第7話 「えへへ、放課後にまた連絡しますね?」
「…というわけで、僕が遅刻したのは偶然電車で会った天童さんを痴漢から助けただけ。自分から助けたって言うのもなんか変だけど…まあ、大体そんな感じ。だから君たちが思ってるような展開も関係もないから」
僕が説明を終えると光輝は難しそうな顔をして黙り、鈴木さんは表面上は変わっていないようだったけど、目の奥が笑っていなくてどこか冷たい空気を醸し出していた。
当の天童さんはというと、既に羞恥心は落ち着いていてなんだか申し訳なさそうな顔をしていた。
「唯花、大丈夫だった? ちゃんと駅員さんとかに言ったりしたの?」
鈴木さんは少し長い瞬きをし冷たい空気を隠し、優しい声で天童さんに訊ねる。
こういうところが人の怖いところだよね。勝手な想像だけど一瞬で切り替える人っていうのはなんだか裏がありそう。
「えと…実はそのこともう忘れてた。時任くんに助けてもらったから大丈夫! だけどしばらく満員電車は乗りたくないかなあ…あはは」
「もう、そういうのはちゃんと言わないとだめよ? 痴漢なんてする人は大抵逆恨みしたり後になってやり返しに来たりするんだから……ああ、そうだわ」
いいことを思いついたとばかりに僕の方を見る鈴木さん。やめてくださいその顔。僕は嫌な予感しかしないんですが。
時同じくして、光輝も似たような顔でこちらを見てくるから不思議。君たち本当に今日初めて会ったんだよね? さっきから思っていたけど、タイミングがあまりに合いすぎてはいませんか?
「うん、奇遇だな。俺もいいこと思いついた。実際に痴漢を撃退した昴だったらもしその人が襲い掛かって来ても平気だろうし、話を聞く限り電車の方向も一緒っぽいもんな」
「ええ、そういうこと。神谷くん、意外と察しがいいわね」
「まあな。意外とは余計だけどな」
うん、なんとなく僕にもわかったよ。でも、それはどうかと思うんだ。ほら、やっぱり天童さんの評判を下げることにもなるだろうしさ。それにもしそうなったとしたら満員電車を避けるために僕は早く起きなきゃいけないわけでしょう? それっておかしくない? 僕の睡眠時間削れちゃわない?
「えと、どういうことかな?」
ただ一人よくわかっていなさそうな天童さんが首をかしげる。その動作ですら絵になるような可愛らしさを誇っているのだからもう手に負えないよね。
何も理解していない天童さんに説明しようとする鈴木さんの瞳の奥からはおもしろそうだという感情がありありと見て取れる。
「簡単な話よ。朝は時任くんと一緒に来ればいいの。あわよくば放課後も一緒に帰ればいいの。これなら唯花は安心できるんじゃない?」
「ええっ!? いやいやそんなの悪いよ!」
そうだぞ、悪いぞ。僕が彼女のファンに襲われる危険性は含まれないのか。この可愛らしさが目に見えないのか。ファンクラブがないとおかしいだろう。
「うん、申し訳ないけど僕はバイトでいそが」
「昴は特に部活やってるわけじゃないし、暇な時間ありそうだからいいんじゃないか? バイトがあるって言っても地元でだろ?」
勝手に口を挟むんじゃない。
僕はバイトがあるって言って断ろうとしたのに僕の行動の先を読んでくるとは光輝…お前、伊達に長く友達やってないね。
無言で光輝を見ると、やけに様になっているウインクで返される。…そういうのは女子にやりなよ。僕にやったところで株は上がらないよ?
そう言われても僕は僕の自由を諦めることは出来ないので一応反論しようと試みる。勝てない戦でも立たなきゃいけない時があるんだ。
姉相手にそれをやって勝てたことはないけど。
「僕じゃなくても光輝が行けばいいじゃないか。前に天童さんのことかわいいって言ってたし役得なんじゃない?」
「おまっ! ここでそんなことばらすなよな! まあ確かにかわいいけど、それはアイドル的な意味でな…それに俺、部活で忙しいし悪いけど無理」
僕の言葉に光輝は慌てる。ははは、まるで不祥事がバレた政治家みたいじゃないか。愉快愉快。
光輝と天童さんが並んで歩いているのならみんな納得できると思うんだけどな。僕みたいな天然パーマのわかめ頭の日陰者が隣を歩いていいんだろうか。暗殺されない?
「あの、みんな、私…本当に大丈夫だから…ね?」
僕と光輝が役割を押し付けあっているのを見た天童さんは申し訳なさそうに俯いてしまう。…これはまずい。
なにがまずいって、鈴木さんの笑顔が怖すぎる。無言でこっちを笑顔で見ているんだけど迫力が尋常ではない。わかってるよな、という無言の圧力。姉で慣れっこです、はい。
仕方ない。僕で天童さんの役に立てるというなら頑張ってみようか。
早起きをする僕に驚く姉の顔が容易に目に浮かぶ。いや、驚くよりもなんで起きてくるんだと言ってくるかもしれない。永眠しろと無言で主張する姿の方が容易に想像できるな。
こんなでも姉弟の仲は悪くないんだよ、一応ね。何故なら喧嘩にならないから。向こうの圧でね。
「…わかったよ。天童さん、僕で良ければしばらくの間これから一緒に登下校しようか」
これが妥協点だ。しばらくの間という曖昧なワードを使うことで何となく期限がありますよ感をアピールしつつ、さりげなく期間はそれなりに長いかもという安心感を与えていく。なんて良いワードなんだ。しばらく。
隣に座っている天童さんに話しかける。
彼女は俯いていた顔を上げて、身長の関係で上目遣いに僕を見る。
やめてくださいとても可愛いです。
「い、いいんですか…その、迷惑なんじゃ…?」
「そんなことないよ。そうだ、これから一緒に帰るし学校にも行くってことだから連絡先交換しておこうか?」
「は、はい!」
はっきりと迷惑ですと言うこともできないし、まあ天童さんが安心して学校に通えるようになるまでの関係だ。
だというのに、天童さんはとても嬉しそうにはにかむように笑う。
僕がノーと言えない日本人だったからこそ見れた笑顔だ。
僕らはスマホを取り出して、お互いの連絡先を交換する。僕はあまり人と連絡先を交換したことがないからやり方がよくわからなかったけど、天童さんは今どきの女子高生らしく迷うそぶりを見せなかったので思っていたよりスムーズに交換できた。
僕のスマホにはプロフィール画像が猫で名前が唯花と書いてあるアイコンが追加されたことが表示されていた。
おそらくほとんどの人が知らないであろう天童さんの連絡先。期せずしてそれを手に入れてしまった幸運な僕。禍福は糾える縄の如しっていう言葉もあるし、一体これから僕にどんな不運が待ち受けているのか心配になるよ。
早速僕と天童さんの二人だけのトークルームにぴょこんと猫のスタンプが。『よろしく!』とかわいくデフォルメされた猫が挨拶をしている。
僕はそれに『よろしく』と返事をしておく。
「えへへ、放課後にまた連絡しますね?」
連絡先を交換したばかりのスマホを嬉しそうに抱えて僕に笑いかける姿はまるで天使のようだ。
「うん、待ってるね」
と、返事をしていると先ほどから静かにしていた二人の様子が目に入る。
二人ともにやにやと、まるで恋愛映画か少女漫画を観ているような顔で僕らの様子を見ていた。
僕らは見せ物じゃないんだけど。
確かに第三者から見たら僕らの雰囲気はそういうものとして見えるのかもしれないけど、僕と天童さんだよ? そんなことは起こらないと思うんだよ。
「なに、二人とも。言いたいことがあるなら言ったらどうなの?」
僕は眉を寄せて二人に文句を言うけれど、二人はそれを気にしている様子もない。
僕の不機嫌な様子なんて気にも留めないってか。僕だって怒ると怖いんだぞ。
「いやあ、いいもん見せてもらってるなって」
「そうね、おもしろいことになりそうね」
「僕も天童さんも見せ物じゃないんだけど」
「まあまあ、気にすんなって。それより、そろそろ昼休み終わりそうだから早く飯食っちまおうぜ」
光輝の言葉に時計を確認してみれば昼休みも残り十五分といったところ。僕と光輝は男だから早く食べれるけど二人は難しいかもしれないな。
「天童さん。鈴木さんも。お弁当食べきれそう?」
「うん、あと少しだしちゃんと食べきれそう。ありがとう、時任くん」
「大丈夫よ。食べきれなさそうになったら…そうね、神谷くんにでもあげるわ」
「俺は残飯処理かよ!? まあいいけどよ、鈴木のミートボール美味かったし。他のおかずも美味そうだもんな」
鈴木さんの弁当箱の中にはまだまだおかずもご飯も残っている。
「そう? じゃあはい。私はもう食べなくても平気だからあげるわ」
「ってほとんど全部じゃねえか。食べなくても大丈夫か? それで倒れたら目も当てられねえぞ?」
「涼音ちゃんはもともとあんまり食べないから…」
「ああ、それでか」
光輝はじろじろと不躾に鈴木さんの身体を見る。
女心と乙女心に疎《うと》い僕でもわかる。それは決してやってはいけないことだと。
僕は黙って後期に手を合わせる。南無。
「失礼極まりないわね」
「ってえ!」
ガタンとテーブルが一瞬上がる。
どうやら鈴木さんの足がテーブルの下で光輝に襲い掛かったようだ。あ、ちょっと出汁こぼれてる。
「なにすんだよ!」
「神谷くんがデリカシーのないことするからよ」
「別に胸を見てたわけじゃねえよ。ただ、あんまり食べてないって聞いて、だからそんなに細いのかって思っただけで…」
そこまで聞いて僕は目を瞑ってうどんを食べることに専念することにした。
光輝はこの後授業に参加できるのかなあ。
というか、生きて帰れるのかなあ。
まあでも、鈴木さんの雰囲気に気づかない鈍い光輝が悪いから仕方ないか。
どうやら天童さんもフォローしきれなかったらしく、慌てた様子でこちらを見てくるけれど、僕は黙って首を振る。
その意味は、『あいつはもう駄目だ。置いていこう』。ついでに言うなら、僕としては黙って謝ることを勧めるよ。
「ごちそうさまでした。光輝、先行ってるよ…って聞こえてないか」
後に残ったのは悶絶してテーブルに顔を伏す光輝と、すまし顔で弁当の残りを食べることにした鈴木さんの姿だった。
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