるものならやってみなさいよぉ! いつでもぉ、どこでもぉ、いつまでもぉ! アタシは最強ぉ!」


「そう。じゃあ、遠慮なくユウキにアタックさせてもらうわね。強者は強者でも恋愛強者を目指すわ。これなら、ウチにも勝ち目はありそうじゃない?」


「はぁ!? あんた、頭に卵子でも詰まってんのぉ!?」


「ふふふ、動揺してるわね! さすがにユウキが奪われるかもしれないってなれば、アイも私を無視できない、でしょ!」


 ヘルメスちゃんは円盤を引っかけて空中に浮かせると、オーバーヘッドキックを決めた。


 円盤はUFOのような予測不能の軌道を描き、アイちゃんのゴールへと到達する。


 14対14。


(おいおい、聞いてないんですけど。勝手に俺をトロフィーワイフ――ハズバンド? にするのやめてくれません?)


『素晴らしいヒロインちゃんに主人公なんかはふさわしくないから、私がヒロインちゃんを守るために主人公と付き合います!』


『完璧なヒロインちゃんには何をやっても敵わない……。悔しいから、ヒロインちゃんの好きな主人公を奪ってざまぁしてやる』


 今回のヘルメスちゃんの発言は、これらのラブコメでよくあるパターンの亜種といっていい展開である。


 マンガならばお遊びで主人公にちょっかいをかけている内に、本気で主人公のことを好きになってハーレムメンバー入りするパターンの展開が予想されるといえよう。でも、それって一般に負けヒロインのムーブだから。


 ヘルメスちゃんのメインヒロインとしての格が下がるから、原作厨の俺的にはあんまり望ましくない。メインヒロインはもっと気高くあれ!


 大体、俺を攻略すると公言するとか、ぷひ子がブチキレそうだから本気で困る。


 今日ぷひ子がここにいなくて良かったよ。


 っていうか、ヘルメスちゃんさあ、姉妹百合も結構だけど、もうちょっと真面目にミケくんを攻略してくれ。


「このぉ! むしゃくしゃするぅ! ――覚えてなさいよぉ! マスタぁー! アタシが勝ったら無茶苦茶よぉ!」


 そう言って、なぜか俺に恨みがましい一瞥を加えてくるアイちゃん。


(なにそれ怖い。一体どうなっちゃうの俺)


 俺は内心ビビりながらも、余裕の笑顔を浮かべて、軽く手を振った。


 ここはヘルメスちゃんが勝つことをお祈りするしかないのか。


 まあ、でも、アイちゃんが負けたら負けたで、彼女がリベンジモードに突入して、またヘルメスちゃんとの関係が色々こじれそうだしなあ。


 やっぱりここは俺が人身御供になるしかないのか。


「もう勝ったつもり? 詰めが甘いと足下をすくわれるわよ」


「言ってろぉ! アタシが勝つと決めたら勝つのよぉ!」


 円盤が乱舞し、最後の一点を争うラリーは空中戦の様相を呈する。


「なにその動き! おかしくない!?」


「はははは! アタシに勝ちたいなら、関節ぐらい自由に外せるようにならなきゃねぇ!」


(ヘルメスちゃんも頑張ってるけど、やっぱり最後はアイちゃんかな? グッバイ、俺)


 俺が覚悟完了しかけたその時――


 ピョン。


 っと、コートに乱入する小柄な影。


「……」


 体操選手ばりのバク転を決め、予期せぬタイミングでアイちゃんの一撃を跳ね返す。


 呆然とする二人を後目に、アイちゃんのゴールを貫く円盤。


 ププププッププーっと、間抜けなラッパの音が試合の終了を告げる。


「……こういう場合どうなるの? やっぱり引分けかしら」


「……。……。……。アタシの負けでいいわよぉ。ポン子はアタシの子分だしぃ」


 アイちゃんが不貞腐れたように顔を歪めながら、渋々といった声色で敗北を認める。


「そう? なら、約束通り、一日中ウチに付き合ってもらおうかしら」


 衒いのない声で言い、爽やかに笑うヘルメスちゃん。


「チッ。――ポン子ぉ。余計な気を回すんじゃないわよぉ。大きなお世話ぁ」


 アイちゃんがタブラちゃんの頭を拳でグリグリおしおきしながら呟く。


 タブラちゃんはちょっと痛そうに目をきゅっと瞑りながらも、口元には相変わらずのニコニコ顔を浮かべていた。


 タブラちゃんの行動はただの気まぐれか。


 それとも、アイちゃんの言うように空気を読んだのか。


 何となく後者な気がする。


 まあ、ともあれ、試合の決着はついた。アイちゃんの負けは負けだけど、自責じゃないという点で彼女のプライドは守られたのだ。


「決まりね。じゃ、そういうことで、ユウキも行くわよ」


 競技用のプレートを脱ぎ、元の靴に履き替えたヘルメスちゃんが当然のようにそう言い放つ。


「え? 俺も?」


「当たり前でしょ。さっきのウチの熱い告白聞いてたわよね。ウチがユウキにアタックするんだから、ユウキがウチの近くにいなきゃ始まらないじゃない」


 そう言って、ヘルメスちゃんが俺の手を取る。


 躊躇なく恋人つなぎしてくるあたり、アイちゃんとの確かな血のつながりを感じるね。


 でも、体格的にヘルメスちゃんの方が俺よりだいぶ大きいので、カップル感はないな。


 姉に面倒見られてる弟っぽい感じだ。


「だけど、俺にはホスト側としてミケさんをもてなす役目があるんだけど……」


 俺は一応の抵抗を試みる。


 行かざるを得ない流れであることは分かっているが、ノリノリでついていくと、他のヒロインの好感度が下がりかねない。


「別にミケにはユウキのところの女の子がついてるんだから必要ないでしょ? ――ねえ! ミケ、問題ないわよね?」


 ヘルメスちゃんがミケくんに気楽な調子でそう問いかける。


 確かに二人の友人関係は進展しているらしい。


 俺の期待している方向性ではないにせよ、それ自体は喜ばしい。


「ああ、ボクは構わないよ」


 ミケくんはクールにカップの飲料に口をつけてから、肩をすくめて頷く。


 まあ、ヒロインのお願いは断れないよね。


 俺がミケくんの立場でもそうするよ。


「でも、ミケさん、いいんですか? 俺を観察するチャンスが減りますよ」


「それは残念だけど、どうやら今の環境ではこれ以上の情報は出てこなさそうだしね。キミは中々の役者みたいだから」


 ミケくんはそう言って微笑む。


「ははっ、いい気味ぃ。マスターも、このウザ女のウザさを吐き気がするほど味わえばいいのよぉ。死なばもろともぉ」


 アイちゃんが釣り上げられた深海魚のような血走った目で呟く。


「……」


 タブラちゃんも、状況を知ってか知らずか、赤べこのごとく首を縦に振っている。


「そういうことなら、俺も拒否はしないけどさ」


「じゃあ、行きましょ。ユウキのこと、色々聞かせてもらうわよ」


 ヘルメスちゃんはそう言って、ガキ大将のような笑みを浮かべた。

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