第119話 幕間 罪深きアイ(4)

(――うふふ。かわいらしい寝顔ぉ)




 鼻と鼻がくっつきそうなほどの至近距離で、アイはマスターを観察する。




(首細ぉい。ほっぺぷにぷにぃ。頸動脈がドクドクしてるぅ。あぁ、これを締めたらどうなるのかしらぁ? チョッキンしたらどうなるのかしらぁ)




 今、この瞬間、彼の生殺与奪の権利を握っているというその事実に、アイは興奮を覚えた。




(でも、やーらなぃ。マスターはもっとおいしくなりそうだものねぇ。熟成したら、身体の隅々まで、味わってみたいわぁ)




 殺すよりも触れ合いたいと思った男は初めてだ。




 アイの食欲と殺戮欲を超越する何かが、この目の前の少年の中に詰まっているのだ。




(この気持ち、なんなのかしらぁ。マスター、本当に罪深い人ねぇ)




 この衝動は、恋というほど薄くはなく、愛というほど純粋ではない。性欲というほど単純ではなく、独占欲と言えるほど幼稚でもない。




 いや、感情にどう名付けるかなんてどうでもいいじゃないか。




 ただ欲しい。これが欲しい。とにかく、欲しいのだ。




 アイはアイ自身が何を欲しいかを知っていれば、それで十分だ。




(マスターが男になったらぁ、いっそのこと既成事実を作っちゃおうかしらぁ。あのサキュバスに先を越される前にぃ)




 もし、マスターを巡って争うことになった場合、目下、一番の敵になりそうなのは、あのミカとかいうサキュバスドスケベ女だろう。マスターとの付き合いも長いし、実質的に裏方の人材を取り仕切っており、仕事もできる。皆が、姉か母のように慕っており、人望も厚い。いざとなれば、家事をやっている娘たちはもちろん、事務畑の娘たちは全員、彼女に味方するに違いない。




(でも、結局、暴力装置を握ってる人間が一番強いのよねぇ)




 軍事力はあらゆる組織の要である。数では劣っても、アイが掌握している兵団なしに、マスターの事業は成り立たない。いざとなれば、あのサキュバスを殺すことなど容易いが――。




(マスターに嫌われたくないものぉ)




 あいつを殺せば、確実に仕事に支障が出る。チームのモチベーションもどん底に下がるだろう。マスターはそれを一番嫌がるに違いない。




(アタシ、マスターにとっての一番になるわぁ。それはもう、マスターが嫌がっても、離れられないくらいにぃ)




 誰よりも強くなって、誰よりもマスターの仕事に不可欠な存在になれば、彼はアイを捨てることなどできなくなる。




 アイは、他の小娘のように、マスターが自分を愛してくれるなんて幻想を、ハナから抱いてはいない。




 獲物は狩るモノだ。欲しければ、実力で勝ち取るのだ。




「……」




 ふと、視線を感じる。




「なあにぃ? あんたもマスターが欲しいのぉ?」




 こちらを何かもの言いたげにじっと見つめてくるポン子の視線に、アイは彼女を抱き寄せて耳元で囁く。




「……」




「――場合によっては、考えてあげてもいいのよぉ? ポン子、アンタ強いわよねぇ。アタシにはわかるのぉ。なら、強いアタシとアンタで、一緒にマスターを支える柱になりましょぉ? 例えるならぁ、アタシがマスターの奥さんで、アンタが子どもぉ。どぉ? 素敵でしょぉ? ポン子そういうの好きでしょぉ?」




 根拠はない。だけど、なんとなくそんな気がしたから、アイは勘だけで言葉を繰る。




「……」




 ポン子はキョトンと首を傾げた後、無言でアイの頭を撫でてきた。




(契約成立ぅ)




 ポン子がアイの言っていることを理解しているかは分からない。だが、アイは彼女のその仕草を一方的に応諾と解釈した。






 カチャ。






 その時、音が聞こえた。




 距離数メートル。隣家のドアが開いたと知り、アイは動きを止める。






(ポヤポヤ娘が来るわぁ)




 少々長居をしすぎたようだ。




 アイはポン子を抱き上げて、素早くマスターの家からの撤退を開始した。




 アイは、大した成果も出さないくせにマスターに馴れ馴れしくするあの娘が嫌いだ。




 だが、手は出せない。アイの本能が、クロウサとどっこいどっこいのレベルで、『あいつはヤバい』と告げているから。




 ポン子にも、ポヤポヤ娘に対するものと、似たような危機感を覚えてはいる。だが、ポン子を殺したらウンコが出てくることが明らかな汚物袋だとすれば、ポヤポヤ娘の方は何が出てくるかわからないびっくり箱のような恐ろしさがあるのだ。




(ふう、撤退完了。――朝練は、こんな所ねぇ)




 ポン子をグレーテルたちのいる家に戻し、さらにはマスターの護衛要員を手配して、アイは大きく伸びをする。




(さぁて、これから何しようかしらぁ)




 それから、今日の予定を気まぐれに考え始めた。




==================あとがき===============


 皆様、お疲れ様です。

 いよいよ、明日、2月19日に本作の書籍版が発売されます!

 それに伴い、下記のように、ラストを飾るPVを作って頂きました。

 キャラは本話でも魅力大爆発のアイちゃん。

 CVは自明の理として田村ゆかり 様です!


https://youtu.be/CE0C9yll_II


 アイちゃんのご機嫌な謎歌をご堪能頂きまして、いい感じで洗脳されて頂き、書店に足を運んで頂いたり、無意識にネットショップでポチったりして頂けると大変ありがたいです。↓


https://twitter.com/fantasia_bunko/status/1494629502663618560?s=20&t=tkB7vZsYX3xL8tKkITzAXw


 それでは引き続き、拙作を何卒よろしくお願い致します。


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