第13話 「ちが…私、本当に脅されてなんか…」


あれから騒ぎを聞きつけた先生たちによって騒ぎは表面上では沈静化されて、僕たちはそれぞれ自分の教室に戻された。


表面上では沈静化されたものの、実際のところは教室内の目で興味津々で見てくる目が三割、軽蔑の目が六割、残りの一割は無関心といったところ。


普段の僕を知っている人でこれだ。他のクラスではどんな風に噂されているか考えたくもない。


別れ際に天童さんが心配そうな目でこちらを見ていたけど、そもそも僕が痴漢をしていた事実があるわけでもなし、そう大きな問題にはならないと思ってる。


「おっす、昴。大変だったな」


「おはよ。もう知ってるの? 流石に耳が早いね」


「知ってるも何も、俺が教室に着いたときにもこっちの教室におんなじことが書かれてたからな」


そんなくだらない落書きは俺が消しておいたけど、と何でもないことのように言う光輝。

僕自身はやっていないことだとわかっているわけだから動くことができるけど、それをわかっていない光輝が動いたっていうことに、こいつの人の良さが出てると思う。


少なくとも二人は僕がやっていないことをわかってくれているし、信じてくれている。その事実が僕の心を温めた。


「ということは、僕と天童さんのクラスにだけ書かれてたってこと?」


「そうっぽいな。だから上の学年の人はこのこと知ってる人は少ないんじゃないか?」


「それは良かった」


もし姉さんの耳に入ったとしたらどうなることか。

あの人のことだ、犯人をつるし上げてみんなに晒すに決まってる。

もしくは噂を信じて僕をつるし上げるか。


流石に噂を信じることはないと思うけど…。


ブブブ、とスマホがポケットの中で振動する。

光輝に断ってスマホの通知を見てみると、姉さんからのメッセージが届いていた。


メッセージの内容を見て僕は苦笑い。


「どした?」


「いや、姉さんから連絡が来たんだけどさ…」


口で説明するよりも見てもらった方が早いと光輝にメッセージを見せる。


『学校内で看過できない噂が蔓延はびこっていたので、とりあえず鎮静化させておきました。ひとまずは私の学年だけですが』


メッセージを見た光輝はひゅうと口笛を吹く。また音が綺麗なのが少しむかつく。


「へえ、流石じゃん!」


「いや、まあすごいんだけど…」


朝来て広がった噂をホームルームが始まる前に収束させるってどんなことしたんだろう。

というかそんなこと可能なのか。


自分の姉ながらあの人がすることは非常識と言ってもいいと思う。


「これで少なくとも、天童と俺とお前の姉は味方ってわけだな」


呟きに反応して顔を上げると、光輝は真面目な顔で話す。


「まあ鈴木も味方だろうけど、天童と一緒にいる時点でもしかしたらお前のことを邪魔だって思ってた可能性はゼロじゃないし?


あとは、天童といるだけでお前のことが気に入らないってやつの方が圧倒的に多かったよな。

自分のことだけ棚に上げて他人の気持ちを考えられない人が多いことで、結構なこったよ」


それなりの声で話す光輝に、クラスの人は気まずそうに僕らから目を背ける。


僕が天童さんの側にいることに納得してない人が圧倒的に多い。

その言葉は僕の胸にしこりのように残った。


「二人ともおはよう。…あれ、なにこの空気?」


「…なんだかやけに辛気臭いわね。何かあったの?」


「はよっす。いやあそれがさあ…」


クラスの中の微妙な空気をものともせず、僕らに話しかけてきたのは同じクラスの早乙女優さおとめゆう和泉司いずみつかさ


名前だけ見ると勘違いされることが多く、早乙女の方が男で、和泉の方が女だ。


早乙女はなんだかマイペースで自分の道を進んでるような男子で、和泉はそんな早乙女のフォローをしている感じ。

早乙女から聞いた話によると、二人は幼馴染みで、中学の時から付き合っているそうだ。


「それがさ、昴が痴漢騒ぎの犯人にされちまってるんだよ。誰がやったのかわからないけどタチの悪い悪戯だよな」


ため息混じりに光輝が言う。


「は? 時任、そんなことするやつじゃないじゃん。みんないつもなに見てたの?」


眉をひそめる早乙女。不愉快だという態度を隠しもしていない。


「はっきり言ってそんな噂は鼻で笑っておしまいね。そんなくだらないことよりもっと有意義なことに時間を使った方がいいわ」


何を言っているんだと言わんばかりの表情の和泉。


クラスの空気が微妙な理由を知った二人は心強い言葉をかけてくれた。


「あはは…ありがとう二人とも」


「大体、時任くんが天童さんと一緒にいるのって時任くんからじゃなくてあっちの方からのアプローチでしょ? だったら時任くんじゃなくて天童さんの方を説得しなさいよ」


「まあまあ。そんな当たり前の判断ができる人の方が少ないんだよ? やっぱり司はすごいね」


「…褒めてもなにもでないわよ」


早乙女の言葉に少し顔を赤くしてそっぽを向く和泉。嬉しそうな顔が隠しきれていない。

そんな和泉を見る早乙女もいつもの無表情じゃなく笑顔だ。


「夫婦漫才はともかくとして、このまま放っておくこともできないな」


腕を組んで目を閉じる光輝。


「夫婦漫才じゃないわよ!」


「放っておくことができないって、そりゃまたどうして?」


キャンキャンと騒ぐ和泉とは反対に、落ち着いて光輝に話の続きを促す早乙女。


「そりゃもちろん…」


ガラガラと教室の中に難しい表情を浮かべた佐藤先生が入ってくる。

教室内を見渡して、僕と目が合って難しい顔のまま固まった。


「時任くん、ホームルーム前に少し時間いただいても良いですか?」


「…こうなるからだな。行ってこい、昴」


「はあ…行ってくるよ」


クラス中からの目にさらされることが居心地が悪いことこの上ない。

視線から逃げるためにも、あとは一応弁明しておかないとあまり良くないと、先生についていった。





「それで、実際のところはどんな噂なの? 痴漢かも…ってだけなの?」


「あー…まあ、簡単に言うとやっかみだろうな。昴が天童に痴漢しただの、天童に付き纏ってるだの、弱味を握っているだの。取るに足らない嫉妬ってやつだ」


人気者にケチが付くのが気に入らないんだろうな。そもそも、人の友達をそんな扱いするような奴らなんてたかが知れてるが。


「呆れた。そんなことをするくらいなら自分で直接確認すれば良いのよ」


二人の様子を見れば、真実がなんなのかはおおよその予想が付けられるはず。


本人たちに確認を取ったわけではないけれど、昨日偶然校門で待ち合わせた二人の様子を見ていたので悪い関係じゃないんだろうな、と思っていた。


「まあ天童も学校のアイドルみたいなところがあるからなあ。あいつにフラれた奴も多いだろうから納得がいかないんじゃないか?」


「だとしても、そんな根も歯もない噂を広めて何がしたいのよ?」


「そんなの決まってる。時任を潰すためだろ」


今まで黙っていた早乙女が口を開く。


「正確には天童唯花に近づく不特定多数の男たちを潰すため、だろうけど。俺の考えは遠からず当たってると思うけどね」


「つまりどういうことなのよ?」


「あー…だからさ、天童に近づくなっていう警告と、あとは自分と仲良くすると仲良くしている人に迷惑がかかるって天童に思わせるっていう効果もあるわけ」


早乙女の考えを未だよく理解ができていない様子の和泉と、それとは反対に頷く神谷。


「もっとわかりやすく言ってよ! 優のそういうまわりくどいところは良くないと思うわ」


「えぇー…俺、結構わかりやすく言ったと思ったんだけど」


「全然わかりやすくない!」


もっとはっきり言いなさい、と早乙女に詰め寄る和泉。説明してやってくれ、とこちらに目を向けてくる早乙女に苦笑する。


「だからな、和泉。

天童が特定の誰かと仲良くするとこうなるっていう見せしめに昴が選ばれたってことだよ。


平たく言えば、いじめの標的にされたようなもんだな」


「いじめって…高校生にもなって?」


信じられない、と目を丸くする和泉。

それを見て神谷はじとりと早乙女に目をやる。


早乙女は神谷の視線に答えることなくにこりと無言で笑って和泉に話しかけていたが、神谷は内心こいつもなかなかのやつだと思っていた。


和泉の悪意を知らない純粋培養っぷりは、今まで早乙女が悪意を一手に引き受けていたからではないだろうか。


本人たちがそれで良いなら何も言うまいと、神谷は昴が連れられていったドアを見つめた。





難しい表情の佐藤先生に連れられて、やってきたのは生徒指導室。

問題児が集まっているイメージで、自称優等生な僕には縁のないものだと思っていた。けど、まさか入ることになるとは。良い経験になります。


とりあえず佐藤先生に気づかれないようにスマホの録音機能をオン。


佐藤先生に促され、生徒指導室のドアを開けると天童さんと彼女のクラスの担任の清水先生がいた。


清水先生は今時の若者が先生になったっていう感じで、なんだか軽い雰囲気を感じる先生。

女子生徒からの人気が高いけど、男子生徒からはそんなにって感じ。ちなみに担当教科は社会だ。


「それじゃあ、時任くんはそっちに座って。ちょっと話を聞かせてほしいの」


佐藤先生に勧められるまま、天童さんの隣に腰掛ける。席順としては、天童さんの隣に僕。僕の正面に佐藤先生。佐藤先生の隣に清水先生。清水先生の正面に天童さんだ。


「話っていうと、黒板に書かれてた件ですよね? すみません、僕のクラスでは神谷くんが既に消していたので、僕は内容を詳しく知らないんです。お手数ですけど、教えていただけますか?」


僕がそう言うと、教員陣は少し驚いたような顔をし、清水先生はなんだか嫌な笑いを浮かべた。

それに気づくことなく佐藤先生は手元にメモ帳を取り出した。


ちなみに僕が黒板に書いてあった内容を知らないというのは嘘だ。


鈴木さんが見せてくれた画像もあったし、実は光輝も消す前に写真を撮っていた。面白半分というわけではなくて、証拠としてっていう意味でだ。


共通している文言は、『時任昴は痴漢野郎』。しかし、僕のクラスの黒板にだけ、『人を脅す卑怯者』という言葉が含まれていた。これがどうしても引っかかる。


「ええと、黒板に書いてあったことを言うだけだから時任くんには気を悪くしないでもらいたいんだけど」


言い淀む佐藤先生。ほんとに良い人だな。


「大丈夫です。そのまま教えていただけますか?」


「黒板には、『時任昴は痴漢野郎』とだけ書かれていました。それが事実にしろそうでないにしろ、話を聞かなくてはならないという判断で、ここに呼びました」


「…なるほど。それで、天童さんがいるのはどうしてでしょうか?」


僕の言葉に反応したのは佐藤先生ではなく清水先生。


「どうしてって、君が彼女に痴漢行為を働いたからだろう!」


机をバンと叩いて声を荒げる姿はさながら刑事ドラマの取り調べか。

そんなもので僕が萎縮すると思っているんだろうか。姉のプレッシャーに比べたらそよ風みたいに感じるよ。


「いいえ、そんな事実はありません」


「何を言っているんだ。黒板にははっきりと痴漢と書かれているじゃないか!」


そう言って清水先生が取り出したスマホには、先ほど佐藤先生が言っていたものと同じ文言が。


「私、時任くんには助けてもらったんです! だから痴漢なんてされてません!」


「大丈夫だ、天童。君は彼に脅されているんだろ? 安心して話を聞いていなさい」


「ちが…私、本当に脅されてなんか…」


天童さんが抗議するも、清水先生は聞く耳を持たない。反論も聞かない。

なるほど、彼はそういう人か。


少し、読めてきたかもしれない。


「僕は天童さんを脅すようなことは何一つとしてしていませんし、そんな証拠はありません」


「証拠も何も、黒板には君が脅していたと書いてあったじゃないか!」


…こんなわかりやすい墓穴の掘り方が未だかつてあっただろうか。

脅す、といった内容は僕のクラスでしか書かれていないものだ。別のクラスの、しかも先生が知っているとなると怪しさが倍増する。


僕はため息をつく。読めてきたかも、なんて思った自分が恥ずかしい。誰にも言わなくて良かった。

ため息をついた僕を訝しむ清水先生。


「清水先生、先ほど僕が佐藤先生に確認した内容をお忘れですか?」


「…何を言っているんだ?」


「佐藤先生は、黒板には『時任昴は痴漢野郎』とだけ書かれていたと仰っていたじゃないですか。清水先生が見せてくれた黒板の写真にも同じように書いてありましたよね?


でも、清水先生は僕が天童さんを脅している、と言いました。この言葉は、僕のクラスに書かれていたものです」


そう言って僕はスマホを取り出して光輝に送ってもらっていた写真を見せる。


清水先生の見せてくれた写真は彼のクラスで撮られたもの。すなわち鈴木さんが見せてくれたものと同じもの。だから脅すの文言がなくても佐藤先生は不思議に思わないし、そもそも彼女が知る由もない。


だって、証拠は光輝が既に消してしまっていたから。でも、光輝は写真を撮っていた。


「確かに、私のクラスの黒板には脅すという文言があります。…清水先生、どうして時任くんが天童さんのことを脅していたと思ったのか教えていただいてもよろしいですか?」


佐藤先生が尋ねると、清水先生は目に見えて狼狽する。先程までの威勢の良さが嘘のようだ。


「……私はただ、そうじゃないかと思っただけだ! 私がわざわざ黒板に彼への誹謗中傷を書いたとでも!?」


「そうは言っていません。ただ、どうして彼が脅すようなことをしていると思ったのかを聞いているだけです」


声を荒げて詰め寄るも、佐藤先生は動じることなく淡々と返事をする。失礼に思われると思うけど、いつものほんわかしている様子からは考えられないほどしっかりとした姿だ。


「それは…っ」


「それは、なんですか?」


「……」


「何も話しませんか。…まあいいです。時間ももうあまりありませんし、今日のところは一旦解散にしましょう。時任くん、天童さん時間くれてありがとうね」


佐藤先生はそう言って退出を促してくれた。


「佐藤先生、時任くんは本当に助けてくれただけなんです!」


天童さんが訴えるも、佐藤先生は心配することはないと笑う。


「大丈夫ですよ、天童さん。そんなに必死に訴えるあなたを疑うようなことはしませんから。

時任くんも、私はあなたが黒板に書かれていたようなことをしたとは思っていませんから」


「ありがとうございます、先生」


「日頃の行いですよ。でもごめんなさい。何かあったら申し訳ないんですけど、後日またお話を聞くことになると思います」


「はい、それでは失礼します」


「失礼します」


そうして、今のところは僕に特にお咎めもなく生徒指導室から無事に退出した。

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