ふつうの日々

秋月とわ

第1話


「今日の講義で取り扱った作品のキーワード『かくしごと』。これをテーマに講義の内容も踏まえて、短編作品を仕上げて来てください。課題は次回の授業で提出してもらいます。では、今日はここまで」

 先生の合図とともに講義室は一気に緩んだ空気に包まれた。あちこちで「課題だるー」「この後、どっか寄ってかない?」「お前、今日これで終わり?」などという学生たちの会話が室内を満たした。

 帰り支度を済ませた彼らは一斉に講義室の前と後にある出口殺到する。さながらラッシュアワーのホームのようだ。

 僕はその様子をレジュメをファイルにしまいながら眺めていた。

 今さっき終わったこの授業──創作表現の授業は僕のお気に入りの授業だ。教養科目で単位のために適当に取った授業だが、これが意外に面白かった。

 元々、読書が好きだったが、この授業で「書く」ことの楽しさを知りさらに読書の幅が広がったと思う。それに作家になりたいという夢もできた。

 出口が空いたのを見計らって僕も帰り支度をはじめた。

 腕時計の針は午後五時前を指していた。今日はこれで終わりであとは帰るだけだ。

 支度を終えると僕は軽やかな気持ちで大学を背にして安寧の地である家を目指した。

 外に出ると空はもう夕空になっていて、優しいオレンジ色が紺色に変わり始めている。

 大学の入学とともにはじめた一人暮らしは最初のうちは不安ばかりだったけど、慣れるととっても快適だ。それに最近彼女と同棲を始めたから寂しくもない。大学まで自転車で十五分という遠くもなく近くもない距離感も気に入っている。ほどよい通学時間は考えごとをするのにぴったりなのだ。

 今日も自転車で風に吹かれながら課題のことを考えていた。

「来週までの課題どうしよう。『かくしごと』って言われてもなぁ……」

 不定期に出される課題は僕の悩みのタネだった。レポートならテキストやレジュメを参考に書き上げることができるが、小説作品となるとそうもいかない。一からストーリーを自分で考えなければならないのだ。それがつらい。

 それに今回は「かくしごと」というテーマが設定されている。この難問をどう調理してやるか……。

 僕は頭を抱えた。

「だいたいこういうのは自分の体験を交えるのが常套手段なんだよな」

 それなら作家を目指していることはどうだ?

 言ったら笑われると思って友達はおろか家族にすら話してない。立派な「かくしごと」だ。

 ストーリーはこうだ。

 主人公は作家を目指していて、なんとかデビューするが恥ずかしくて周りには隠している。そして何度もバレそうになりながらも上手く隠し通す──。

 いいじゃないか! それに「隠し事」と「書く仕事」もかけているし自分にしてはナイスアイデアじゃないか? これにしよう。

 そう考えた途端、はたと思い出した。

 やっぱりダメだ。「隠し事」と「書く仕事」をかけるなんてきっとみんな思いつくはず。

 それに似た漫画があった気がする。漫画家が娘に自分の仕事を隠すって話のやつが。このまま書いたらただのパクリじゃないか。

 それに作家を志すものとしてはもっと奇想天外で、過去にない斬新なストーリーを考えなければいけない。

 じゃあ、ほかに何がある?

 隠し事と言えば……。

 ちょうど赤信号で止まった僕はハンドルから右手を離して指を折った。

 不倫、浮気、犯罪歴、性的指向、借金……うーん。

 自転車に跨ったまま腕を組んで眉をひそめる僕の前をダンプカーが轟音をたてて通り過ぎた。舞い上がった土埃にむせて意識を現実に引き戻すと四階建ての自宅マンションが目の前に見えた。

 あのマンションの二階の角部屋、明かりがついてるあそこが僕のうちだ。

 明かりがついているということは、彼女ももう帰っているのだろう。

 家に帰ると誰かいるというのは心地よいものだ。安心感がある。

 駐輪場に自転車を置いて彼女が待つ家に帰る。途中、郵便受けから夕刊を回収した。

 一面は昨日落ちた隕石の続報だった。

 最近この手のニュースが多い。隕石の間では地球に突っ込むのが流行っているんだろうか?

 僕も一ヶ月ほど前に火球を見た。SF映画のワンシーンみたいで鳥肌がたったのを覚えている。あの時は落下地点に隕石の破片が残ってないか探しに行ったっけ。

 そういえば彼女と出会ったのもその時だ。隕石が落ちたであろう山中をさまよっていると、同じく隕石を探していた彼女が茂みから出てきたのだ。人もいない森の中だったから驚いた。

 それでも話してみると同じものを探していただけあって意気投合。連絡先を交換して毎日のように逢瀬を重ねた。そしてつい先日、彼女がうちに引越してきたのだ。隕石がきっかけで巡り合うなんてとってもロマンチックな出会いだと今でも思う。

「ただいま」

「あ、おかえり。今から晩ご飯の支度をしようとしていたとこなの」

 玄関ドアを開けるとキッチンに立っていた彼女が振り返った。彼女は透き通るほど白い二本の腕を巧みに動かして肉を切り分けていた。

「今日の夕飯はなに?」

「ハンバーグだよ。お友達から山口産のお肉をもらったの」

「やったー! ハンバーグ大好きなんだ!」

 子供のようにはしゃぐ僕を見て彼女はふふっと笑った。途端に冷静さが戻ってきてなんだか急に恥ずかしくなった。

 顔がかあっと燃えるような熱さを感じながら、それをごまかすように手に持った夕刊を彼女に差し出した。

「そういえば夕刊来てたよ。また隕石だって」

「最近多いね」

 彼女は肉を切り分けてながら夕刊を受け取ると、器用に記事を読んだ。

「こんなに多いと偶然とは思えないわ」

「なんだ? 宇宙人が地球めがけて隕石を落としているとでも?」

 おどけた口調で僕は彼女をからかった。すると彼女はびくともせずに笑い飛ばした。

「それは流石にないわ。こんな自然が多くて住みやすい星、壊すにはもったいないもの。人間だけ殺して植民地にするに決まっているでしょ」

 彼女はそう言うとそのまま三本目と四本目の腕を使って夕刊を丁寧に折りたたんだ。

「さ、手を洗ってお肉を解体するの手伝って」

 五本目の腕の先についた目を細める彼女に僕も微笑み返して洗面所に向かった。

 その段になって課題のことがふと頭によみがえった。

 あと一週間。それまでに何かいいアイデアを絞り出さなくては……。

「うーん。なかなか隠し事が見つからないなあ」

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