第13話 稽古前の出来事
稽古場に最初に来たのは子供達だった。
皆でワイワイと騒ぎながらやって来て、鬼ごっこや戦争ごっこ、チャンバラごっこ、おままごと、稽古が始まるまで遊んで過ごす。
大人達もやって来て、子供の多さに驚く。そして子供達の邪魔にならないよう、角によって話に興じる。
段々と空きがなくなってきた。
そんな時に、ようやくスミがたどり着いた。
稽古場に、近づくにつれ歩みは遅くなり端っこを俯いて歩く。追い抜く村人に隠れるように、下げた頭をさらに下げて地面ばかり見て歩いて、やっとたどり着いた。
稽古場に着いても、入口の端で顔がわからないように被ってる手拭いを目深にして、上目遣いで皆を伺っていた。
「爺さまは、まだですかな」
隣で声がしたので、横目で見ると、校長先生だった。慌てて深々と頭を下げる。
「あ、これはどうも。稲田君のお母さん。今日は、息子さんが弾くそうで」
「はい、そう、聴いてます…」
小声で答えると、校長先生は満面の笑みを浮かべた。
「楽しみですなあ。爺さまから聴いてます。そして、…教わってます。ああ、自分達教師が、です。やはり経験とは、大事ですな」
スミを見る校長先生の目は輝いていたが、スミはそれを見ていなかった。ただ頷いているだけである。
校長先生は、そんなスミを見て、憐れむような、でも嬉しいような、複雑な表情を浮かべた。
「では、失礼しますね。稲田さん、私は、楽しみです。やあ佐々木さん、この間はどうも、ありがとうごさいます。おかげで大分便利になりました」
校長先生は話し相手を見つけたのか、揚々と行ってしまった。
しばらくして、スミがいるのとは反対の方から爺さまがやって来た。
すく後ろにヨウマが続いている。更に大分距離をあけて男が二人、続いている。
「皆、いるなあ、驚きじゃな」
爺さまの言葉に村人は答えるが、後ろのヨウマを見て怪訝な顔になる。
ヨウマが胡弓を抱えているのを見て、村人はヒソヒソと小声で話し始めた。
雰囲気が変わったのはスミにも解った。スミは意を決して人を掻き分け進んだ。
スミが前に出ると、険悪な雰囲気が漂っていた。スミに気が付いた村人はあからさまに悪意の視線を突きつける。
席は四つあった。
そのなかでも中央最奥に爺さまが座っている。
その右隣にヨウマが座ってオロオロしている。立ち上がりかけるのを爺さまが右手で引き戻す。
両端の席は空いていた。
「何しとるか、ほれ、座らんか。稽古できんぞ」
爺さまがいうと、胡弓を持った男達がソッポを向いて口を開いた。
「馬鹿の近くにはいたくない」
「馬鹿が座っているのが気に食わん」
そんな二人を子供達が睨む。
多くの視線に気づいて男達が子供達を睨みつける。
「ガキども、邪魔じゃ。馬鹿の音を聴くと馬鹿になるぞ」
「息だってそうじゃ、声聴いたってそうじゃ」
スミは顔をあげた、唖然として男二人を見る。
「じゃあ、学校行ってるやつは皆馬鹿じゃあ」
甲高い声が上がった。
「先生も馬鹿じゃな」
「村のもんは手遅れじゃあ」
「お前らも馬鹿じゃあ」
次々と声があがる。
男達は声に詰まり
「誰じゃあ、生意気言うやつは、出てこい。誰かの陰に隠れるとは卑怯もんのすることやぞ」
怒鳴り散らした。
後ずさる子供達の中で、一人踏みとどまった男の子がいた。さらに一歩前に出て
「俺じゃあ」
と声を張り上げ腕を組んだ。ヨウマを大馬鹿と呼んで、ヨウマに投げ飛ばされた子だ。
「お、おおおお。よう言うた。逆らう馬鹿はなあ、こうしてくれる」
男の一人が腕をしごいて拳を振り上げた。
「私が言ったの」
女の子の声。そちらを見ると、上級生の女の子が手を挙げていた。
「私」
別の小さな女の子も手を挙げた。少し震えているが、男をジッと睨んでいる。
「違う違う。俺はヨウマの隣じゃあ。逆らう馬鹿は俺じゃぞ」
「なら、俺は前の席。声も聴いとる息しとる。後ろの席もいるぞ。ほら」
「え?殴られたらどうするのお、あ、僕、僕もです。馬鹿です!」
子供達が次々と手を挙げて、声を上げた。叫びに近い声に稽古場は騒然とした。
振り上げた拳も、子供達の声に圧されて下がる。しかし、男は
「この、馬鹿どもがあ!」
雄叫びをを上げて拳を再度上げた。
「止めるんだ。止めなさい!」
ヨウマの担任が両手を広げ、子供達の前に出た。男の壁になり、それから子供達の方に向きなおった。
「君たちは、少し落ち着きなさい、まだ子供だ」
そういって片目をつむってみせてから、振り返った。しっかりと腕を組んで、眉をひそめ、いつもの癖で下唇を突き出す。皆の視線が集まってから
「実は、私です。私が言いました。手遅れの馬鹿者です」
と言った。担任も怒っていた。それを聴いた子供達は歓声を上げた。
「な、なんじゃ。変な格好しよってからに」
男の腰が引ける。その男が子供達の後ろにいたスミを見つけた。
「おい、稲田の馬鹿の親!あああ、馬鹿親!馬鹿息子を連れて帰れ!」
男は怒鳴った。
そこで、子供達も担任も初めてスミに気づいた。
「早く去れ!!邪魔じゃあ」
男の声が一瞬の沈黙に響いた。
「何でじゃあ…」
スミは小声で言った。驚きで口を空けていたから、喉が張り付いていた。思ったよりも低い声だ。
「何で、帰るんじゃ、帰るんならお前が帰れ」
スミは唾液を飲み込む。思わぬ反論を受け、男は顎をひく。拳はとうに下ろされていた。
「な、何でって、馬鹿は…」
「陰でこそこそうちらを馬鹿にしてたのはお前じゃ。卑怯もんが、卑怯もんはお前じゃなあかあ。うちらだってなあ、村人だあ、働いて、働いて、生きて、生きて、生きて、生きて。この、卑怯もん、卑怯もん、卑怯もん」
スミの言動に子供達も担任も道をあけ、スミは男に詰めよった。
「こんの、腐れ女が!腐った子供しか産めんかったくせに何言うかあ!」
「その腐った子供も産めん男が偉そうに!悔しかったら産んでみい!」
「生意気やぞ!!」
男が拳を振るっ瞬間
「かあちゃんはやさしいんじゃ」
ヨウマが男に飛び付いた。放り出された胡弓は爺さまが受け取った。
「ヨウマに続け!!」
「ヨウマを助けろ!!」
子供達が男に飛びかかり、スミも男に飛びかかった。
担任わ始め、大人達が止めに入るが、人数が多すぎて上手くいかない。
そして、
「ぎゃあああああ」
男の悲鳴が響いた。
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