第5話

「はあ、はあ、ちょ、ちょっと……待って……」

「死ぬ気で走れ。もうすぐだ」


 け、けっこうきつい。追い風で助かった。もしかして私ってあまり体力無いのかな。こんなことなら、もっと普段から本ばかり読んでないで鍛えておけばよかった。これじゃ獄卒に会う前に倒れちゃう。


「ほら、見えたぞ。獄卒はもういないが」


 目が霞むけどしっかり前を見てみる。そこには、確かに地獄が待っていた。


「ついた、でも……おそいかった」


「……みんな……」


 そこでは約二十人が、全身をばらばらにされて倒れていた。おそらく生きている人はいないだろう。


「こ、こんなの……ひどすぎますよ」


 あまりにも凄惨すぎるから、目をそらしてしまった。そして、皆を見る。シロとクロは抱きしめあって泣いていた。彼は、すっかり手首まで鬼になった手で目を閉じ合掌していた。


 どれくらいそうしていただろう。彼が手を下ろして目を開けた。


「おい、閻魔」


 角がなくても彼の感情が分かった。その声からはいつもの威勢はなかった。


「は、はい……なんですか」

「まだ生きている奴がいるかもしれねえ。心を読んで確認してくれ。痛がっているやつがいたら、そいつはまだ生きてるってことだろ」


 確かにそうだ。もしかしたら救える人がいるかもしれない。急いで頭から角を生やす。しかしその瞬間、とてつもない量の感情が流れてきた。


 恐怖、絶望、痛み。この量は一つや二つじゃない。明らかに何十人という人達の感情だった。


 その大量の負の感情に耐えられなかった私は、すぐに角をしまってしまった。


「す、すみません。負の感情がありすぎて。これ以上角を出していたら、おかしくなりそうです」


「感情が読み取れる奴がそんなにいるってことは、生きている奴がたくさんいるってことか?」


「とてもそうは見えないですけど……」


 死んでいる人に感情はないと思っていたけど、あるのだろうか。


「おれ、なかまから、きいたことある。ここではぜったいに、しねないって」


「……私たちの仲間で右腕がない人がいたんだけど……過去に右腕を獄卒にとられたときに、獄卒が言ってたんだって。ここでは獄卒と閻魔以外は死ねないから、どんな状態になってもずっと痛みが続くんだ……って」


 それが本当だとしたら、ここにいる人たちの感情が悲痛な叫びのように強かったのも納得ができる。まだ死ねてないからずっと痛いなんて、想像しただけでも恐ろしい。


 でも……私にはどうすることもできない。


「おい、閻魔。お前なんとかできる方法知らねえか」


「ごめんなさい。私は妖術の類はあまり知らないんです。でも、いくら癒しの術が使えてもここまでバラバラにされていると、治すのは無理だと思います」


「……そうか」


 そう言って彼は右手を前に出して、まるで頭をなでるように手を動かし始めた。


「死んでいないのに供養っていうのもおかしいが、俺の気持ちだ。せめて少しでも、安らかな気持ちになってくれ」


 そう言って、目を閉じて合掌し、何かを唱え始めた。



――それ、人間の浮生なる愛をつらつら観ずるに、おおよそ儚きものはこの世の始中終、幻の如くなる一期なり。さればいまだ万歳の人身を受けたりということをきかず、一生過ぎやすし。今に至りて誰か百年の形態を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、遅れ先立つ人はもとのしづくすえの露よりもしげしといへり。されば朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、即ち二つの眼たちまちに閉じ、一つの息ながく耐えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装いを失いぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども、さらにその甲斐あるべからず。さてしもあるべきことならねばとて、野外におくりて夜半の煙となしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。哀れというもなかなか愚かなり。されば人間の儚きことは老少不定のさかいなれば、誰の人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深く頼み参らせて、念仏申すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。




 彼が唱えている間、全ての遺体は青い光を強くしていた。この光景を、私は以前見たことがある。閻魔大王が魂を転生させる儀式のときと全く同じだった。


 彼が唱え終わりお辞儀をする。その瞬間青い光は一層輝きを増し、そこにあった沢山の遺体と共に消えた。空から白い粒が降ってきたので、思わず空を見上げた。さっきの青い光のせいなのか、綺麗な青空に見えた。


「こ、これって……魂の転生ですよね。なんで閻魔大王じゃないあなたができるんですか!?」


 少し大きい声を出してしまった。それはそうだ。閻魔大王しかできないって、今まで散々聞かされてきたんだから。


「そんなの知るか。俺は死者の魂を供養しようとしただけだ」


「それでなんでできるんですか!それに、あなたは鬼になりつつあるってだけの人間ですよね。あなたは……一体何者なんですか?」


「おちついて、はる。かれはにんげんじゃないよ、てとあしがえんまでしょ」


「そ……その……良はる……さん……そんなに聞いても答えられないと思います……」


 確かにちょっと取り乱してしまった。落ち着いて考えてみる。もしかしたら彼の生前に何か秘密があるのかも。意を決して聞いてみる。


「お願いします、あなたの生前について教えてください。そこに何か理由があるのかもしれません」


「……」


 彼が暗い顔をして黙っている。彼の顔には今までのような威圧感が全くなかった。そんな彼らしくない顔を見て、もしかしたら聞かれたくないんじゃないのか、と私はようやく気付いた。


「ご……ごめんなさい!ここは審問の場じゃないですから無理に答えなくて大丈夫です!すみません、色々質問してしまって……」


 シロとクロも場の空気感を読んだのか、いつの間にかお座りをして心配そうに私たちを見ていた。彼らに気を使わせてしまった……自分がこんなにしつこくて無神経だったなんて。自分のさっきまでの言動を思い出して恥ずかしくなっていた。


「……謝らなくていい。お前は閻魔なんだから、至極当然のことを聞いただけだ。」


 彼にまで気を使わせている。やってしまった……しつこい閻魔にはなりたくないと思っていたのに。


「もうそのことはいい。さっきまで御遺体がいたんだから、とりあえずここから離れるぞ。話は歩きながらでいいだろ」


 確かにそうだ。それに、もしかしたらまだ獄卒も近くにいるかもしれないし、ここから離れたほうがいい。とにかく早くさっきの失敗は忘れて切り替えないと……そう自分に言い聞かせて皆の後ろを追いかけた。



――――


「……着いたか。いつ来てもここは嫌な感じだな」


「なんで私まで……分身だけでよかったじゃないですか」


「地獄にいる獄卒は相当強いからな。いくら一層目の等活地獄とはいえ、野良獄卒には私たちの想像をはるかに超えた奴もいるかもしれん。そうなったらお前の分身だけでは少々心もとないから、お前がいてくれたほうが心強い。期待しているぞ」


「……期待されても嬉しくなんてないですからね」


「はいはい、まあ地獄は相当広い。早速限界まで分身を作れ。もう一人の閻魔に先を越されるわけにいかん」


「分かりました」


 からすが自分の髪の毛を一本、人差し指に丁寧に巻く。それを抜き手のひらに置くと、空に飛ばすように息を吹きかける。彼女の妖力がこもった息を吹きかけられ、一本の髪の毛は一羽のカラスとなって空を飛ぶ。そして生み出された九十九羽のカラスは、彼女を中心に円を作るように地獄の彼方に飛んでいった。


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