第8話 胡弓の授業始まる

ヨウマは駆け出した。

学校の終わりとともに。

廊下をドタドタと走る。邪魔する者はいない。生徒はまだ教室にいたし、用務員さんは鳴らし終わった鐘を押さえて歩いていたが、慌てて端に寄ったからだ。

そんなヨウマは、いろんな人に見られていたが、昨日以上に気にならなかった。

どころか、ヨウマには爺さまの家までしか見えてなかった。

だから、人にぶつかりそうになっても、曲がり角で道から落っこちそうになっても気付きもしないで走った。

走って走って、爺さまの家について、門を入って庭に駆け込んだ。

「来たか」

爺さまは胡弓を置いて待っていた。

ヨウマの目に胡弓が映り、視界いっぱいに広がった。口はだらしなく開いて、鼻の穴も広がって、顔が赤くなった。

「ほら、上がれ」

ヨウマは靴を脱ぎ、荷物を置くと、足の裏を荷物の中のボロ切れで拭いてから、昨日爺さまに貰った布を帯に挟んだ。ゆっくりと膝を使って進んで、恐る恐る胡弓に手を伸ばし、爺さまの顔を見る。

「こんにちは」

爺さまは笑うと口を開いた。

「落ち着いて、息を吸え。そしてゆっくり、優しく、吐け。……そう、そうじゃ。大きく吸って、優しく吐いて、繰り返しながら聴けよ。唾、かからんようにしろよ。……お前の胡弓じゃ」

ゆっくり、諭すように言った。

昨日よりも大分落ち着いて、ヨウマは息をして、唾は出せるだけだして飲み込んで、口が乾いてから胡弓に触れた。そして歯をくいしばって涎が出ないように唾を飛ばさないようにして、胡弓を持つ。

あれだけ必死に唾を飲み込んだのに、喜びが口を潤す。優しく優しく、ヨウマは胡弓を持つ。昨日の爺さまのように。母親が赤ん坊を抱くように。自分が優しく抱きしめられたように。

そんなヨウマを見て、爺さまは笑みを浮かべ、頷き、感心した。雰囲気を変えるように、爺さまは声を張り上げた。

「よしよし、じゃあ、今日は胡弓を持つところからじゃな」

胡弓の授業が始まった。

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