第11話 「私が良いって言ったらいいのよ。この店では私が白って言ったら黒も白なの。だって私がオーナーだもの」


「それで昴くん、わざわざ休みの日にここに来たってことは何か頼みたいことでもあるのかしら?」


怪しい笑みで僕にそう告げたマスター。僕の心の奥を覗き込むかのような笑みに苦笑いする。

彼女の言うことはまさにまったくその通りで、天童さんとの寄り道ついでにちょっとしたお願いをしに来たと言ってもいい。


というのも、平日は大体喫茶店で働いているので天童さんとの時間が長くとれない。これじゃあ一緒に帰ることができたとしても充分に満足できるような役割はこなせないだろう。


「頼みたいことというか…申し訳ないんですけど、しばらくバイトのシフト少なくしてもらってもいいですか?」


僕のお願いにマスターは首をかしげ、そして天童さんを見てにやりといやらしく笑う。

なんだか変な勘違いをされていそうだ。


もしかしなくてもわかる。マスターは人の恋愛話に進んで首を突っ込んでくるタイプだろう。

普段の様子から考えても、今の表情からしても絶対にそうだ。


頼んでもいないのに首を突っ込んで場を荒らすだけ荒らして自分はけらけらと笑っている。そんな様子が容易に想像できる。


「ひょっとしてこの子との時間が欲しいのかしら? この子可愛いものねえ、ナンパされたりとかしたらって不安になるものねえ…ところで、お名前なんていうの?」


未だマスターの腕の中にいる天童さんにとっては初対面の人だったね。そういえば自己紹介とかしてなかった。


まあ、それもこれも急に現れたマスターのせいだとは思うんだけどね。


「て、天童唯花っていいます。時任くんとはクラスが違うんですけど、高校が同じで。今朝ちょっとあって助けてもらって、その…」


おびえながらもしっかりと自分の名前を告げる天童さん。そんな表情もかわいらしい…じゃなくって、そろそろ放してあげたらいいんじゃないだろうか。


初めて会う人を抱きしめるだなんて僕のコミュニケーションの選択肢にはない。おそらく天童さんにもないし、そもそも普通の人にはないと思う。


だというのに、そんな小さいことは気にしないとマスターは天童さんの足を撫でさすり始める。それ以上はまずいと思います。でもありがとうございます!


「そっかあ、唯花ちゃんっていうのねえ…名前も可愛いわねえ…ほんと、食べちゃいたいくらい」


日に焼けておらず、白くなめらかな肌を持った太もも。見てはいけないとわかってはいるのについ見てしまう。


「へっ!?」


今の、本気かな? 顔と声は本気っぽかったけど…でもそれくらいの冗談やりそうな人だし。

天童さんは顔を真っ赤にしてもがき、思っていたより拘束が緩かったマスターの腕の中から逃れることに成功する。


「…ちょっとマスター、わかりにくい冗談はやめてください」


「ああん、もう少しいいじゃないの~」


手をわきわきと気味悪く動かしているマスターを天童さんから見えないように隠す。

これが顔とスタイルはいいのに中身が駄目な大人の典型的な例だ。


天は彼女に二物でも有り余るものを与えたのに致命的な欠点を作ってしまったようだ。


見るに耐えかねたのか、この中では唯一と言っていい良識のある大人の近藤さんが口を出す。


「マスター、そこらへんにしてくださいよ。せっかく来てくれたのに自分からお客さん減らしてどうすんですか」


近藤さん、見た目はほんといかついけどすごい良い人なんだよなあ。

もっとそこらへんにいそうな格好したら怖がる人減ると思うんだけどな。


ちなみに、喫茶店に入って近藤さんの姿を見て慌てて店を出ていく人がいたりいなかったりする。その度に少し寂しそうにしているんだから近藤さんもちょっと謎だ。


「なによ、ちょっとスキンシップとって仲良くなろうとしただけじゃない!」


「そのちょっとが他の人にとっては過激なんですって…」


ぶーぶーと口をとがらせるマスターを近藤さんが引き受けてくれている間がチャンスだ。


「急に出てきて抱きしめることがちょっとなの…?」


この人はいったい何を言っているんだろうといった顔をして天童さんが呟く。

マスターは店に来る人だったら誰彼構わず懐くような人だからなあ。

一部例外はあるけれど、その話はまた今度。


「ごめんね天童さん、ウチのマスターってこういう人なんだ。でもまあ…悪い人じゃないんだよ? ただその…ちょっと、いやかなり変わった人ではあるけど」


「あはは…あんなに綺麗でかっこいい顔なのに人懐っこいなんて、モテそうだよね」


「僕もそう思うんだけど、特定の人がいるみたいな話は聞かないなあ」


今までのマスターを見ていてもそういった影は見えなかったし。でも、何を考えているのかわかりにくい人だから隠されていたとしたら僕にはわからないかもしれない。


それかそういう秘密主義なところが男受けが良くないっていうことなのか。いやでもミステリアスな女はモテるって映画でも…。


「ああもう、わかったわよ。そんなにガミガミ言わなくたっていいじゃない。子どもじゃないんだから一回聞けばわかりますー」


「このやりとり何回目だと思ってるんですか! たまに店に来るお客さんにちょっかいかけてんの知ってるんですからね!」


「ちょっとしたサービスじゃないの。それに、お店の中だけの関係だし!」


「そういういかがわしい言い方やめてください!! ウチはれっきとした喫茶店なんですから!」


「でも私の店だし…」


「限度があるって言ってるんですよ! この間から俺の仕事増やして帳簿までつけさせようとしてるのバレてますからね!」


「ちっ…近藤くんってば優秀だからぁ、お給料上げてあげようと思って…ね?」


「給料上げてくれるのは嬉しいけど、舌打ち聞こえてんすよ…」


どうにかしてくれと近藤さんが僕の方を見てくるけど、申し訳ないけど僕にはどうしようもないので目を合わせないようにする。

一従業員の僕にこの店のオーナーを動かせというのが無理難題だというのがわかっているでしょう。


…でもまあ、これじゃあ話が進まないので割って入ろうか。


「マスター、それでシフトの件なんですけど…」


「うん? そうね、減らしても問題ないけど…それよりもいい案があるの」


じりじりと天童さんに寄っていくマスター。同じ速度で後退していく天童さん。いったい何やってるんだろう?


少し睨み合いのような時間が続き、天童さんが触らせてくれそうにないとわかったのか、マスターはじりじりと寄るのをやめて普通に話しかけた。


できるんだったら最初からやればいいのに…。


「ねえ唯花ちゃん、ウチの店で働かない? 今なら昴くんと同じシフトでいいわよ?」


普通とはなんだったのか。軽い口調で言うような内容じゃないでしょう。


「はあっ!? 急に何言ってるんですか!」


また変なことを言い出して…そんなことをいきなり言っても天童さんが了承するはずがないじゃないか。

と思った予想に反して、天童さんは目を輝かせて反応する。


「えっ、いいんですか!」


あれ、天童さん? 意外と乗り気なの?

さっきまでマスターのこと怖がってなかったっけ?


急に手を取り合い笑いあっている二人の姿に驚きを隠せない。


「もちろん本気も本気よ。仕事内容は昴くんに教わればいいし、一緒に来てくれるから人手が増えていいわね~。ほんと私って天才」


自画自賛し頷くマスター。

けれどもそれを聞いていた僕は、はいそうですかと頷くことはできなかった。


「ちょっと、そんな軽くていいんですか!?」


「私が良いって言ったらいいのよ。この店では私が白って言ったら黒も白なの。だって私がオーナーだもの」


いったいどんな独裁者だ。僕がその国の国民だったらクーデターを起こしているところだよ。


決定事項だからと言わんばかりに自分を貫くマスターに反論する気がなくなり黙り込む。


そんな僕が怒ってるのかと勘違いしたのか、天童さんが僕の服の裾をきゅっと握る。


「ごめんね、迷惑だったかな…?」


「そういうわけじゃないよ。でもまあ、急で驚いたのは確かかな…」


あのマスターが急じゃなかった方が珍しいけれど。


「迷惑じゃないなら良かったけど…もし嫌だったらそう言って?」


「ううん! 嫌じゃない。僕も天童さんと一緒に働けるのは楽しいと思うから。ただほんと急で…それだけなんだ」


「そっか。じゃあ…これからよろしくね、先輩!」


「先輩?」


「一応バイトでは先輩になるわけだし」


「普通でいいよ。そんな大して変わらないし、教えられることも少ないから…」


「そうなの?」


「在庫確認とかはあるけど、基本店の大事なところは近藤さんがやってくれてるんだ。僕らがやるのは接客と料理くらい。コーヒーはマスターが教えてくれると思うけどね」


「マスターはコーヒーには並々ならぬ情熱を注いでるからな…ほら、ここにある豆だけでも何十種類もあるんだよ」


そう言って近藤さんは棚にあるコーヒー豆をいくつか見せてくれる。

有名どころからマイナーなもの。高価なものから安価なもの。

いろいろなコーヒー豆が所狭しと置かれている。


「これ、全部コーヒー豆なんですか?」


「そうそう。まずは全部の名前を覚えて、それぞれの味を覚えてからやっとスタート地点。そこからコーヒーを淹れ始めるんだけど…これがまた難しいんだ」


蒸らしの時間やお湯の温度、豆の挽き方などそれぞれの豆によって変わってくる。


そんな説明を簡単にする近藤さんもなかなかにコーヒー好きなんじゃないだろうか。


「近藤さんはマスターのコーヒーに憧れてるからね。一時期は必死になって勉強してたよね」


「まあな。その甲斐もあってやっとコーヒーを教えてもらえたんだよ」


嬉しそうに髪のない頭を掻く。


「私もできるようになるのかな…?」


「大丈夫だよ。覚えようとしてなくたってなんだかんだできるようになっていくから」


天童さんもその内マスターから試飲と言われて大量のコーヒーを飲まされる地獄を味わうことになるだろうけど、僕はなにも言わない。


ただ、あの時ほどコーヒーを見たくなくなる時期はなかったとだけ言っておく。


「唯花ちゃん、働くのは明日からって言いたいところだけど、流石にそれは難しいから来週の頭からお願いしたいんだけど大丈夫?」


あんたは人の話を聞け。


というか来週の頭って言ったら、そろそろうちの高校のテスト週間に入る頃合いじゃないだろうか。


「マスター、来週から僕らの高校はテスト週間ですよ」


「そうなの? じゃあ昴くんもおやすみかしら?」


「うーん、まあ流石にテストの前日は休ませていただこうかなって思ってましたけど。というか、僕それ面接のときに言いましたよね?」


「あはは、そうだったかしら? じゃあテスト終わってからお願いしたほうが良い?」


「私も時任くんと同じ感じで大丈夫です! 勉強はいつもしていますから!」


そうだった。天童さんは顔だけじゃなくて頭もいい天に二物を与えられた人だった。加えて性格も悪くはないから二物どころではなく三物か。


どこかの喫茶店のマスターにも見習ってほしい。


「それなら明日からでも大丈夫そうね…って痛っ!」


パン、ととてもいい音を鳴らして近藤さんがマスターの頭を叩く。


「さすがに急すぎますから。親御さんと話すこともあるでしょうし、学業に支障が出ないとしてもせめてテスト明けからです」


いくらマスターでもそこは譲れないといった姿勢の近藤さん。

実際、店の方は近藤さんがほとんど一人で回しているといっても過言ではないから、近藤さんがダメだと言ったらダメになる。


マスターもそこは分かっているのか、素直に従う姿勢を見せた。


「そっか…それなら近藤に従ってテストが終わってからにしましょう! 昴くんはそれまでお休みで! それでいい?」


頭をさすりながら天童さんに確認するマスター。


「はい! わかりました!」


「じゃあ決定ってことでこれからよろしくお願いね!」


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