第9話 むしろ天童さんの方が香水とかつけてるんじゃないかってくらい良い匂いがするんですけど。


さて、二人きりで帰り道を歩き始めた…のは良いものの。言っても僕らはまだ出会って初日。朝に偶然電車で顔を合わせただけ。話すようになってから時間もほとんど経っていない。


お互いのことがわかっていないような状態で会話が弾むようなことはなく、寄り道をすることなくただ真っすぐに駅までの道を進む。


ちらりと天童さんの方を見るけれど、彼女は右を見たり左を見たりとなんだか忙しそう。時々僕の顔を見てくるあたりはどうしてかわからないけど、楽しくない…というわけでもなさそうだ。だって時々にやにやしているし。


少なくとも楽しくなかったら笑わないか。


何をしているか聞いてみないことには始まらないのでとりあえず天童さんがこちらを見たタイミングを見計らって聞いてみることにする。


「どうしたの天童さん? さっきからこちらの方をちらちら見てるけど」


「えっ!? み、見てないですよ!?」


びくっと驚いてわたわたと手を振る天童さん。

あんなにわかりやすいのに言い訳をしても仕方ないと思うんだけどな。


「いや、見てたのバレバレだから。多分僕じゃなくても気づくと思うよ?」


「そ、そうですか…でも、特に変な意味はないですよ? ただその…時任くんは普段どうやって過ごしているのかなあって気になってしまって」


指摘され、少し恥ずかしそうにつんつんと指先を合わせて少し上目遣いで僕を見つめてくる天童さん。可愛いからこそできる仕草だね。僕の普段の生活かあ。そんな大したもんじゃないんだけどな。


「それって普段の学校生活ってこと? それとも休みの日とか?」


「欲張りかもしれないですけど…ど、どっちも…です」


欲張りってなに? 僕のことを知ることが欲張りになるの?


「どっちもかあ。うーん、学校だとそんなに目立たないでスマホいじったりかな。でもまあ、よく光輝と一緒に過ごしてることが多いよ。その時はテストの話したり、光輝の部活の話とかバイトの話したり、とかかな。あとは趣味の話とかだね」


「趣味、ですか?」


「うん。天童さんは今日の朝電車で見てたからわかるかもしれないんだけど、僕はゲームが好きなんだよね。…といっても、ずっとやるほど好きっていうわけじゃないんだけど、まあそれなりに。光輝も好きだからそれの話することが多いかも」


「ゲームですか…私もたまにやるけど、パーティ用のみんなでやるやつとかしかやったことないです」


パーティ用…車を走らせたりみんなでパーティしたりめちゃくちゃ戦ったりとかかな? 僕は逆にそういうみんなでやるようなゲームをやらないから少しやってみたさあるな。


僕のことは少し話したし、次は天童さんが普段どうやって過ごしてるのか聞いてみようかな。


「天童さんは普段どんな風に過ごしてるの?」


僕が聞くと、天童さんは一瞬きょとんとした顔になって、それからうーんとあごに手を当てながら悩み出す。


「私ですか? 私も学校ではテストの話だったり、涼音ちゃんとオシャレの話だったり…休みの日は流行りのスイーツとか食べに行ったりとかですね」


すごい。本当に女の子同士の会話ってそんな感じなんだ。僕の想像していた通りの会話でちょっと感動するなあ。

ちなみに僕の姉は性別は女だけど生態がおかしいので女の子としてはカウントしません。


だって話す内容がどっかの高校のあいつは性格が最悪そうだとか、最近の政治家より私の方が国を上手く回せるだとかだよ? 美味しいパン屋の話とか一切されたことない。


しかも休みの日に滝に行くってもう修行僧だよ。何を考えているのかまったくわからない。そのくせジャンクフードは普通に食べるから節制しているわけでもないし、何を基準にしてるんだろうね?


「流行りのスイーツ…天童さんは甘いもの好きなの?」


「うーんと…そうですね、割と好きなほうだと思います。時任くんは甘いものは好きじゃないですか?」


「そんなことないけど、まあ普通かな。でも…モンブランは好きかな。ケーキだったらモンブランが一番好き」


モンブランに巻き付いているような栗のクリームがまろやかな甘さで、上に乗った黄色の栗が宝石みたいで輝いている。

あの見た目とそれに違わない美味しさがモンブランにはある。


「ふふっ」


モンブランのことを想像していたら、天童さんが僕を見て笑った。何かおかしいことがあったのかな?


「どうしたの?」


「いえ、本当にモンブランが好きなんだなって。だって、とっても幸せそうな顔をしていましたから」


「そうかな? 自分じゃ全然わからなかったよ」


ぐにぐにと自分の顔をいじってみるけど、いつも通りの感覚で何もおかしいところはない。

何がおかしいのかはわからないけど、まあ天童さんが笑ってくれるんだったらそれでいいか。


それから僕らはぎこちないながらも少しずつ会話を続けた。

僕の好きなこと、天童さんの好きなこと、やってみたいこと、色々な話をした。


その中でも天童さんの食いつきがよかったのは僕のバイトの話だった。

どうやら彼女はバイトをしたことがないのか、僕が働いている時の話を興味深そうに聞いていた。


「時任くんってバイトしてるんだよね? どんなことをしてるの?」


話を続ける間に天童さんの緊張もほぐれたのか、ずっと続けていた敬語が抜けていた。僕としては少し仲良くなった感じがして嬉しい。


「喫茶店…かな? ちょっと喫茶店っぽくないこともしてるけど…」


「喫茶店っぽくないこと?」


「うん。なんか何でも屋…みたいな? 依頼は店長が選んでるからどういうシステムで営業してるのかは謎なんだけどね」


「それは確かに喫茶店っぽくはないね…」


僕も本当によくわからない。一応商売として成り立っているらしいから店長に文句も言えないんだよね。大変なことも多い職場だけどそれなりに楽しいし続けたいとは思ってるかな。





そうこう話している間に駅へと着いた僕たち。周りには下校中の生徒や帰宅中のサラリーマンと思しき人がちらほらと見える。


とりあえず目的のホームに向かう。今朝のことを思い出して天童さんの顔色を窺ってみるけど、今のところはまだ変わったところは見られない。


「天童さん、電車大丈夫そう? 気分が悪くなったりしてない?」


「うん、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」


そう言って笑う彼女だけど、なんだか表情が硬いように見えるのは僕の気のせいではないと思う。

少し心配だけど、本人が大丈夫だというのだから今のところは見守っておこうかな。


時間通りにホームにやってきた電車に乗り込む。電車の中は朝よりは混んではいなかったけど、座るところがないくらいには混みあっていた。

まあ帰宅する人の多いこの時間の電車で座れるとは思ってなかったけど、この混みようだと朝と同じようなことが起こったとしても不思議じゃないよね。


仮にも僕は天童さんのボディガード役として一緒にいるわけだから、その役割くらいは果たさないと。


「ちょっとごめんね」


「え、ど、どうしたの…!?」


僕は天童さんが他の乗客と触れ合ったりしないように壁に追いやる。彼女の後ろが壁だったら誰に触られることもないだろう。

僕と天童さんとの距離が近くなるのが問題と言えば問題だけど…そこは申し訳ないけど許してほしい。


「これだったら他の人に触られたりしないと思うから。ちょっとつらいかもしれないけど我慢できる?」


「我慢というよりこれは何というか嬉しい誤算というかこんな役得でいいのかな…」


僕と壁との間で縮こまった天童さんが小声で、しかも早口で何か言っているけど聞き取れない。仕方がないから僕は天童さんの口元に耳を寄せる。


「え?」


「へ、平気そう! だからそんなに近くなくて大丈夫!」


「そ、そう。ならよかった」


ぐいと押しのけられてしまった僕。そうだよね、女の子だもの。近づきすぎは良くないよね。

そう思って少し距離をとると、今度は天童さんは僕の袖を掴んだ。


「どこに行くの? そんなに離れないで!」


「わかったよ…」


近づくなって言ったり離れるなって言ったりどっちなの!?


程よい距離感っていうことなんだろうけど、それにしては近いと思うんだよね。事実、僕は天童さんのつむじが確認できるような位置にはいるわけだからさ。


いや、やろうと思えば吐息を感じることもできるかも…そんなことをしたら気持ち悪いから絶対やらないけど。


僕は電車に揺られながら、窓の外を眺める。時折天童さんの頭からふわりと香ってくる匂いに悩まされながらも、どうにかこうにか彼女を守ることに徹する。


そんな僕にさらなる試練が訪れる。天童さんが僕の胸元に顔を寄せてすんすんと鼻を動かしているのだ。僕は今日は体育の授業はなかったさぼったはずだし変なにおいはしないと思うんだけど、ひょっとして臭いの!?


恋愛とかとは違う意味でドキドキしてしまう。


一通り満足したのか、天童さんは僕の胸元から顔を上げる。なんだろう、少し顔が上気して満足げなのが気になるな。


「ところで時任くんって、香水か何かつけてる?」


「いや、何もつけてないけど…」


むしろ天童さんの方が香水とかつけてるんじゃないかってくらい良い匂いがするんですけど。


「ふーん、そうなんだ。えへへっ」


何かあるんだったら早くはっきりと言って僕にトドメを刺してほしい。僕はそう思わずにはいられなかった。


幸せな時間と言われればそうなのかもしれないけど、なんて幸運な奴なんだと言われたら頷くしかないのだけど、この状況はとても心臓に悪い。


天童さんは僕に何の警戒心もなく、安心しきった瞳で僕を見つめている。そんな彼女の瞳を見つめているとなんだかその瞳に吸い込まれそうになる。


ふと、今朝の彼女の囁きが記憶の奥底からよみがえってくる。なんてタイミングでよみがえってくるんだ。

ぞくりとするほどに艶やかで、それでいて声を小さくしたからか少しだけ掠れた彼女の声。


「どうしたの?」


そう言葉を発する彼女の唇に目が行く。とても柔らかそうで、まるで瑞々しい果実のよう。


ああ、これはよくないやつだ。とりあえずなんとかして落ち着かないと。


落ち着くためには何か他のことを考えれば良いんだ。姉が一匹、姉が二匹…完全に地獄絵図だ。さっきまで感じていた邪な気持ちが一瞬で冷や水を浴びせられたかのように落ち着いた。


手のひらに文字を書くだとか深呼吸をするだとかよりよっぽど効果があった。一瞬で心がキンキンに冷えたもんね。


「なんでもないよ。そろそろ駅だよね? そこからは一人で帰れそう?」


「えと、今日の朝は寝坊しちゃったからその流れでお母さんの職場が近いところに送ってもらったんだけど…私の最寄はもう少し先なの」


「そうなんだ? 何駅?」


いいぞ、落ち着いてきた。ふう。僕にやましいところの一つでもあるものか。素数とかに頼る必要もないね。


「えっとね、西袋駅」


天童さん。そこ、僕の最寄と同じなんだけど。どんな偶然なの?

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