第84話 幕間 砕けないダイヤモンド(サブ視点)

 暗い緑色のLED照明が、地下空間を仄かに照らしている。




 ダイヤの眼前では、二人の少女による剣闘が繰り広げられている。




 ああ、違う。二人の内、一人は自分だ。




 動いているのが自分の手と脚だと分かっていても、ダイヤにとって、戦いとはいつもこのような他人事の感があった。




「……」




 ダイヤはオニキスの甘く入った斬撃をいなし、彼女の腕と腹を斬りつけた。




「くっ、ふっ――なに手を抜いてるんですか。サードニクスなら傷の治りが遅くなるように、ギザギザの裂傷をつけてきますよ。ちゃんとしてください」




 忍刀を取り落としたオニキスが、不満げに言う。




「……もしオニキスを殺したら、プロフェッサーに怒られる」




「殺すくらいの勢いで来てくれないと訓練になりませんよ。あと、もうちょっと風の属性を強めでお願いします」




 オニキスは傷口に『闇』をまとい、応急処置をしてから言う。




「わかった……」




 ダイヤは仕方なくオニキスの言う通りに、風をまとった。




 ダイヤに属性はなく、染まりたい色に染まることができる。あらゆる属性を包括し、なんにでもなれる。無色透明。原初の力の純粋たる結晶にして、スキュラの研究における最成功例。それ故に、ダイヤは、最も硬く、価値のある貴金属の名前を与えられた。




『ねえねえ。これ、いつまで続けるのー? プレトもはやくおままごとしたいのー』




『プロフェッサーからの横車だからしばらくは待機じゃないっすか? でも、真面目に蛭子クラスの相手をするなんて、ダイヤも物好きっすね』




『序列一位の余裕でありんすなぁ』




 他のヒドラたちの声。雑音が混じる。




 ああ、いけない。可聴領域を広げ過ぎた。




 サードニクスは蛭子クラス。ならば、もう少しスペックを落とす必要があるだろうか。




「……」




 ダイヤは出力を調整し、オニキスの望む通りの、サードニクスの能力に近づけていく。




 すなわち、オニキスより強く、それでいて、彼女が追いつけないことはない程度の能力に。




「――くっ。さすがですね。サードニクスよりも速いのに、ムラがない。いいです。この調子で徐々にギアを上げていってください」




 斬られ、焼かれ、折られ、殴られ、何度倒されても、オニキスはこちらに向かってきた。




「……どうして?」




 ふと、ダイヤ自身も無意識のうちに、そんな疑問が口をついて出る。




「はい?」




「……どうして、ここまで頑張るの?」




「そんなのお兄ちゃんの隣にいるメスブタをぶち殺すために決まってるじゃないですか。あのピンク女のツルツル脳みそをぶちまけて豚の餌にするまで私は止まれませんし止まるつもりもありません。お兄ちゃんの隣にいていいのは宇宙でただ一人この私だけだっていうこと当然知ってますよね」




「……それほど?」




 の価値がある人間なんだろうか。オニキスの言う、『お兄ちゃん』という人間は。ダイヤには分からない。




 ダイヤには、他人に対する執着がない。いや、そうじゃない。目を背けないと、なかったことにしないと、この世界には辛いことが多すぎるから。




「あなたにお兄ちゃんの何が分かるんですか。お兄ちゃんが世界で最高の男性であることは天地開闢てんちかいびゃくの昔から自明なことですし、お兄ちゃんが私を助けに来てくれると約束してくれて抱きしめてくれてキリストが土下座してニルヴァーナするほどの優しさを持ってるって知らないのに勝手な疑問を呈さないでください。何様ですかあなた」




「……なら、なぜ戦うの?」




 その「お兄ちゃん」とやらの言うことを本当に信じているなら、彼女に戦う理由はないはずだ。ただ、息をひそめて、じっと待っていればいい。普通のスキュラ構成員ならば無理でも、プロフェッサーの娘ならば、それが許される。




「お兄ちゃんの愛に甘えるだけの妹には妹たる資格はありませんし、家族は支え合うものなんですから私が努力するのは当たり前ですし、そんなことも分からないからあなたはロボ子とか無色とか言われるんですよ」




「……」




 ダイヤは沈黙した。彼女の言う通り、ダイヤには何も分からなかったから。




「なんとか言ったらどうですか。まさかお兄ちゃんに興味を持っちゃいましたか? この先、お兄ちゃんが出世したら――、いえ、私のお兄ちゃんなら絶対に大物になることは分かり切ってますけど。その際には、お母さんがあなたをお兄ちゃんの元に派遣するかもしれませんよ」




「その心配はない……。私にはイロの才能がない……」




 諜報工作は苦手である――そもそもやれと言われたことがない。




 それよりも、ダイヤには、プロフェッサーにとって、もっと有益な使い道があるのだ。




「知ってますよ。冗談ですよ。あなたは殺人マシーンですもんね。まあ、冗談でもお兄ちゃんを好きとか言ったら殺しますけど。――さあ、ほら、速く! 残虐に! 熱く! サードニクスみたいに!」




 オニキスは弱い。サードニクスに勝てるようになるかは分からないが、おそらく、ヒドラになれることは一生ないだろう。




 それでも、こんなに残酷な世界で、これほどまでに想える人間がいることは少し羨ましい。「お兄ちゃん」とは一体どんな人物なのだろう――そんな興味が頭に浮かんだ瞬間、ダイヤは意図的に思考のスイッチを切った。




(私は決して砕けないダイヤモンド……)




 ダイヤモンドは世界一硬い鉱物だ。だけど、衝撃には脆い。




 だから、気をつけなくてはいけない。心に不純物が入り込まないように。




 不純物の混じった刀はすぐ折れる。濁った宝石に価値はない。




 ダイヤはダイヤ。それ以上になる必要はない。それ以下に落ちなければそれでいい。




 だから、ダイヤは何にも期待しない。誰かにも、自分にも、世界にも。




「グッ、ワプッ、カハッ――」




「……」




(血、赤、肉、鈍色の鉄)




 視界の現象が、主観を経ず、ただの電気信号として脳内を流れる。




「それ以上は、やめておいた方がいい。彼女が死んでしまうよ」




 ふと手に温もりを感じて、ダイヤは一人称を取り戻す。




「……あなたは、誰?」




 ダイヤは、その熱源に虚ろな瞳を向けた。




 まず印象に残ったのは、その圧倒的なまでの白い髪。




 その肌も、誰も踏みしめたことのない柔雪のように輝いている。




「ボク? ボクはタルク。――ここでは、『ミケ』の方が、通りがいいのかな」




 白に囲まれて、否応なく目立つ紅い唇。それを上下に動かして、照れくさそうにその人間は名乗る。




滑石タルク――モース硬度は1。最も脆い鉱石の名を冠する『最弱』にして、あらゆる不可能を可能にするという噂の『最強』――そして、唯一の男性ヒドラ)




 ダイヤは脳内の情報を、半ば反射的に参照する。




『おー、ミケ! 小生、初めて見たっす! ほら、プレト、本物っすよ! 本物!』




『わぁーい! これでおままごとのお父さん役は決まりだねー!』




『噂の王子様の登場って訳どすか。これはおもしろくなってきはりましたなぁ』




 他のヒドラたちがざわめき始める。




「そんなに見られると、照れちゃうな。期待してもらっても、ボクにはこんなことしかできないんだけど」




 ミケはダイヤから手を放すと、今度はそれをオニキスの頭上にかざす。




 白光が、オニキスの傷を一瞬で癒した。




(……男だからなんだと言うの? ……最弱でも、最強でも、何も変わらない。ただ一人、同僚が増えただけ)




 ダイヤは、その様子を冷えた心のままで一瞥し、練習場に背を向けた。

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