第177話 歌姫は未来の希望
「歌姫? ビヨ〇セやアヴリ〇みたいなものか? 私は日本人の歌姫なんて一人も知らないが」
アビーさんが首を傾げて言う。
「まあ、海外だとそうですよね。日本人なら知らない人はいないくらい有名なんですけど――ええっと、ほら、この人です」
俺は携帯に入った写真を、二人へと提示する。いつぞやの映画の時に撮った小百合ちゃんとのツーショット写真だ。
「Oh、サユリ=コヒナタ! So、キュートね!」
ハンナさんが上体を起こして、携帯に顔を近づける。
「ご存じでしたか」
「イエース! ――といっても、私も日本に来るまでは全然知らなかったんだけどね。シエルが勧めてくれたから、ライブ映像を見てみたの。素晴らしいアーティストよね。心の奥にある原風景を思い出させてくれるような、優しくて深い声で」
ハンナさんは穏やかに目を細めて言った。
「ああ、こいつのことか。私の趣味じゃないが、確かに音程やリズムは正確だな。というか、逆に他の小娘共はレベルが低すぎて見ていられない」
「もう、口が悪いわよ、アビー。――ごめんなさいね。こう見えて、アビー、昔はプロのピアニストだったのよ。だから、音楽にはうるさいの」
ハンナさんが申し訳なさそうにそうフォローする。
「へえ、意外ですね。今度聞かせてください」
などと、すっとぼけてみるが、もちろん俺は知ってるよ。
アンドロイドアビーさんと、はて星主人公くんが心と手を重ね合わせて弾く、ピアノ曲。リストの『愛の夢』、第3番変イ長調「おお、愛しうる限り愛せ」。その音色こそが、ロボット三原則解除の鍵だからね。
日本のエンタメ、シリアスシーンで古典クラッシク流すの好き過ぎ問題。
「私の過去なんて今はどうでもいいだろう。――それより、そのサユリとかいう小娘は大丈夫なのか? 歌姫にはゴシップがつきものだぞ。繊細が故に、情緒的に不安定な人間も多い」
「大丈夫ですよ。彼女は、あらゆるスキャンダルと無縁な本物の偶像です。聖母マリアのように、人々の幻想に応えます」
俺は確信を持ってそう答えた。
(小百合ちゃんがバーチャルアイドル化するのは、本編的には既定路線だからね)
本編においては、第三次・第四次世界大戦が起こり、人類の軍事的技術は飛躍的に進歩したものの、代わりに芸術や娯楽文化が衰退。合理主義一辺倒の荒んだはて星の時代においては、人類が精神に変調をきたすケースが増大し、メンタルケアが問題になった。人類はその対策として、過去の文化遺産を精査。結果、人々の心を癒す
それこそが、バーチャル小百合ちゃん。未来の時代に堂々復活である。
全ての人類とアンドロイドに埋め込まれた量子デバイスにプリインストールされた小百合ちゃん。彼女は、嗜好に合わせた曲を歌ってくれることはもちろん、個々人のプライベートな相談にまで乗ってくれる、カスタマイズ可能なプライベートアイドルである。
バーチャル小百合ちゃんは、何にでもなれる。
クローン人間は彼女に存在しない母の面影を求め、アンドロイド兵士は恋すら許されない過酷に偶像への愛を囁く。自分すら信用できない地獄の戦場においても絶対に裏切らない友人であり、時に古き良き
長きに渡る生存闘争の中で、彼女に対して蓄積された膨大な思慕の念は、やがて信仰といっていいレベルにまで高められていく。そして、最終的に半神格化されたバーチャル小百合ちゃんは、人類全体に精神バフをかけることができる程の強キャラとなる。
神が人を創るのではない。人が神を創るのだ!――という訳で、ぶっちゃけ、Fat〇の英霊理論みたいなもんです。
あっ、それからVtuberのパクリじゃんとか言われそうだけど、本編が発売された時代的に元ネタは多分初〇ミ〇さんの方だと思います。
(まあ、貯金は多いに越したことはないだろう)
ともかく、今からバーチャル小百合ちゃんのファンを増やして信仰パワーを溜めておけば、それだけ将来の人類さんたちに楽させてあげられるっていう訳。
「OK! ナルセサンがそこまで言うなら、サユリ=コヒナタでいきましょう! 決まりね!」
ハンナさんが手を叩いて、即決即断する。
「ど、どうも。でも、俺から言い出しておいてなんですが、向こうがモデルになることを承諾してくれるかは分かりませんよ?」
「大丈夫! 大事なのはパッションよ! あれだけ素晴らしいアーティストなら、きっと心と心で語れば、通じ合えるはずだわ。
ハンナさんがキラキラした目をしてそう断言した。
(そうだといいなあ……)
善因善果、悪因悪果とは必ずしもならないのが、鬼畜ライター産のくもソラシリーズ。
何を隠そう世界大戦の元凶となるのが、こちらの光属性の塊のようなハンナさんなんだからね。彼女が善意で量子コンピューターの技術を世界に無償公開したせいで各国のパワーバランスがめちゃくちゃになった結果、悲惨な戦争に突入するというのが本編の正史。
(ここら辺、この世界線ではどうなるんだろうなあ。戦争なんてやめて欲しいけど、かといって戦争がないと、はて星でヤベー奴らと戦うレベルにまで人類の軍事技術が引き上げられなさそうだし――まあ、その辺はお兄様の手腕と腹積もり次第か)
今の俺が考えてもしょうがないとこだ。
「では、とりあえず、彼女のマネージャーに連絡を取ってみますね」
俺はハンナさんにそう告げると、携帯の電話帳から佐久間さんの電話番号を呼び出した。
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