A3 中野へ

あの日はいつだっただろう。

記憶はだんだんとそのインクを滲ませて、最後には大きな歯車に巻き込まれ裁断される。まさにあの日の記憶はY字路の交差位置にいた。僕の世界のY字路はどんなに素敵なのだろう。外灯の色は、アスファルトの傷みは、方角は…。ドクっと心臓が鼓動を打ち、身震いした。

中野へ向かう電車内の車窓は、過去の精算を促していて、僕は素直にそれに従っていたのだ。気分は悪くない。その身震いは、秋の訪れを体が感知した証拠であったのだろう。なぜか?それしか合理的な回答は用意されていないじゃないか!

駅を降りてから行先へ向かう10分程度の歩みは、不機嫌に私を焦らせた。


中野駅の北口からブロードウェイを抜ける。そこから、ちょうど家族の心配を一通り終えるくらいの時間をかけ北へ歩き続けると現れる。不人気な路地の手前、外階段をゆっくりと深呼吸を交え上がっていけば、そこはマスターのリョウさんが営むジャズバー「ブルーライツ」がOPENの文字とたくさんの会話を用意して私を待っている。


私はブルーライツが意味するものを知らない。リョウさんにお尋ねしてみても良いのだが、何故だろう私の目の前には意味を持たない"ブルーライツ"が横たわっているのである。ここにくるのは3ヶ月ぶりだろうか。今すぐにリョウさんに引越しの報告を済ませてしまいたい。

時刻は夜の8時。開店からいくらかの時間が経ち、ブルーライツは少しずつその体温を上昇させ、月明かりを浴びながら、ぐんと背伸びをしていた。


「こんばんわ。東中野のWです。お久しぶりです。」

「おう!しばらくぶりだね、奥どうぞ。元気してた?」


リョウさんは昨日ぶりでも私は元気か知りたがっていた。3ヶ月経とうとも、その台詞は変化しないものなんだなと思った。


「もちろん、元気ですよ。ここへ来る間ちょっと寒くてね、風邪引くかと思ったけど、ブルーライツはあったかいもんだから、もう平気ですね」

「もう秋だもんな、通りのイチョウはまだまだ耐え忍んでるみたいだけどね」

「イチョウより、いくらか僕の方が季節の移り変わりに敏感なようですね。だってイチョウに感受性なんてものはないでしょう?」

「よくわかんないこと言うね…。わかったフリでもしておこうかと思ったけど、そりゃ無理だったね。」

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