第5話 胡弓との出会い

月日はあっという間に流れた。

翌年、祭前の騒がしさに皆が浮かれ始める。

ヨウマは同じクラスの子供達のはるか後ろを歩いていた。

ヨウマの存在に、皆は慣れ、馬鹿という評価にも慣れた。関わると同じ馬鹿になる、という根拠ないことが信じられ、子供達はヨウマを無視するようになっていた。

彼らがたどり着いたのは、祭の稽古場所。子供達は到着するなり、すでに始まっていた音楽に合わせて踊り始めた。

楽しそうな皆の姿に引き付けられ、ヨウマはフラフラと近づき、踊り始めた。好きなように身体を動かしているだけ、というより、身体が勝手に動いていた。

不思議であった。

耳から入ってくる音が、胸や頭に響いている。ヨウマにとって人や物の音ではなく、始めて聴く音楽。

嫌悪感露な視線や舌打ち、あからさまに逃げる周囲の人など気にせず、ヨウマは音の方へ音の方へと進んだ。

ヨウマの視界に、それが焼き付いた。

”胡弓“

ヨウマは手足を動かしても顔を固定して胡弓を見ていた。

胡弓は三つあって、両端の胡弓は音を出さなくなったが、真ん中の一つは音を奏で続けている。

曲が終わった。

最後まで踊っていたのはヨウマだけだった。

「なんじゃ稲田の馬が何しに来た。ここは神様のための稽古場じゃ。はよういなくなれ」

胡弓を弾いていた左端の男が手を振りながら言った。

「あ、あうい、あああ」

嫌悪感、憎しみ、怒り、多くの感情をぶつけられたヨウマは固まってしまった。ただ訳のわからない感情だけが口から溢れる。

らちが明かないと、男は握り拳を作り、腕を振り上げた。と、真ん中で胡弓を弾いていた老人が口を開いた。

「胡弓、初めてか?稲田の息子なのか?」

「あああ。ああ」

ヨウマは必死に頷いた。口に手を入れて涎をたらしながら。必死に頷くので、涎が飛ぶ。

「そうかあ、なら聴いてけ、踊ってけ」

老人は胡弓を構える。

「な、爺さまよ、こいつは馬鹿もんです」

「馬鹿でも何でも、村のもんで一生懸命働いて生きてる。何より胡弓が好きで、ほれ、今の音で最後まで踊ってたんは、この、稲田の息子だけじゃい。なんじゃ、他のもんは気圧されてボーッと見ていただけ。神様のための稽古じゃないんか?変な顔して神様の稽古を見とっただけ。ほれ、稽古すっぞ。せいのお」

老人は言うと胡弓を弾き始めた。仕方なく、男二人が弾き始め、皆も踊り始める。

踊りは型が決まっている訳ではなく、やたらに場所を取ったり、駆け回ったりしなければ問題はない。

皆はヨウマを無視して、距離をとって踊った。慣れたもので、そのうち楽しくなってヨウマのことを忘れた。

ヨウマは身体を動かしながら、老人の胡弓を見つめていた。


真っ暗になって、稽古は終わった。

皆が帰っていく。ヨウマは、ただ立っていた。

誰もいなくなって、一人で立っていた所へ、胡弓を弾いていた老人が戻ってきて、離れたところから見ていた。幾度か踵を返してを繰り返し、ヨウマに近寄ってきた。

「稲田の息子、帰らんのか?」

声に振り向いたヨウマは、何度も瞬きをして、笑みを浮かべた。

そして老人を上から下まで見て、肩から飛び出ている棒を見つけると老人の背後に回る。老人は話をしようと、ヨウマの正面に向きを変える。二人はクルクル回った。

「稲田の息子、ひょっとして、つうか、胡弓が好き、なのか?」

「あぁ」

ヨウマは立ち止まって、一度開けた口を閉じて大きく息を吸うと、

「す、き」

ハッキリと言った。

「好き、そうか好きか」

老人は笑ってヨウマの肩を優しく叩き、

「稲田ん家は、こっちじゃったな」

包み込むようにして歩きだした。

ヨウマは老人の横顔を見ながら歩いた。


「ヨウマあああ。ヨウマあああ」

スミの叫び声がする。

「か、あちゃん」

ヨウマは駆け出した。

「ヨウマあ、いたかあ」

涙をながしながらスミも駆け寄った。

「かあ、ちゃん」

ヨウマはスミに飛び付いた。スミは倒れそうになりながら、抱き止め、二人はぎゅっと抱き合った。

「かあちゃ、ん。だ、だいじょうぶかあ?」

ヨウマの言葉に、スミは身体を離してヨウマの顔を見る。

「ヨウマ、おめえ、言葉が…」

月明かりの中、心配そうにスミを見ているヨウマの顔が見える。ハッキリと、感情を現していた。

「稲田の」

「あ、はい?これは、爺さま」

離れた所に立っていた老人に気付いたスミは、慌てて礼をした。

「息子な、胡弓が好きじゃとさ」

爺さまは笑顔で言った。

「稲田の息子、うちに来い。胡弓、教えてやるぞ」

「ようま」

ヨウマは言った。それから頷いた。

「うん?おお、名前、ヨウマか、稲田ヨウマ。うん覚えた。ヨウマって呼ぶぞ。いいな」

ヨウマは頷く。爺さまは声を出して笑いながら

「明日にでも来い。母ちゃんが、家知っとるからな」

言った。

「うん。は、はい」

ヨウマは答える。爺さまは手を振って去っていった。

スミはヨウマを見て驚きで涙を流した。

手を振ったヨウマは、反対の手で老人の触れた自分の肩を、同じように優しく触った。

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