第118話 幕間 罪深きアイ(3)

 マスターの家は、グレーテルたちの家からほど近い、トーテムポールが目印の一軒家だ。




 彼の家は、なぜか要塞化されていない。




 壁などの一部は補強されているが、窓などはそのままで、しかも、敢えて鍵をかけないのだという。理由はよくわからない。




 マスターによると、『ぷひ子が窓から入ってこられなくなるから』だそうだ。おそらく、神様関連で何か事情があるのだろう。あのポヤポヤ娘からは、とてつもない禍々しい何かを感じる。




 もちろん、彼の家はそのままだとあまりにも無防備である。なので、要塞の代わりに、戦闘能力の高い娘たちが交代で客間に常駐し、警護に当たっている状況だ。




(さぁて、あの子たちはサボらずにお仕事してるかしらぁ。抜き打ちテストぉ)




 アイはポン子を抱き上げる。そして、音を伝える空気を一部遮断し、部下が気付けるか気付けないかギリギリの足音で、軒先から居間へと侵入した。




「――あっ、隊長! お疲れ様です。タブラちゃんもこんばんは」




 闇から部下の娘が姿を現す。光学迷彩を解いたのだ。




「ちゃんと反応できたわねぇ。えらぃ、えらぃ。ご褒美にぃ、警備、アタシが代わってあげるわぁ」




「えっ、隊長がですか」




「何か文句あるぅ?」




「……ないです」




 部下の娘をちゃっちゃと追い出す。彼女はそそくさと、隣の家へと戻っていった。




 これで、アイとマスターだけの空間が出来上がった。




 ポン子もいるが、アイ的にはポン子は人未満のペットのようなものなので、ノーカウントである。




 ……。








『あれ? まだ交代の時間には早くない?』




『隊長が代わってくださるって』




『――あー、うん。なるほど』




『……こっそり寝顔が見たいなんて、隊長って意外と乙女な所あるわよね』




『うん。――でも、私もマスターと夜明けのコーヒーを飲みたかったな。マスター、いつも、私の好きなお菓子、用意しておいてくれるの。今日は、神戸のショコラティエが作った特別なやつを買ってきてくれてるはず』




『それはとても残念ね。でも、隊長って、どちらかといえば辛党だから、チョコは残しておいてくれるんじゃない?』




『それはそうかもだけど、私はできればマスターと一緒においしいチョコレートとコーヒーを飲んでお喋りしたかったの。もちろん、マスターが運よくちょっと早起きしてくれたらの話だけど』




『あー、わかるー。それが夜警の楽しみだもんね』








(努力はしているようだけど、まだまだ情報の遮断が甘いわねぇ? これは、後でおしおきかしらぁ)




 アイの地獄耳が、近くの家の部下の娘たちの与太話を正確に捉えた。




 無論、あの家の防音設備は完璧だし、いくつかの能力を使って、ヒドラでも間諜できないレベルのクオリティには達している。でも、アイの成長速度にはとても敵わない。




 それにしても、物ごときで懐柔されるとは、愚かな娘たちである。




 彼女たちはマスターが真に求めているものを理解していないのだ。




(さぁて、マスターはちゃんと安眠できるかしらぁ?)




 ポン子を抱き上げたまま、足音と気配を消して、二階へと進む。




 ドアを開けて、彼の部屋へと侵入する。




(抜き足ぃ、差し足ぃ)




 そのままベッドに忍び寄る。




 もちろん、カーテンは閉め切られ、明かりはパソコンの待機電源のライトくらいのものだ。しかし、それで十分である。仮にここが人工の光源が一切ない場所だとしても、アイにはマスターの顔が見える。




 ぬばたまの姫の恩恵を受けたものは、夜目がきくのだ。アステカの神の力で身体を満たしても、忌々しいが、アイの中にぬばたまの姫の残滓は残っている。無論、ポン子は言うまでもない。




「……」




 ポン子がアイの腕を離れ、音もなく枕元へと跳躍した。




 心なしか、笑顔の色を濃くして、一心不乱にマスターの頭を撫で始める。




「ピョピョ?」




 ピョイっと、ポン子の動きに気が付いたクロウサが、掛け布団の隙間から顔を出す。




『ちょっと静かにしていてねぇ。クロウサちゃん――いいわねぇ。あんたは、いつもマスターぁの側にいられてぇ』




 アイは声を出さずに、口の動きだけでクロウサに意図を伝える。それから、自身の唇にそっと人差し指を押し当てる仕草をした。




「ピョ……」




 クロウサは『なんだまたか……』と言いたげな小声を漏らして、再びマスターの布団の奥に潜り込んだ。


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