第10話 「私、レンタル彼女みたいに見えますか?」


『次は西袋~西袋~。お出口は左側です』


電車のアナウンスが次に電車が止まる駅が西袋だと教えてくれる。

僕らの体勢は電車に乗った時とほとんど変わらず、はたから見たら僕が天童さんを壁に追い込んでいるように見えるまま。


さっきまでのよこしまな考えは天童さんにバレていないみたいだし、努めて冷静に天童さんに声をかける。もしかしたら声が上ずっているかもしれないけど、気にしないようにしてほしい。


「ええと…天童さんも、次で降りるんだよね?」


「うん。…あれ? も、ってことは時任くんもそうなの?」


なにも知らない無垢な瞳でそう聞いてくる天童さん。やっぱりそこに気づくよね。でも嘘をつく理由もないし素直に言うしかない。


「あー…うん、実はそうなんだ。今日の電車といい最寄り駅といい偶然が続くね。もしかして家も近かったりして…あはは…」


なんだか気まずい感覚。誰が悪いわけでもないけど、気まずいと言うほかない。

けれど僕のそんな気まずい空気をいい意味で察することなく天童さんは興奮した様子で早口で話す。


「すごいね、こんな偶然ってあるんだ! ちなみに私は東口の方面に家があるんだけど…」


良かった。流石にそこまでは偶然が続かなかったみたい。

少し残念な気がするけど、ここまで偶然が続いただけでも奇跡って言えるよね。


「僕の家は北口の方なんだよね。だから出る方面は一緒だけどそれからは別方向かな」


「そっか…でもせっかく仲良くなれたんだし、もっと一緒だったらよかったのにね!」


にっこりと笑う天童さんがとてもかわいらしい。太陽のような温かさを持った笑顔に浄化されそうだ。


『この子ともう少し一緒にいたいな。』


普段の僕からは考えられないことを考えてしまう。

僕は自分では結構ドライな性格だと思っていたんだけどな。


まったく僕らしくもないことを考え恥ずかしくなって頭を掻く。


「…もし天童さんがよかったらだけど、その…少し寄り道でもしていかない? 僕のバイト先も駅からそう遠くないし、お茶でもどうかなって…」


もしかしたらこの問題も解決するかもしれないし、一石二鳥かもしれない。


「えっ」


呆気にとられたような天童さんの顔。なんだかおかしくなって笑いそうになる。


「い、いやならいいんだけど」


「行く! 行くよ! 時任くんのバイト先見てみたい!」


そこまで言ったところで、食い気味に天童さんが詰め寄ってくる。本当に綺麗な顔をしてる。天童さんとの距離が近いせいか、彼女の瞳に映ってる僕が見える。


どこにでもいそうな男子高校生の僕。でも、天童さんが僕を頼ってくれるんだったら、こんな僕でも少しは胸を張ってもいいのかもしれないな。


「断られなくてよかったよ」


苦笑いをしてそう言うと、天童さんはきょとんとした顔になる。


「どうして私が時任くんのお誘いを断るの?」


くっ、不覚にもぐっときてしまった。なんだか恥ずかしい気持ちになってくるけど…どうして天童さんの好感度がこんなに高いんだ? 僕、何かしたっけ?


「他の人からならともかく、時任くんからのお誘いだもん。断る理由なんてないよ」


にっこりと笑ってそう言われて僕は何も言えなくなってしまった。





あれから天童さんが言っていた意味を考えている。

僕のお誘いだから断らなかった? それじゃあまるで…天童さんが僕に好意を持っているかのようじゃないか。


偶然電車で一緒になっただけ、偶然困っていたのを助けただけの僕を好いてくれているというのはあまりに僕に都合のいい話じゃないか。

人生そんなうまくいったら苦労しないだろうな。なのでこれは気のせいで気の迷い。姉を思い浮かべればすぐに冷えるんだから。


「ねえ時任くん、バイト先ってここ?」


僕らは電車を降りて僕のバイト先の喫茶店にやって来ていた。

幸いなことに、道中で天童さんを脅かすような何かは特に起こらなくて、僕らはいたって普通の日常を過ごしていた。


「そうそう。ここ、あんまり目立たないから変わったお客さんばかりだけど…実はコーヒーもご飯も美味しいんだ」


喫茶店があるのは駅に近いけど、一本外れた人気ひとけの少ない路地裏。

昔ながらの喫茶店と言えば聞こえはいいけど、外観だけを見ればぼろっちくて本当に営業しているのかどうかも怪しい喫茶店。


ドアを開くとキィという小さな音と、カランカランと軽やかにベルが鳴る。



僕らを出迎えてくれたのは、外観とはうって異なり落ち着いた雰囲気で、いわゆる昔ながらの喫茶店。……と、それに似合わないサングラスをかけた強面の男。ついでに言うとスキンヘッド。

夕日がほんのり差し込んできている店の中ととんでもないミスマッチだと思う。


後ろでピシリと天童さんが固まった気配がする。

わかるよ、初見のお客さんは大抵固まるからね。


「いらっしゃい…ってなんだ、昴じゃねえか。どうしたよ、今日はバイト休みじゃなかったか?」


「どうも、近藤さん。一応休みだったんですけど…なんていうかまあ、放課後の寄り道ってやつです」


近藤さんは気のいい人だけど、ガタイもいいし黒いスーツを着ているからいかにもそっち方面の人かと思ってしまう。


「おう、そうかそうか。昴ももう高校生だもんなあ、青春だねぇ…。っと、後ろのその子は…?」


「こ、こんにちは」


「お、お前っ…!」


近藤さんは僕に続いて恐る恐る入ってきた天童さんを見るなり狼狽えだし、そして信じられないようなことを口にする。


「とうとうレンタル彼女に手ぇ出したのか!?」


その言葉を聞いて僕はため息をついて違うと口を開こうとしたけれど、後ろの方からなんだか冷たいものを感じたので振り返る。

僕の目に映ったのは天童さんの完璧な笑顔。完璧すぎる…とも言える。なんだか貼り付けたかのような笑顔だ。


彼女はゆっくりと僕を追い越して近藤さんの正面に立つ。なんだか心なしか近藤さんの顔色が優れない気がするけど調子が悪いんだろうか?


天童さんの後ろ姿しか見えない僕からじゃよくわからない。


「私、レンタル彼女みたいに見えますか?」


感情のない声。表情、見えなくて良かったかも。


「み、見えない見えない! ごめんね、変なこと言っちゃって! ほ、ほら、カウンター空いてるし座りなよ!」


「ありがとうございます。時任くん、座ろ?」


「う、うん」


席に座ろうと誘う天童さんは既に店に入る前の普通の表情に戻っていた。さっき僕が見たのは幻覚だったのかな。天童さんのあんな取って貼り付けた顔見たことなかったし。

それにしても、近藤さんがあんなに慌てるだなんてどんな顔だったんだろうか。怖いもの見たさってあるよね。

…でもまあ、勧められて断る理由もないしおとなしく座ろう。


「はい、コーヒー。これ、変なこと言っちゃったサービスだから…」


「すみません、気を遣わせてしまって」


近藤さんがコーヒーを淹れてくれた。でも顔色が悪いし少し手が震えているように見える。そんなに恐ろしいものでも見たのかな?


「いいのいいの。ごめんね、えっと…昴の彼女さん?もどうぞ」


「わざわざありがとうございます、いただきますね」


そう言って優雅にコーヒーを口に含む天童さん。って、いやいや、そうじゃないでしょ。そこはちゃんと否定しておかないと。


「近藤さん、違いますから」


「え?」


「天童さんは僕と同じ高校の同級生ですよ。知り合ったのは今朝で、しかも話し始めたのも今日からですから」


「え、でも…そんな風には見えなかったけどなあ」


僕の否定の言葉を疑問に思ったのか近藤さんはぽりぽりと顔を掻いて、天童さんの方に顔を向ける。


「時任くんとは今日一緒に帰ることになったんです」


間違ってないんだけど、天童さんなんか圧がすごくない?

近藤さんちょっと引いてるって。笑顔が引き攣ってるし。


「あ、そうなんだ。しかしなんでまたウチに? 若い子はもっと行くところあるでしょ。ほら、昴の高校の駅の近くにできたカフェとか! あとはショッピングセンターとか…ね、ねえ?」


天童さんの妙な圧に近藤さんも気が付いているだろうに、彼はそれに触れようとしない。気になるなら聞いてみればいいと思うんだけどな。


…藪を突いたら蛇が出ると分かっていてそうする人はいないか。


「彼がどんなお店で働いているのかなって興味があって。とてもいいお店ですね! 彼の言っていた通りコーヒーも美味しいですし」


すっとカップを持ってコーヒーを口に運ぶ仕草がやけに自然で似合っている。


彼、とか呼ばれると何だかむず痒いな。


「よかった。マスターにコーヒーの淹れ方だけは厳しく教わったからね」


「近藤さんがマスターじゃないんですか?」


「俺? 俺はただのバイトだよ。マスターだったら今は奥で寝てるんじゃないかなあ」


そうなんだ。じゃあ今日は安全かなあ。マスター、いても働かないし店を荒らすだけだから。


「ざーんねん、もう寝てないわよ?」


「ひっ…!」


後ろから聞こえた艶やかな声にぞくりとした感覚と冷たい汗が背中を通り過ぎる。考えていることが覗かれるわけないんだけど、この人は謎すぎてたまに怖い。


いつの間にか僕らの後ろに立っていたこの人がこの喫茶店のマスター、沙織さん。苗字は知らない。きゅっとくびれた腰回りといい、豊満な胸といい、女優顔負けの整った顔といい、女性の理想を体現したかのようなスタイルと容姿だ。


「マスター、驚かさないでくださいよ…」


急に後ろから話しかけられて天童さんなんて固まってるじゃないか。


「ごめんなさいね。それでこの可愛い子は? もしかして新しい従業員さんかしら?」


長い髪をかきあげながら天童さんを後ろから抱きしめるマスター。

できれば離してあげてください。蛇が獲物を捕まえているようにしか見えません。


「従業員じゃないですよ。僕の高校の…そうですね、友達です」


「あらそうなの、昴くんったら光輝くん以外にも友達いたのね?」


ちょっとマスター、コーヒー勝手に飲まないでください。それは僕のです。あと失礼ですよ。光輝の他にも友達くらいちゃんといるんですから。


マスターの手からコーヒーを取り返すのを諦めて近藤さんにもう一杯コーヒーを頼む。近藤さんは黙って頷いてくれた。


「さらっと僕に失礼ですね…」


「そんな怒った顔しないの。可愛い顔が台無しよ?」


「これは怒ってるんじゃなくて呆れてるんですよ」


「全然わからなかったわ? それと近藤」


「は、はい!」


急に話しかけられて近藤さんは固まってしまう。でも気持ちはわかる。この人オンオフが激しいんだよね。


「コーヒー、酸味が出すぎてる」


「すみません!」


「でも前より美味しくできてるわね。これからも頑張りなさい」


僕の舌じゃよくわからないけど、マスターはこだわりが強いのか味や香りにはとても厳しい。

そんなマスターに褒められて近藤さんも嬉しそうだ。


そんな喜んでいる近藤さんにはもう興味がないと言わんばかりに視線を切り、腕の中の天童さんの頭を撫でる。


「それで昴くん、わざわざバイトが休みの日にここに来たってことは何か頼みたいことでもあるのかしら?」


怪しい笑みを浮かべてマスターは告げた。

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