第11話 スミの胸中
爺さまとの稽古は、学校が終わって農作業の手伝いが終わってからになっている。
母と子の二人では生活が大変だからだ。
それでもヨウマは爺さまの所に通った。疲れているだろうが、笑顔で出ていき笑顔で帰ってくる。そんなヨウマを見て、スミは幸せだった。
稽古を始める前、ヨウマは祭りの稽古の話をしようとしていたが、できなかった。自分の勝手で、稽古の時、胡弓を弾くと宣言してしまった。
皆の喜びようを見ると、今更弾きませんとは言えない。
モジモジしてしまうが、胡弓を持って構えると、そんな考えは吹き飛んでしまう。そして、家に着いて眠る前に思い出すのだ。
そして、祭りの稽古前日、爺さまは言った。
「明日は、一緒に稽古場にいくぞ。その前に二人で一度音、出しとくか。それでいいかヨウマ」
ヨウマはポカンとしたが、目と口を開いて何度も頷いた。
「さて、明日はどうなっかなあ。楽しみじゃ」
爺さまはニマニマと笑みを浮かべていた。
ヨウマはまるで宙に浮いたかのような気分で家に帰った。心配事がなくなり、今日は良く眠れそうだ。
そんなヨウマを見て、スミが何かあったのかを訊く。
「あしたの、まつりの、けいこで、おら、こきゅう、ひくんじゃ」
満面の笑みで報告するヨウマとは対照的に、スミは固まった。何やら続けてヨウマが話しているが、良く聞こえない。
何をしたかも覚束ないまま、スミは布団に入っていた。
隣を見ると、ここ数日、モジモジとして呻いていたヨウマが、スヤスヤと眠っている。
いつ、寝たのか?スミは今更ながら気付いた。
我が息子、ヨウマ。
夫がいなくなった原因。その原因は、自分だ。
村の嫌われもの。
手伝いに行っても無視され、手伝いには誰も来ず。
あからさまに罵倒する者もいる。
家に糞尿をかけられてたこともある。
死ねと言われた。聞こえないフリをして、我慢した。
そんな、そんなヨウマが、息子が胡弓を人前で弾くという。
ヨウマは意気揚々と出ていった。スミは辛うじて聞き取ったのは
「がっこうおわったら、じじさまんとこいってから、まつりのけいこばいく」
だった。どうやら、昨夜も同じことを聞いたらしいが、覚えてない。
スミは身体を動かすことで誤魔化そうとした。
いつも通りだ。
水汲みにいって無視されたり、桶を放られたりするのも。背後でブツブツ言われるのも。
一人で畑を耕して、指差して笑われる。
ヨウマが笑顔になったが、変わったのはそれだけだ。他は何も変わってない。
そんな、自分の息子が胡弓を弾く。
何かの冗談かと思いたかった。でもヨウマの笑顔がそうではないと言っていた。
爺さまが、ヨウマのやる気を起こさせる為の方便ではないかと考えたが、昼前に、その爺さまがやってきた。
「稲田の。息子のヨウマなちと借りるぞ。今日の稽古にだすんじゃ。出来れば、見てやってくれ」
そう笑顔で伝えて、帰っていった。楽しそうだった。
いなくなってから、スミは家の中で怒鳴った。
「そんなに、ヨウマを見世物にしたいんか!!」
頭の中を色々なことがグルグル回る。立っているのもしんどい。
祭りの稽古の時間がやってくる。
スミは顔を拭いて、家の戸を寄りかかるようにして開けた。
一歩踏み出す。
自分の息子が初めて人前で胡弓を弾く。その場に居なければ。何せ、あの、息子だ。ヨウマだ。
スミは腹を抱えた。うずくまりたくなる。腹が痛みだしたのだ。
その体勢で、あしを踏ん張って叫んだ。
「どしたあ、稲田スミ!!」
痛みで吐きそうだ。
「何が嫌じゃあ?!面と向かって言われんのが嫌かあ!?」
スミは首を振る。
「何言っとるかあ、今更じゃあ!!息子じゃヨウマがどうにかなるのが嫌じゃ!!あんなんでも、大事な大事な!息子じゃあ!!」
スミは顔を上げ、背筋を伸ばして、腹をさすった。
「産む時に比べりゃ、軽い軽い」
歩きだす。
「土下座でも、何でも、すっぞ!!」
スミは奥歯を噛み締めながら、夜道を歩いた。
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