第126話 幕間 (サブ視点)馬鹿ではなれず、利口でなれず、中途半端ではなおなれず(2)

「はっ? 今なんて言ったっすか?」




「虎血組はワシの代でしまいだって言ってんだ。少し前の時分には、竜蛾組にでもカチ込んで、おっ母のかたきの頭の首を取って華々しく散ろうとも思っていたんだがな……。今となっちゃそれも叶わねえ。こりゃあ、お天道様がワシにそろそろ潮時だって告げているのよ」




「竜蛾組の組長がぶっ殺されたから引退するって言うんっすか!? でも、竜蛾組の残党はまだいるじゃないっすか!」




「末端の雑魚どもにまで構ってちゃキリがねえや。鉄砲玉になるような若い衆は、おっ母が殺された時には組員じゃなかった奴らも多かろうよ。もし、不逞ふていなチンピラの一匹すらも生きているのを許さねえって意地張るんなら、日本のヤクザ全部敵に回して戦わなきゃ筋が通らねえ。だが、それはどう考えてもワシらの仕事じゃねえ。警察マッポの領分よ」




「そんな! 警察や裁判官じゃどうにもできない悪をシメるのが虎血組じゃないっすか!竜蛾組以外にも悪い奴らはいっぱいいるっす! そいつらがいなくなるまで戦い続けるのが、虎血組の役目っす! 本物のヤクザっす!」




「なに言ってやがんだ。土台、本物のヤクザの時代は、もうとっくの昔に終わってんだよ。今、ヤクザを名乗ってる奴らは、皆、任侠道のかけらもねえ外道のモドキよ。極道がこの体たらくじゃあ、世間様の風当たりが強くなるのも当然ってもんだ。でも、それでいいんだ。ヤクザがいなくて世界が回るなら、それに越したことはねぇ」




 親父は人差し指で耳の穴をほじりながら言う。




「よくないっすよ! ヤクザがいなくなったら、海外のマフィアや半グレが幅を利かせるだけじゃないっすか!」




「はあ、本当に救いようのねえアホだなオメエは。そんな理屈はな。外道どもがこしらえた目くらましの言い訳よ。裏では日本のヤクザも半グレも海外のマフィアも、それぞれの力を見計らって、なあなあで折り合ってんだ。末端の組員は上納金のためにカタギ様の生き血をすすり、上の奴らは手を汚さずに涼しい顔で左団扇の生活よ。それが今のヤクザの現実だ」




「で、でも、親父は違うじゃないっすか!」




「……だから滅びるんだ。言わせるんじゃねえや」




 親父は人差し指についた耳くそをフッと吹き飛ばして言う。




「簡単に滅びるとか言わないで欲しいっす! 虎血組がなくなったら、親父を慕ってきた組員たちはどうするんっすか! あいつら、今更、カタギの世界になんか戻れないっすよ!」




 ヤクザの道に入る者は皆、相応の事情を抱えている。




 任侠映画全盛の昭和の時代ならともかく、平成の今、まともな家庭に産まれた人間は極道に憧れたりなどしない。




「――おう。それよ。ワシが見苦しくもまだこの苦界の渡世にしがみついてるのは、どうしようもねぇ、世間様にはどこにも行き場のねえやんちゃどもの面倒を見るためよ。でも、ワシは頭が悪ィからよ。カタギの商売のことはてんでわからねぇ。だから、誰か、見所のあるカタギに若い衆を任せたいと常々思っていた」




「はぁ!? そんなの初耳っすよ!?」




「おう。初めて言ったからな。――ついでに言やあ、ワシはお前さんに櫛枝の嬢ちゃんの所で、裏の世界と表の世界の折り合いのつけ方ってやつを学んで欲しかったんだがなあ。あいにく、テメエは、頭のてっぺんから爪先まで、喧嘩ごっこにしか興味がねえみたいだ。今回の言い草でそのことがよくわかった」




 親父はそう言って欠伸をする。




「だったら、初めからそう言ってくれればよかったじゃないっすか! 言ってくれれば、小生だって、そのつもりで勉強したっすよ!」




 虎鉄は頬を膨らませて抗議した。




 研究所に行くことを許してくれたから、てっきり虎鉄の方針に賛同してくれているものとばかり思っていたのに。




「甘えたこと言ってんじゃねえぞ! それくらいテメエで気付けない奴に組を任せられる訳ねえだろうがよ」




「――くっ。小生がダメっていうんなら、誰に若い衆の後を任せるんっすか! まさか、プロフェッサーすか!?」




「いや。櫛枝のお嬢にゃ、理はあるが情がねえ。かといって、せっかく手塩にかけた坊主共を、血も涙もねえ、金の亡者の他のヤクザにくれてやるのはもっと嫌だ。あいつらには、情がねえどころか、欲しかねえ――どうしようもねえから、新しい組員は取らずに、ワシの目が黒い内に何とか方々に頭を下げて、若い衆にカタギの職を世話してやろうかと思ってたんだがな。――世の中捨てたもんじゃねえな」




「ど、どういうことっすか。誰か、いい奴が見つかったってことっすか?」




「ここまで言ってもわからねえか? 櫛枝のお嬢のガキ、あれは只者じゃねえぞ。最初はただのお嬢の言いなりの木偶人形かとも思っていたが、どうやらそうじゃねえらしい。前に見た時は、優しそうだが脆そうなガキだと思ったんだが、まさか。ここまで胆力があるとはな。とはいえ、さすがに今すぐ若い衆を押し付けるにゃ荷が重いが、干支が一巡りする頃にゃあ、一角ひとかどの人物になってるだろう。あれは、きっといい男になる。ワシには分かる」




 親父が感心したように言った。




 あまり人を直接的には誉めない親父がここまで言うのは、かなり珍しいことだった。




「ええっ! 祐樹くんっすか!? っていうか、親父、祐樹くんと面識あったんすね」




「おう。向こうは多分、あの時のことは覚えちゃいねえだろうがな。――ま、ともかく、ワシらが手をこまねいていた竜蛾組に、アイツが大泡おおあわを吹かせたのは事実だ。それだけで、若い衆を納得させるには十分な理由だろう。テメエと似たような年なのに、大したもんだよ」




「で、でも、竜蛾組を潰したのは姐さんとその舎弟っすよ! 祐樹くんはいい人っぽかったっすけど、戦闘能力的には絶対雑魚っす! 間違いないっす!」




 虎鉄は自分が得られない賞賛を彼が得ていることが悔しく、ついそんな女々しいことを言ってしまう。




「馬鹿野郎! 何度言ったら分かるんだこのウスノロが! だったら、お前さんが姐さんって呼んでるそのスケは、何で、その弱っちいガキに従ってんだ。そこんとこをよく考えろって言ってんだ!」




 親父のゲンコツがとんできた。




 能力的にはかわすことなど簡単なはずなのに、なぜか身体が動かない。




 親父のゲンコツは素直に食らうものだと、心の深い所に刷り込まれているのかもしれない。




「ああもう! 痛いじゃないっすか! 親父が何を言いたいか全然分からないっす! 小生、頭悪いっすもん!」




「……おう。そりゃそうだろうな。ワシの娘だ。カエルの子はカエル。ないものねだりはできねえや」




 親父は、どこか悲しそうな、でも、優しい声色で言う。




「親父……」




「――いいか、虎鉄よぉ。任侠道っつーのは、要は生き方だ。心の持ちようだ。それは、組っつー箱がなくなろうと、何も変わらねえ。テメエの心にちゃんと筋が一本通ってりゃあ、それでいいのよ。いくら阿呆でも、仮にも極道の娘なら、それくらいのことはわかるだろ」




 親父は四本指しかないゴツイ手の平で、虎鉄の頭をワシャワシャと撫でて言った。




「はい。わかるっす」




「そうか。――じゃあ、虎血組はワシの代で解散だ。いいな」




「それは普通に嫌っす!」




「ナメとんのかワレぇ!」




 親父がちゃぶ台をひっくり返してブチ切れる。




「だって、虎血組はまだ誰にも負けてないっす! 組員もみんなピンピンしてるっす! なのに、そんな状態で組を潰すなんて、納得できないっすよ! 歴代の組長にも、死んだおふくろにも申し訳が立たないっす! ほら、あと、神様にも!」




 虎鉄は、刀が飾られた神棚を指さして、そう言い張った。




 虎血組は、創始者があの清水の次郎長ともゆかりがあると言われるほどの古い任侠集団だ。歴史である。文化である。遺産なのである。




「ああ、そうかい! そうかい! ここまで言ってもわかんねぇドアホウは破門だ!」




「はあ!? 勝手なこと言いやがってるんっすか! このクソ親父! わからずや! 加齢臭!」




「カレっ……。親に向かってその口の聞き方はなんだ! そんな礼儀知らずなことほざく野郎はワシの娘じゃねぇ!」




「小生だって、こんなネガティブなことばっかり考えてるおっさんが父親なんて嫌っす!」




「上等だ! そこまで言うなら、親子の縁を切ってやらあ! 金輪際家の敷居をまたぐんじゃねえぞ!」




 親父が神棚の刀を抜き放ち、一閃する。




「言ったっすねえ! いいっすもん! こんな辛気臭い家、こっちから出て行ってやるっす! 小生の力があれば、傭兵として雇いたいところはいくらでもあるんっすからね!」




 売り言葉に買い言葉。




 頭に血が上った虎鉄はさらりと剣撃を躱すと、玄関をぶち破って外へと飛び出した。


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