第12話 『時任昴は痴漢野郎』
天童さんとテスト明けに喫茶店でバイトをすることが決まった日の翌日。僕はいつもより少し早く起きて支度をしていた。
天童さんはいつも朝礼の三十分前には学校に着くようにしているらしいから、天童さんの通学時間に僕が合わせるという選択肢もあったのだけど、僕が朝起きるのが苦手だと知って、彼女は僕に合わせてくれた。
…そうは言いつつも、完全に僕に合わせてもらうのは申し訳ないので話し合った結果、折衷案として天童さんは少し遅く、僕は逆に少し早く家を出ることになった。
彼女曰く、僕に合わせて遅く出る分には問題ないのだとか。
それはそうだ。時間に少し余裕ができるだけだからね。
電車に乗っている途中で勉強とかしないのかと聞いたら、
『うーん、気分が乗ってるときとかはするかも。あとはその日にテストがあったりとかしたら教科書とか読んじゃうかなあ。でも、いつもは普通にスマホ見たりとかしてるよ』
とのこと。
いたって普通の高校生らしい回答をしてくれた。
そんな彼女の厚意に甘える形になった僕だけど、いつも通り僕より先に家を出た姉からは、もっと寝る時間を早くすれば規則正しい生活が送れるとありがたい言葉を賜った。
今日は一応見送ることができる時間には起きたからいいんじゃないかと思うけど、姉さんからしたらそれじゃあ駄目らしい。学生の鏡だよね。
僕としては個人的には夜遅くまで起きているのは高校生としては普通で、日付が変わるころには眠ってしまう姉さんの方が変わっているんじゃないかと思ってしまう。
もちろんそんなことは本人には口が裂けても言えないけど、思うだけだったら安全だから大丈夫。たまに心を読まれてるのかってくらい見つめられるけど大丈夫。
意味はわからないけど謝るまで許さないって言われたこともあるけど全然大丈夫。
「それじゃあ行ってきます」
姉は僕より先に学校に行ったし両親は既に仕事に行ってしまって家には誰もいないけど、一応行ってきますとただいまを言う癖はつけている。小さい子供にはおすすめの防犯対策の一つです。
例え誰もいなくても家に誰かいるのかもしれないという考えを抱かせるだけで牽制になるのだとか。いつかのニュースでやってた。
まあもう高校生の僕をどうにかしようという人はそうはいないだろうけど、なんとなく習慣となってしまったものはそう簡単に抜ける物じゃない。
ご飯を食べるときにいただきますっていうのと同じだよね。
さあ行こうと歩きだしたところでピロンとスマホからメッセージを受信した音がする。いけない、通知音を切るのを忘れていた。
電車の中とかで鳴ると迷惑だからなあと思いスマホの通知音を消して届いたメッセージを確認する。
『おはよう、時任くん!』
もうだいぶ前から起きていただろう天童さんがメッセージを送って来てくれたらしい。
自分が起きてすぐにメッセージを送ってこないところに天童さんの優しさが感じられる。
『おはよう、天童さん。ひょっとしてもう駅に着いちゃった?』
『実はそうなの。楽しみで早く着きすぎちゃった』
あるある。楽しみで約束より早く行動しちゃうこと。修学旅行とかはわからないけど、友達との旅行とかはそうなるよね。
修学旅行? あれは友達が少ない人を炙り出すための罠だからね。学校の策略だよ。諸葛孔明もびっくりだよ。
『僕は今家を出たところだから、あと一五分くらいかかるかも。でも急ぐね』
『急がなくて大丈夫だよ! まだまだ授業に間に合う時間だし!』
ポンと胸を張っているうさぎのスタンプが送られてくる。
僕も天童さんを遅刻させるわけにはいかないからいつもより二本くらい早い電車に間に合う時間だったけど…もう少し早く行ったほうが良いのかな?
でも天童さんも慣れてくればいい感じの時間帯に来るようになると思うし…でもしばらくはお言葉に甘えてこのままでいこうかな。
…朝、起きたくないし。
『ありがとう。でもできるだけ急ぐよ』
そう返信だけして、僕は駅までの道を急いだ。
連絡をしてから十分後くらい。速足で歩いた僕の目に駅が見えてくる。
自分が人を待たせてると思うとなんだか早く行かなきゃっていう気持ちになるよね。
遠目からでも美少女とわかるシルエットが駅の改札前の広場に佇んでいるのが見える。
行く人行く人がちらちらと天童さんのことを見ている。こうして改めて天童さんを見てみると、やっぱり美少女なんだなあと認識させられる。
「おはよう天童さん」
僕が声をかけると、美術品のような顔に花が咲いたような笑顔が映える。
「おはよう、時任くん! 一五分くらいかかるって言ってたけど早かったね?」
「あんまり待たせるのも悪いと思って。今の時間ならそこまで電車も混んでないかな?」
「たぶん大丈夫だと思うよ。ところで、さっき私たちと同じ制服の人にじろじろ見られたんだけど…時任くんは何か心当たりある?」
ここら辺で同じ高校の人…? 誰かいたかな?
光輝だったら友達が多くて記憶力もいいからわかるかもしれないんだけど、僕はあまり友達がいないからなあ。
「この辺で僕と同じ高校に進んだ人かあ…ちょっとごめん、心当たりはないかな」
友達もいないしね。
「そっか…うん。なんか気になっただけだから大丈夫だよ! それより早く学校行こ!」
「そうだね。せっかく早く来たのに遅くなったらもったいないもんね」
「そうそう。時は金なりってことだよ!」
確かに時間がお金より重要な時はあるけど…実際にその言葉を使う人初めて見たな。
電車を乗り継いで学校の最寄駅に着いた僕たち。電車の中はいつもとは違う時間帯に乗っていたこともあってなんだか少し新鮮な感じがした。
心なしかいつもよりも電車が空いていた気がするし、なにより天童さんが気にした風でもなかったのが良かった。
自分が一緒にいたから…なんて思うのはちょっとおこがましいだろうか。
学校が近くなると僕たちと同じ制服を着た人がちらほら目に入る。その内の多くの視線が僕の隣を歩く天童さんに注がれ、その後僕に移りこいつは誰だろうというものに変わる。
わかるよ。学校で人気者の人が知らない人と一緒に登校してると見たくなるその気持ち。注目されてるのが僕じゃなければ大いに同意できたよ。
「それで、他の人ってどんな人がいるの?」
「えっ?」
「もう、ちゃんと聞いてた? バイトの話だよ! マスターの沙織さんと、近藤さんと、時任くんだけじゃないんでしょ?」
どうやら僕が気が付かないうちにいつの間にやらバイトの話になっていたみたいだ。しっかり集中しないと。
他のバイト仲間か…基本的にはマスターのスカウトで増えていく感じなんだけど、天童さんが会ったことがない人は二人いる。
「そうだね。天童さんが会ったことないのは…榊さんとメイメイの二人かな? 榊さんっていうのは大学生の男の人なんだけど、特徴は…とにかくかっこいい人かな」
榊さんの姿を思い出す。陽キャ代表、みたいな顔と性格。そのくせ人との距離感がうまいから押し付けがましさがないところがとても好印象。
「かっこいい人?」
「少女漫画のヒーロー的な人って言ったらいいのかな? でもラブコメの主人公的な難聴属性はなくてちゃんとしてる人って感じ。彼女さんもいて、その人はたまに喫茶店に遊びに来てるかな」
「そうなんだ! なんか聞いている限りだとすごい勝ち組って感じの人みたいだね」
「実際その通りだと思うよ? 親はわりと裕福っぽいし、彼女も美人さん、榊さん自身の大学も頭の良いところ行ってるし」
「天は二物を与えずっていうけどそんなことないんだね…」
「まあ、そうかもね…」
天童さんが言うのはなんだか不思議な感じがするけどね。
先述した通り、榊さんはとてもいい人だ。しかも特別な人を優先して優しくできる博愛的じゃない優しさを持っている人。
だからこそ、何も知らない人にはモテるけど、榊さんの友達の中では恋愛対象外らしい。これには彼女さんも安心しているそうだ。一度ナンパを断っているところに出会したそうなんだけど…キッパリ断りすぎて相手が呆然としていたそうだ。
「もう一人のメイメイ…さん? はどんな人なの?」
「メイメイはマスターの親戚で、一応喫茶店の二階に住んでるよ。だから多分天童さんのことも見てたんじゃないかな?」
「見てた? …私、メイメイさんと会ってない…よね?」
「うん。メイメイは喫茶店にあるカメラから店内を見てるんだよ。カメラがどこにあるのかはわからないけど…話しかければスマホにメッセージが送られてくるよ」
僕はあまり好かれていないのか、返事は結構ぶっきらぼうだ。榊さんに対する返事も見せてもらったことがあるけど、大体僕と似たり寄ったり。
そもそも興味ない人には適当な子なんだろうな。
それはそれとして、近藤さんを見る限りはなんだか仲が良いように見えるから、まあ相性が良いんだろうな。近藤さんいい人だし。
「すごいね…なんかみんな個性的だね。メイメイさんは男の子?女の子?」
「女って聞いてるけど…実のところ僕も会ったことがないんだ。会ったことあるのはマスターと近藤さんくらいじゃないかな?」
僕が知ってるのはメイメイの性別が女っていうことと、名前からわかるように日本だけじゃなくて中国の方の血が混ざってるっていうこと。あとは電子機器関連に強いっていうことくらいだ。
教えた覚えもないのに僕のスマホにメッセージを送ってくるくらいだもの。深くは詮索しない…というかできない。
「じゃあ近藤さんに聞いてみたらどんな子なのかわかるのかな?」
「…それはやめたほうが良いと思うよ? 榊さんが前に近藤さんに聞いていたのを見たけど、近藤さん青い顔で教えられないって言ってたし。多分何かしら口止めされてるんだよ」
昨日は天童さんの謎の圧にやられ、いつもはマスターの圧政に苦しみ、顔も知らないメイメイにも釘を刺されている。喫茶店の業務もあるし近藤さんってばとても忙しそうだ。
…大変なんだな。今度から僕ができる仕事は気が向いたらたまには代わってあげることにしよう。
「そんなに知られたくないなんて何かあるのかな?」
「さあ…あまり深く詮索しないほうがいいと思うよ?」
藪をつついたら蛇が出ることもあるし。
「うーん、でも私は一緒に働くんだったら他の人のこと知りたいって思うけどなあ…」
そう言いつつ天童さんは下駄箱で靴を履き替える。
昇降口付近にもなると天童さんの注目度はぐんと上がる。それを気にも留めない彼女はもう見られることに慣れてるんだろうな。
そんなことを考えながら僕も靴を履き替える。
「知っておいたほうがいいことと、そうじゃないことがあるってこと」
「そういうものかなあ」
「そういうものだよ、多分ね」
そんな風に話しながら教室まで歩く。
なんだか周りの生徒たちがざわざわとしていて、いつにもまして学校が騒がしく思える。何かあったのかな?
「あ! 来たぞ!」
「やっぱりあんなやつが天童さんの近くにいるだなんておかしいと思ったんだ!」
「早く引き離せ!」
急に天童さんのクラスから男女問わずなかなかの数の生徒が出てきて僕と天童さんを引き離す。それだけでなく、僕を殴ってこようとする人もいる始末。
流石に殴られるのは嫌だし、殴った人も大変なことになるのでそれは避けたけど。
「み、みんなどうしたの? 時任くんがなんなの?」
状況がわかっていない天童さんと僕。
僕としては睨まれるのもわからなくないけど、こんな風に扱われる覚えはないし、天童さんにしてみても僕からなにかされた覚えはないと思う。
まるで天童さんを守る騎士のように彼女を囲み僕をにらみつけてくる生徒たちに、僕はなにを言うこともできずに立ち尽くすしかない。
だって何を言っても聞かなそうな雰囲気と顔をしてるんだもの。
「おはよう時任くん。原因はこれみたいよ?」
「あ、おはよう鈴木さん。…なにこれ?」
急に出てきた…と言ったら失礼だけど、鈴木さんが見せてくれたのは教室の黒板の写真。多分天童さんのクラスのものだろう。
『時任昴は痴漢野郎』
黒板にはそう書かれていた。
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