第6話 爺さまの家で

翌日朝、 ヨウマは爺さまに怒られた。

「学校終わってから来い」

スミも怒られた。

「母親がそんなでどうする。学校行かせろ」

「あ、ちがう。かあちゃんわるくない」

ヨウマが我儘を言ったのだ。スミもヨウマの自己主張に驚いて、そして学校でのヨウマの扱いを考えて、爺さまの家に連れてきた。

「胡弓が好きなんは解ったから、学校行け。待ってらから」

爺さまに優しく言われたヨウマは、スミに連れられて学校に向かった。


「ヨウマのせいで、祭の稽古が台無しじゃ」

昨夜のことが、そう広まっていた。ヨウマの踊りを真似して馬鹿にする者いる。教師

注意するわけでもない。

しかしそれは、ヨウマの日常と変わらない。昨日までなら、何故そんなことをするのか、色々考えていたが、今日は気にもならない。

学校が終わるとヨウマは駆け出した。授業で習うような走り方ではない。ドタドタと音を立てる不恰好な姿だ。荷物が身体にぶつかるし、草履に石は挟まるし。

すれ違う村人が、悪意の目を向け、嘲りの視線を送っても、ヨウマは前を見て、涎を流しながら走った。

家から学校の行き帰りを覚えるのに10日かかったヨウマだが、昨日初めて来た爺さまの家は、完璧に覚えていた。

「うおた、あああた」

爺さまの家が見えると、嬉しさで変な声が出た。

爺さまは庭で小さな畑をいじっていた。村で育てて高く売れないかと、試しに植えていたものだ。垣根の外から雄叫びが、すぐにドタドタと音がして、爺さまは慌てて直接玄関に向かった。ヨウマが息を吸って声を張り上げるとこだった。

「ヨウマー」

「じじさまあ、きたぞ、こきゅうを、おしえて、ください」

ハッキリと言った。爺さまはかおをしかめながら笑みを浮かべ

「ここじゃ。声張上げんでも聴こえとる。それとな、明日からは庭に回れ。さ、やろか」

「はい」

爺さまにくっつくようにして、庭に入った。

「ヨウマは、胡弓を知らんかったか」

爺さまはそう言いながら縁側から部屋に入った。ヨウマは頷いて庭に立っていた。

「ヨウマの胡弓、用意して待っとったぞ。まさか、朝から来るとは思わんかったから、慌てた慌てた。ほれ、上がれ」

爺さまは部屋の真ん中で胡弓を持って座っていた。ヨウマは目を見開いて立っている。

「ははは。ほれ、入れ」

「で、でも、おれがさわったもの、に、さわると、馬鹿がうつる」

「んあ?そんなことあるか。誰じゃ、そんなこと言ってんのは。それこそ馬鹿じゃ。馬鹿馬鹿しい。ヨウマよ、お前が歩いた道歩いたら、馬鹿になるんか?お前が吐いた息吸ったら馬鹿になるんか?」

ヨウマはうつむいた。

「はああ、ヨウマ、そもそもお前は、馬鹿か?」

ヨウマは驚いて顔を上げると、

「わ…わかんねえ。けど、うまく、はなしできない、し、みんなが、馬鹿、馬鹿って、いうし」

「そうかもな、なら、話せるよう頑張れ。外に出るもんが全てじゃあない。中身が、大事なんじゃ。

つうか、学校の先生は、なあにを教えてるんじゃ。出来る奴教えるんは楽じゃろうが…こりゃ校長にでも言っとかんといかんな。

まあ、いいからあがれ。わしも歳とって夕べ何食べたかも忘れる。馬鹿になってきてる。長生きしてる分、ものは知っとるが、思い出せんし、新しいものはとんと解らん。なら、馬鹿どうし胡弓やるぞ」

爺さまは笑った。最後の方は枯れた声だった。ヨウマは笑い声から寂しさを感じ、側にいたくなった。

草履を脱いだヨウマは縁側に腰掛けて両足の裏を掌で一生懸命こすった。

「これこれ、ヨウマ。足の裏こすった手で胡弓持つんか?」

ヨウマは掌わ見て気付いた。

「着てるもんで拭くなよ?」

ヨウマは困った。

「胡弓は服にも触れる。ほれ、こうして構えるからな」

爺さまは胡弓を構えてみせる。

「太股の上に乗せるしな、で、こう弾くんじ

ゃ」

音を出して胡弓を動かしてみせる。ヨウマは掌を上に向けたまま目を見開いて口角を上げた。

「優しくな、母親が、…ヨウマの母ちゃんが、お前を抱きしめるように。揺らすこともある」

胡弓に合わせてヨウマも身体を揺らしていた。両手は、爺さまの手を真似している。

横目でヨウマを見ていた爺さまは、弾くのを止めた。

「…だからな、ほれ、腰には、ボロでもいいが綺麗な布を二枚、挟んでおく。手を拭ける布、服の汚れをつかないようする布。挟むのは、尻に敷かないように、前の方にな。これをやる」

爺さまは、自分の腰に挟んであった布をヨウマに付き出した。

ヨウマはゆっくりと腕を伸ばして両手で受けとると、丁寧に帯に挟んだ。

「お、いいぞ、そういうな、ある意味どうでもいいことも丁寧に出来るってのは、大事だ」

ヨウマは誉められて変な顔をしたあと、笑んで頷いた。ヨウマは母親以外から物を貰った記憶がなかったから、布切れでも嬉しかったのだ。そして、爺さまが腰に布を挟んでいたのが格好良かったから真似しただけだ。

「そしてな、これが…」

爺さまは隣に置いてあった胡弓を両手で持ってヨウマに差し出した。

「お前の、胡弓じゃ」

ヨウマは腕を伸ばしかけて止める。そして爺さまの顔を見た。爺さまは黙って笑っている。

「あ、ああ、あああああ」

ヨウマは叫んで胡弓を受け取った。

「嬉しいか?嬉しくても我慢せい。唾がとぶ。音が変わる」

ヨウマは歯をくいしばって耐える。喉の奥から呻き声が溢れる。唾がとびそうになると、それをすする。

「落ち着くまで、置け」

ヨウマは呻き声を大きくして拒否を示すと、両腕を精一杯伸ばして身体から遠ざけ、横を向いた首を懸命に伸ばして顎を付き出して歯をくいしばった。目玉だけをつかって胡弓を見ている。

「…頑張れ」

爺さまはそう言うと、ジッ待った。

結局、それで終わった。ヨウマは興奮し続け、暗くなってからスミが迎えに来た。

実はスミは授業の終わる頃に学校にいたが、走り去るヨウマを見て、慌てて跡を追いかけ、爺さまの家について安心してから農作業に戻っていた。

ヨウマは胡弓から手を離さなかった。

スミが言っても聴かず、思わず大きな声を出しかけたとき、爺さまが口を開いた。

「胡弓にも、眠る所があるんじゃ。お前んとこには、まだ胡弓の寝床がないじゃろ」

優しい言葉に、ヨウマはようやく涎が止まった。胡弓を見て、爺さまとスミを見て、優しく、胡弓わ差し出した。


二人は帰って行った。スミは何度も頭を下げてお礼を言いながら。ヨウマは見返り、手を振りながら。

二人を外まで見送って、爺さまは大きく延びをしてから、家を離れた。



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