第5話 最後の人、多分それはないと思う。


「…というわけで、二次関数のグラフを求めるには、まずxの二乗の係数でくくって平方完成をすることを考えること。ここは中間テストの範囲にギリギリ入っているのでしっかり勉強しておいてくださいね」


数学の先生の授業はわかりやすいから聞いていて眠くならなくていいな。見た目は中年のイケてるおじさんって感じで若いころはモテたんだろうなあという感じ。でも噂では奥さんにぞっこんらしくて夫婦仲は円満なんだとか。


先生に言われたことを教科書にメモしつつ、黒板に書かれている式をノートに書き写す。どうやら近いうちに僕らの学校でも電子黒板というハイテクなものが導入される噂があるらしいけど、まだまだその兆しは見られない。


–キーンコーン


「おっと、チャイムが鳴ったので今日はここまで。次の授業は平方完成の練習問題を解いていこうと思いますので、予習と、あとは今日の復習をしておいてください。それでは本日の日直は号令をお願いします」


「起立、礼!」


「「ありがとうございました」」


午前最後の四時間目の数学の授業が終わり、ようやくお昼休みになった。

授業中は集中していたから気にしていなかったけど、実は僕、朝ごはんはおにぎりだけだったからお腹すいて大変だったんだ。


授業が終わってすぐに光輝が僕の席にやってきた。


「よっしゃ昴、学食行こうぜ!」


「あ、うん。ちょっと待って」


僕は光輝といつも通り学食に行くため、財布を鞄から取り出して立ち上がる。

弁当を持ってきてもいいんだけど、父さんも母さんも忙しいし、姉さんは僕のために料理をしたりはしない。僕は弟だからね、いつだって奉仕する側と言ってもいい。


ついでに言うと僕は朝はギリギリまで寝ていたい派だから僕が弁当を作るのはあり得ない。必然、学食か購買に行くことになるわけだ。


「しっかし、どうして数学の授業ってあんなに肩凝るんだろうな」


肩をぐるぐるとまわして凝ってますとアピールする光輝。実は授業中に伸びをしていたりもしていたが、数学の先生は特に何も注意はしない。

授業の邪魔をしなければあとは自由に、といったスタンスだ。

だから寝ている人がいたとしても起こすなんてことはしない。救済もしないけど。実に僕の好みのスタイルだ。


「頭の体操みたいなものだって思えば結構平気だよ?」


「そりゃあお前は新入生代表に選ばれるくらいだもんな、勉強なんて苦じゃないだろうよ」


「しー! …それ、僕断ったんだからあんまり大きい声で言わないでよね」


「おっと、悪い悪い」


悪びれる様子もなく、からからと笑う光輝。

僕は反対に心臓が嫌な緊張でキュッと締まった気がするよ。


入学当時は僕に新入生代表の挨拶を頼みたいって学校から連絡が来ていたんだけど、僕は目立ちたくなかったし、挨拶なんて緊張しそうなことをやりたくなかったから断ったんだ。


その結果、新入生代表の挨拶は今では学校の人気者になっている天童さんになったわけなんだけど。

あの時は頭もよくて容姿もいい彼女が学校で話題になったっけ。


今でも充分に話題になっているみたいだけど、友達の少ない僕にはそんな話は耳にほとんど入ってこない。僕の情報源といったら基本的には光輝だけだしね。


光輝も顔は良いし頭は悪くないし結構いい成績だった気がするんだけど、ちょっと女子に騒がれたくらいで学校中に噂が巡ったりしなかったな。


「…光輝だって頭は悪くないんだから数学くらい平気じゃないの?」


「ん? ああ、それとこれとは別だろ。俺はできれば勉強してないで部活に励んでいたいタイプなんだよな。頭脳労働担当じゃなくて肉体労働担当だから」


光輝はサッカー部に所属していて、入ってすぐの一年生ながらチームの主軸となりつつあるらしい。

陽キャしかいないであろう部活の中心だなんて僕じゃあ絶対無理だよね。


勉強しないで部活やってたいって言っている光輝だけど親は医者をやっていて、そのせいか学業もおろそかにはしていない。本人も医者になるかサッカーで身を立てるか悩んでいるみたいだ。


サッカーで身を立てる可能性がゼロじゃないことも、医者になることができる可能性がゼロじゃないこともあり、正直将来的に見て超優良物件なのではないだろうか。両親が共働きなだけの普通な家庭の僕とは大違い。


雑談しながら歩いていると、学食に着いた。

学食の中は僕らと同じように昼食を求める生徒たちのせいでそれなりに混んでいて、空いている席はそこまで多くない。

早く教室を出たつもりだったけれど、上には上がいるものだ。絶対的に勝つには授業の途中で謎の腹痛に見舞われるしかないわけだ。


ざわざわとそこかしこから会話が聞こえてくるけど、ぎゃあぎゃあわめくところまではいかないのが中学校までとは違うところだよね。ちゃんと常識の範囲内で会話の音量を調整しているのを見ていると、少し大人になったような感じがするから不思議だ。


「すみません、きつねうどん一つお願いします」


「俺はカツ丼お願いします! 大盛りで!」


「はいよー!」


券売機で買った食券を出しつつ注文を言う。

僕は非運動部らしく低カロリーなきつねうどん、光輝は運動部らしく高カロリーの代表であるカツ丼の大盛りだ。


一緒にご飯を食べると毎回光輝は馬鹿みたいに食べるからこっちが食べてないのがおかしいのかと勘違いしそうになる。


これ以上食べれないかって聞かれるとそんなことないんだけど、食べる必要がないから食べないっていう感じなんだよ。


「どっか空いてるところないか?」


「えっと、あ、あるよ」


混み合っている学食の中で運よく見つけた空いている席。


僕らは四人掛けのテーブルに腰掛ける。

隣り合ったりはせずに対面するように座る。カウンター席ならいざ知らず、流石に男同士で並んで座るのもどうかと思うしね。それに普通に話しにくい。


「いただきます」


「いただきます! うめー! あー、やっぱカツは正義だわ!」


手を合わせて食べ始める。出汁の良い香りが食欲をそそる。

光輝は光輝で口いっぱいにカツを詰め込んで幸せそうな顔をしている。


「相変わらず美味しそうに食べるよね」


「そりゃあうまいからな! 逆に昴は何食べててもそんな顔だよなあ」


「僕もちゃんとおいしいと思ってるよ?」


出汁最高。油揚げ最高。優しい味がたまらない。

これさえ言えればきつねうどんの食リポとしては百点じゃないだろうか。


「顔にあんま出ねーっつーか、ほんと周りの奴らと比べて落ち着いてるよなあ」


周りの人と比べて落ち着いてるというか、僕の場合は言葉に出すことが少ないだけなんだけどね。ちゃんと頭の中では喋ったり考えたりしてる。あ、このお揚げさん出汁がじゅわっと染み出てきて美味しい。


光輝と何気ない会話をしながら食事を楽しんでいると、学食の中がいつもとは少し違う騒々しさに包まれる。

この学校、声が大きい人が多いのか、耳を澄ませずとも周りの会話が勝手に耳に入ってくる。


「なんで天童さんが学食なんかに…」


「唯花様今日もお美しい…」


「まさかこの俺に会いに…とうとうこの日が来たか!」


みんなの会話の内容から察するに、天童さんが学食に来たみたいだ。

入学当初から学食を利用している僕らだけど、天童さんのことを学食で見たことはなかった。もしかして今日は弁当を忘れたとかなのかな。あと最後の人、多分それはないと思う。


それにしても、学食に来ただけでこんな騒ぎになるのってすごいな。こんなに注目されていて嫌になったりしないのかな。


きょろきょろと学食の中を何かを探すように見渡している天童さん。そんな彼女に対して意味があるのかわからないアピールをしている生徒もいるけれど、彼女はそれらを一切気にも留めていない。やっぱり注目されるのに慣れるとスルースキルが高くなるのかな?


まあ僕には関係ないか。とりあえずこのお揚げさんは今まで食べた中でもトップクラスに美味しい。これが冷凍ものとかだったら家に常備しておきたいくらいだ。学食の人に聞いたら教えてくれたりしないかな。


「おい昴、天童のやつなんかこっち向かってきてないか?」


「へ?」


お揚げの次はつるつるとうどんの喉越しを楽しんでいた僕が顔を上げると、光輝の言った通り真っすぐにこちらに向かってくる天童さんの姿が。もう一人一緒について来ている女子は天童さんの友達かな。


こっちに来なければいいのになあと願いながらうどんをもにゅもにゅと噛む。ついでに汁もずずっと。はあ、美味しい。一味唐辛子をかけると味変ができるけど…今日は別にいいかな。


「あの、すみません。席、ご一緒させてもらってもいいですか?」


僕らのもとに来た天童さんの言葉に周囲がざわめきだす。周りからは「おい、誰だあいつ?」等の言葉が聞こえてくるけど、こっちのイケメンが神谷光輝です。どうぞよろしく。将来有望だよ。


「お、おい、一体全体何やらかしたんだよ昴」


光輝は目を細めてこちらを見る。

心当たりがないこともない僕はその視線から逃げるようにして目を逸らす。


「さあ…ちょっとよくわからないかな」


「そういうのは俺と目を合わせてから言いやがれ! 何もないのにこんな状況になるわけないだろ?」


僕と光輝が小声で話していると、すとんと光輝の隣に天童さんの友達らしき人が腰を下ろす。あら、物怖じしないなんて男前。女だけど。


「唯花、こういうのはさっさと座ってしまえばいいのよ。それから挨拶すればいいの。…初めまして、神谷くん、時任くん?」


おおう、まるで僕の姉のような禍々しいオーラの片鱗を感じる。でもまだ悪魔の手下レベル…魔王には程遠いか。


天童さんに負けず劣らずの容姿の彼女の名前は…僕は知らないな。でも僕のことは知られているらしい。光輝ならともかく僕のことも知っているだなんて珍しい人もいたもんだ。


「お、おう」


「私はここにいる唯花の友達で鈴木涼音っていうの。一応、生徒会に所属しているわ、よろしくね」


なるほど、生徒会。それで一般人な僕のことも知っていたのか。

僕の姉が生徒会に所属しているからその関係で僕のことも聞いたんだろう。まるで奴隷のように働かせがいのある弟がいるとでも言っていたんだろうな。


鈴木涼音さんか、だったらあだ名は「すずすず」とかかなあとかどうでもいいことを考える。

更にどうでもいいけど、イエズス会って「イエスズ会」って間違えやすいと思ってる。僕は間違えたことがある。


「唯花も遠慮なんかしていないで早く座ったら? お昼休みは有限だもの」


遠慮なんか、とおっしゃいましたか鈴木さん。

どうやら本格的に姉と同じ部類の人なのかもしれないね?

傍若無人、悪逆非道を地でいく僕の姉と同じ…その道、引き返した方がいいよ?


「う、うん。えと、よろしくね、時任くん」


「あ、はい」


ひょんなことから、なんだか妙に顔を赤くした天童さんとお昼を一緒に食べることになってしまった。

これが幸運なのか不運なのか…他の生徒から見たら幸運なんだろうなあ。

もちろん、僕が嫌だって言っているわけでも思っているわけでもないけどね。


「…俺の名前は言わないんだな。いいんだけどさ」


泣くなって光輝。僕のきつねうどんの出汁飲む?

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