三 研究者との契約

「……研究者? 何を研究してるって言うんだ……?」


(生物としての頂点? 【記憶水晶】? こいつは本当に何者だ? 研究者、ってだけじゃどう考えたって説明がつかないはずだ。ネルニス・イルザリースなんて、聞いたこともないし……だけど技術は本物だ。頭の中身を入れ替える技術があるなんて……いや、待て。そもそも僕が話しているのは、どこの言葉だ?)


 止まらぬ思考にブレーキをかけず、あまりにも己の知っている世界と違う現状を吟味する。

 年にしては大人びた少年は、社会への、そして『生』への諦めからくる一種の余裕も手伝い、残った冷静さで考え続けた。

 問いを受けたネルニス・イルザリースという研究者は、狂気を感じさせる笑みを消し、代わりに理知的な相貌を宿らせて口を開いた。


「全てさ。興味のある事柄全て。どの分野か、どの系統かなんて私には関係ない。調べ極めるのが"研究者"なのだから」

「……記憶を消して、代わりに他の記憶を入れるなんて聞いたこともない。それを人体に埋め込むなんていうのも……尋常じゃない。大体、頂点に届きうる生物、だったっけ。そんなものどうやって作るんだ」

「多いねぇ、質問が。まぁいいさ。貴重な素材からの質問だからね、答えてあげよう。【記憶水晶】……正式な名称は【記憶置換水晶】と言うんだがね。これは私が発明したと言っただろう? 世に広めるつもりなどないし、意味もない。作ることができるのは私だけ。何より教えたところで理解できる者などいるまいよ」

「理解できる者が、いない?」


 何だそれは、どう言うことだ、と。少年は心中で呟いた。

 事実ならばネルニスの技術力はそれほど他を隔絶していることになる。理解できる者が他にいないなど、教えても分からないなど。ありうるのかと。


「同じ研究者でも分からないっていうのか……?」

「……"同じ研究者"、か。服装から予想はついていたが、随分と肥えた世界からやってきたようだね君は。研究者なんてそうそういやしないし、いても"自称"が頭につく輩がほとんどだ」

「……はぁ? いや、ちょっと待て。待ってくれ」


 少年の脳は一瞬、理解を拒んだ。しかしネルニスから告げられた言葉と、ずっと感じ続けていた違和感が結びついた。

 それは"まるっきり違う世界のような"、圧倒的なまでの文化の違い。青い色味をもつ部屋の照明、褐色の肌の研究者、違和感は他に結びつき、連鎖し、ついには部屋の形状すらもおかしく思える。どこが大きく違うというわけではない。しかし否定することのできない違和感。

 崖から飛び降りて気づいたら日本ではない場所にいた、それだけだったとしても驚愕に値する。

 しかし単なる異国だというには、決定的なまでに何かが異なっていた。

 それは今己が話している言語に対するものであり、左右で違う色の目をもつ研究者に対するものであり、さらに今しがた聞いた【記憶水晶】なるものに対する、確信のような違和感だった。

 褐色の研究者が告げた言葉は、少年の胸中に受け入れがたい納得の色を広げた。


「…………ここは、僕がいた世界とは違う世界なのか?」

「ああ。どういった観点で"異なる"のかは分からないが、異なる世界だと言っていいほどにここと君のいた場所はかけ離れている。少なくとも君はもう元の場所には戻れないからねぇ」


 あまりにもあっさりと、その研究者はそう告げた。薄々少年が勘づいていた、もう自分がいた場所には戻れないという事実もだ。どうせ帰してくれないだろうと、帰ったところでまた崖から飛ぶだけだと思う少年にはどうでも良かったが。


「なんで、いや……どうやって僕を別の世界に?」

「ふぅむ。どうやって、か。その質問は今の君に答えるべきではないな。何より答える意味がない。君にとって重要なのは、これからどうするのか、だ。どのようにして君をこちらへ呼んだかなんて、知ったから何だと言うんだ?」

「確かに……でも、気になるじゃないか。別の世界に行くなんて、作り話の類だと思ってた」

「……こちらでもそれは同じさ」


 え、と少年の口から声が漏れた。それはネルニスの答えに意表を突かれたこと、そしてネルニス・イルザリースという研究者の様子がこれまでの得体の知れない狂科学者マッドサイエンティスト然とした様子とは違う、どこか悔しさをにじませた声音だったからだ。


「……それで、他に聞きたいことは?」

「――え、と……まだいくつかあるけど」

「そうか。ではさっさとしたまえ」


 少し不機嫌になった研究者の前で少年は考えた。

 時間制限があるわけでもないのに多くの場合は小心者な少年は、急いで何か言わねばと脳を回転させる。そして彼はすぐに口を開いた。


「……さっきの」

「何だい?」

「さっき聞いた最後の質問、どうやって、いや、僕をどんな風にするのかを、聞いてない」

「ああそれは答えよう。だがその前に、まず何故なにゆえ君が"貴重な素材"となるのか、そのことを話そうじゃないか」


 慣れない言語を話していること、そして緊張でなめらかに言葉が出ない少年に対し、研究者は超然とした態度を取り戻し自慢気に語り始める。若干の安堵を胸に、少年は意識を聴覚に集中させた。


「この世界には、とある力が存在する。それは全ての物質、生物に宿る力だ」

「……!」

「それは"想像"によって姿を変え、超常の現象を引き起こす……もはや超常とは呼べないものがほとんどだが。まぁいい、とにかくこの世界に存在するもの、万物に宿る力。それを我々は【魔力】と呼ぶのさ。かつてはそれに溺れ、驕る者が溢れかえり一度は世界そのものを壊しそうになったほどの……ゆえに【魔の力】と呼ばれるようになった、それほどの力だ。生物の可能性そのものと呼ばれることもある。分かるかい? この世界の存在は、本来全てが持っているはずの力なんだ。そう、この世界にいる者全てが」

「…………まさか」


 しつこいとすら思う話し方、その内容が少年が隠し持つ劣等感と結びつき、一つの答えを導き出す。

 眼前の研究者が得意気に話すこと、それら全てが真実と仮定した場合……その答えは最悪の意味をもつ。少年をこの世界における"無能"におとしめる、最悪の答え。

 そう、つまりは。


「僕だけが、それをもっていない……のか?」

「くふっ」


 愉快、研究者の目がそう語る。隠しきれない、否、隠そうともしていない愉悦ゆえつが宿った瞳で少年を眺めていた。

 一方少年の胸中には、どうしようもない落胆と失望が湧き出ていた。


(この世界でもか。この世界でも僕は、生きていけないのか)


 気づかぬうちに、少年は見出していたのだ。知らない世界、これまで過ごしてきた場所とは違う、新しい世界に。ここでなら生きていけるかもしれない、ここならばあるいは、そんな希望を。

 現状は最悪だ、狂科学者の実験材料となることがほぼ確定している。だがそれでも、自分が落胆した社会とは違う、必死に生きて……いつか死ぬ。終わりを飾るのが後悔か、あるいは満足なのかは分からないが、それでも前よりマシな人生を送れるんじゃないか。

 そんな希望は――


「だがまぁ、そう落胆することはあるまいよ」

「……なんでだ」

「何故って、言っただろう? 【記憶水晶】は記憶領域の全てを埋めたわけではないはずだが? ん? 忘れてしまったのかい?」


 ――人を馬鹿にするニヤニヤ笑いの研究者によって守られた。


「…………僕は"貴重な素材"だって話か」

「そうだ。私は研究者。君の"魔力を一切もたない"という”特性”を、無駄にするわけないだろう? それに言ったはずだ、私は『世界の頂点に立てる生物』を創りたいのだと。君が君としてそんな生物になれるかは君次第だが、どのみち君は今のままでは死ぬだけだ」

「死ぬって……なんで?」


 それほどこの世界は厳しいのかと。その力がなければ、生きていけないほど。

 何も知らない、まだ甘い少年は気づかない。自分が今、誰によって生かされているのか。


「我々が殺すからさ」

「――――」

「君を優しく保護する慈善団体だとでも思ったかい? 役に立たない者をかくまうことも、生きたままどこかに届けるような真似も我々はしない。例え私がそれをしようとしても、彼らはそれを許さないさ。君が生きようとするならば、道は私の実験に協力するしかないわけだが……さて」


 酷薄こくはくな笑みだ。突き放す笑みだ。この場に至っても、研究者の顔に張り付くのは残酷な愉悦。

 吊り上がった口端を下げ、彼女は目でわらった。そして。


「――――私の実験体になるつもりはないかな?」


 胸に己の指先を当て、そう言った。

 生か死か、突きつけられた選択肢。紛うことなき脅迫に、少年の脳は思考を繰り返す。

 何度も息を吐き出し、また吸い込んで酸素を脳へと供給する。

 そして、長い長い長考の末に。



「一つだけ、条件があります」


 答えは出た。

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