第125話 幕間 (サブ視点)馬鹿ではなれず、利口でなれず、中途半端ではなおなれず(1)

「親父! 帰ったっす!」




 虎鉄は下町の一軒家――勝手知ったる実家の引き戸を開ける。




 靴を脱いで揃える。昔、散々、靴を適当に脱ぎ散らかして、親父にどつかれまくってようやく身に着けたマナーだ。虎鉄は身体で覚えるタイプなのである。




 太った猫なら跳び越えられないかもしれないくらいの、高めの上がり框越えて、畳へと着地する。




 土間から居間へと直結しているタイプの、古き良き日本家屋。




 他の若い衆が『カチコミ食らったら危ねえからリフォームしやしょうよ』と何度言われても聞き入れなかった頑固な親父。彼は、昨日も一昨日もそうであったかのように、ちゃぶ台の先でドカっと胡坐を掻いて、新聞を読んでいた。




「……」




 親父は虎鉄をチラっと一瞥して、再び新聞に視線を戻す。




「お土産買ってきたっすよ! ほら、今、テレビでバンバンCMやってるお漬物っす! 本当は大人気で数ヶ月待ちらしいんっすけど、特別に譲ってもらったっす!」




 虎鉄はちゃぶ台の上にお土産を置く。




「……おう」




 親父は短くそう答えて、タバコにライターで火をつけた。




 『平和』の名を冠する、およそヤクザにはふさわしくないその銘柄が、虎鉄にとっての親父の匂いであった。




「なんでそんなに反応薄いんっすか!? 久々の一人娘の帰省っすよ! もっと喜んでもよくないっすか!?」




「うるせえ。用事があるならさっさと言いやがれ」




 親父がぶっきらぼうに急かす。江戸っ子らしい気の短さだ。




「うっす! じゃあ、言うっす! 小生の修行先を研究所から祐樹くんの所に変更したいんっす! 今日はその許可を取りに来たっす!」




「ほう……。櫛枝んのとこの嬢ちゃんからガキに鞍替えしてえってか」




 親父は新聞をちゃぶだいに叩きつけるようにして置く。




 鋭い眼光が虎鉄を射抜く。




「そうっす!」




「ワシが中途半端が嫌ぇだってことくらい、お前さんも分かってんだろ。極道が一度決めたことを翻すっつうんなら、相応の理由があるんだろうな」




 親父は不機嫌そうな口調で言うと、唇をとがらせて煙を吐き出した。




「はいっす! まず、それを説明するには姐さんとの戦いについて話さないといけないっすが――」




 虎鉄はサードニクスとの激戦と、彼女に師事しようと思った動機を一生懸命にまくしたてた。






「するってえと、なにかい? お前さんは、そのサードニクスってガキの舎弟になりてえから研究所を飛び出すって言うのかい」




「そうっす! 姐さんに稽古つけてもらって、もっと強くなるっす! 竜蛾組を倒した強さの秘密を盗んで見せるっす」




「『強くなる』。それだけが鞍替えしてえ理由かい。他にはねえのかい」




「そ、それだけっすよ! 悪いっすか!? 親父は途中で研究所を抜け出すことが気に食わないかもしれないっすけど、小生の軸は全然ブレてないっすよ! 組のために強くなるって思いは、ずっと変わらないっす!」




「――はあー。話になんねえな」




 親父は溜息を洩らし、吸いかけのタバコを灰皿に押し付けた。




 それが失望を意味することくらいは、虎鉄にも分かる。




「はあ!? なにがっすか!? 小生の強くなろうとする努力の何がいけないっすか!」




 虎鉄は思わずイラっときて、ちゃぶ台から身を乗り出した。




「やっぱりテメエは肝心の所がわかっちゃいねえ。そんな根性じゃ、どこに行こうが同じだ」




「同じじゃないっすよ! なんなら手合わせしてもらえばわかるっす! 姐さんに二、三日、稽古つけてもらっただけでも、かなり身体の動きがよくなったんっすから! 今から道場に行くっす!」




 虎鉄はちゃぶ台を叩く。




 勢いあまって、ちゃぶ台はひっくり返るどころか、空中で三回転した。




「必要ねえ。ちょっとばかし強くなったところで関係ねえんだよ。そもそも、テメエ、今までに一度も、あの不愛想なジャリに勝てたことがねえんだろうが。そんで、今は格下だと思ってた奴に追い越された。上には上がいる。これからもどんどん新しいのも出てくる。そうだろうが。違うか?」




 親父は宙を舞った土産と灰皿を掴み、着地したちゃぶ台に何事もなかったかのように戻す。




「た、確かにダイヤには勝てたことはないっす! でも、ヒドラはヤクザ同士の抗争なんかには出張ってこないっすよ! 小生が組を守るには、蛭子を圧倒できるくらいの力があれば十分じゃないっすか!」




「そうかい。じゃあ、例えば、蛭子が5人、束になってかかってきたら、お前さん、勝てんのかい」




「もちろん、勝てるっすよ! そのくらいなら、研究所にいた頃から練習してるっす!」




 虎鉄は胸を張って言った。




「じゃあ、それが10人になったらどうだい」




「……か、勝つっす。時間はかかるかもしれないけど、負けることはありえないっす!」




「じゃあ、それが、100人なったら、1000人になったら、10000人になったら、どうだい?」




 親父は畳みかけるように言葉を重ねる。




「ひ、蛭子は10000人もいないっすよ! 大体、そんな数、一つのヤクザが雇える訳ないじゃないっすか! 一体いくらかかると思ってるんっすか!」




「例え話に決まってるだろうがダボハゼ。まあいい、じゃあ、現実的な線で10人ってことで話してやる。これくらいなら、カチコマれる前の竜蛾組なら実際雇えただろうからな。んで、さっき、テメエは10人の蛭子相手には、勝てるけど時間がかかると抜かしたな。じゃあ、テメエがチンタラ蛭子と殴り合ってる間に、別動隊をぶっこまれて、他の組員のたまがとられたらどうする? ついでに、ヒドラが出張ってこねえっつうのも、櫛枝の嬢ちゃんの腹積もり一つだろうが。嬢ちゃんの機嫌が悪くなって、ワシらを全員ぶっ殺す気になったらどうする? お前さん、何とかできるのかい!」




 親父がちゃぶ台に片足を載せて啖呵を切る。




「そ、それは、勝てないっすよ! 確かに小生はまだまだ弱いっす! それは自分が一番よくわかってるっす! ――で、でも、もうちょっと、小生の努力を認めてくれてもいいじゃないっすか! 組長になるために、こんなに頑張ってるんすから!」




 虎鉄もちゃぶ台に足を載せて言い返す。




「組長だぁ? テメエのようなヌケサクに譲る程、虎血組の代紋は安くねえぞ! 馬鹿も休み休み言え! おおん!?」




 親父が神棚の方を顎でしゃくる。




 血の滴る牙を生やした虎の代紋が、こちらを見下ろしている。




「うう……。どうしてっすか? 女だからっすか? 小生が女だからそんないじわる言うんっすか!? 小生が男だったらよかったんすか?」




「ばっきゃろう! 男も女も関係ねえ! ――いいか、虎鉄。力があるっつーのはな。喧嘩に強いってことじゃねえんだ。強さとは、力とは、人を動かせる魅力のことよ。それが、金か、権力か、それともテメエの男っぷりかは何でもいい。要はテメエ一人以上の人間の力を束ねられるから、『長』なんだ。わかるか」




 親父はそう言って、虎鉄の肩を掴んで揺さぶってくる。




「わかんないっす! わかんないっすよ! 小生でだめなら、虎血組はこれから先どうすればいいんっすか! 誰が虎血組の跡目を継ぐんっすか!」




 虎鉄は首を左右にブンブン振って叫んだ。




「……誰も継がねえ」




 親父は虎鉄から手を放し、ぽつりと呟いた。

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