第2話 「寝坊じゃないよ。ちょっと電車に降り遅れちゃって」


過ぎ去っていく目的の駅を電車の中から呆然と見送り、授業に間に合わないものは仕方がないと切り替え、僕はとりあえず次の駅で電車を降りる。


僕が今いるこの駅は学校の最寄り駅前からは一駅隣で、ここから学校までは歩いて大体四十分。最初の授業には間に合わないだろうけど、次の授業の前にはなんとか学校に着けると思う。


スマホを取り出して、先に学校についているであろう姉に最近ではもうお馴染みになったメッセージアプリで連絡をしておく。


いつもは姉が僕に対してあれこれ指示している。

証拠はこのトーク履歴だ。やれ帰りに醤油買ってこいだの今すぐポテトチップスを買ってこいだの身勝手極まりない。


だから僕だってたまには頼み事をしても良いはずだ。しかも学校に関する業務連絡。駄目なはずがない。そう信じたい。


『電車を乗り過ごしてしまったので遅刻します』


僕が送信したと同時くらいに既読がついた。

早い。学校にいるのにずっとスマホを見ているんだろうか?


『遅刻の理由は聞きません。気をつけて学校に来てください。私から遅刻することは先生に言っておきますが、理由は学校に来てからきちんと先生に報告しておくこと』


『お母さんには内緒にしておいてあげます』


姉からのありがたいメッセージに心を暖めつつスタンプを一つ。アリが十匹いるやつ。

メッセージを送ってすぐに既読になったけれど、姉からの返信はなかった。


使い終わったスマホをポケットに入れ、学校へと歩き出す。


いつもとは違う道で登校していることに少しの興奮と罪悪感を感じながらポケットから最新型のえのき風イヤホンを取り出して耳に挿す。


シリコンがくっついていて耳が痛くないのと外れにくいのがいい感じ。


ノイズキャンセリング機能は周りの音が聞こえなくなるから使わないし、歩いてる時は片耳にしか挿さない。


なんで片耳かっていうのは、一応もう片方の耳で外の音を聞くため。特に理由なくイヤホンを挿す耳は変えるけど、基本は右耳です。


スマホに入っている音楽をランダム再生。これが聞きたいっていうのは特にないからね。


学校までの道をぼーっと歩きながら、先ほどの電車の中での出来事を思い出す。


胸の感触が柔らかかったなあとか、天童さんの匂いは花で言ったらなんだろうかとか、なんであんなに綺麗な黒髪なんだろうとか考える。


考えたところで僕の頭の中には花の種類なんて洒落しゃれたものはないから、結局答えは出なかったけど。


僕もできることなら天然パーマじゃなければよかったと前髪を少しねじねじ。

母さんが少し天然パーマっぽいから、それが遺伝したんだろうな。

父さんは真っ直ぐさらさらの直毛。姉さんも同じように直毛。


どうやら学校ではみんなに綺麗な髪だと褒められているらしく、自慢してくることもあるので僕は鼻で笑ってる。

そのあと鼻を折られそうになるから逃げるけど。


髪の毛もそろそろ切らないとかなあ。今度姉さんに切ってもらおう。

美容院に行っても良いけど、めんどくさいし。

姉さんは嬉々として僕の髪を切ってくれるしそれなりに上手だから任せっきりでラク。お金もかからないしね。


問題は姉さんの気分によって僕の髪型が変わることだけど、事前に貢ぎ物をして気分を良くしてあげれば大丈夫。これが弟の処世術だから。


そういえば、痴漢してたおじさん大丈夫かなあ。

警察に突き出すようなことはしなかったけど、指が逆に曲がってたからすごく痛いだろうなあ。


僕が自分からやったことだから後悔とかはしてないけど、ちゃんと病院に行って治してくれればと思う。ついでにその腐れ切った精神も治療してくれればいいのにね。


そんでもってこれに懲りて痴漢なんて馬鹿なことはやめておいた方がいい。人生を棒に振るようなことはやめるんだ。おふくろさんが泣いてるぞ。


ふむ。ひょっとしたら僕には交渉人が向いているのかもしれないなあ。

決めゼリフは、『豚箱に入るほどの価値があるのか』もしくは『こんなことで人生を棒に振るな』

…これじゃあ仕事は来ないかもしれないな。


歩いている途中で目に入ったコンビニに寄って、今日の朝ごはんを買う。

今日は簡単に昆布のおにぎりとお茶。


僕はおにぎりは昆布が一番好き。次に鮭。たまにおかか。ツナマヨは論外。姉の好物ということもあるけど、ツナとマヨネーズとお米だよ?僕には理解できないね。


コンビニのおにぎり特有の海苔のりのパリパリ感を味わいながら歩く。周りの人にじろじろ見られたけど気にしない。きっと男子高校生とおにぎりの組み合わせが珍しいんだろう。


特に急ぐこともなく、けれども休まずに歩いて学校に着くと、グラウンドでは元気に生徒たちが走り回っていた。持久走だね。

不思議と見たことのある顔が多い気がするなあ。それもそのはず、今日の僕のクラスは一時間目は体育だった。


そんな中ぶっちぎりで先頭を走っていた男子が僕に気づいた。

他の生徒と比べて大分先頭を走っているというのにさらに速度を上げて瞬く間にゴール。それから先生と一言二言交わして僕の方に走ってくる。笑顔がまぶしいから顔に何か被って欲しい。それかこっちを見ないでほしい。


「おーい、昴! 珍しいな、お前が遅刻するなんてさ。こんな時間に登校なんて寝坊か?」


爽やかな笑顔で話しかけてきたのは僕の数少ない友達の一人。神谷光輝くん。

名前の通り、誰に対しても明るく元気。に、見せているけれど、腹の中は真っ黒だ。

今だって僕が遅刻した理由を知りたくてうずうずしているような顔をしている。


「寝坊じゃないよ。ちょっと電車に降り遅れちゃって」


嘘じゃない。電車の乗り遅れがあるなら降り遅れがあってもいいだろう。


「降り遅れってなんだよ! まあいいや、あとで聞かせろよな! 佐藤先生心配してたから早く職員室行ってこいよな」


笑いながら告げる光輝。

佐藤先生というのは僕らの担任の先生で、国語の先生をしている。

今の時間なら多分他のクラスの授業をしていることだろう。


「うん、行ってくるよ。佐藤先生にはお昼休みにでも…あれ、二時間目は国語だっけ?」


「そうだな、遅かれ早かれ遅刻はバレるわけだ。というか、もうバレてるか。朝礼終わった後きかれたし、知らないふりしといたけどな!」


グーサインを出されても困る。

まあ、余計な口裏合わせの作業がなくなったと思えばいいかな。


「そこは別に誤魔化そうとはしてないけど。特にやましいことがあるわけじゃないし、正直に言ってくるよ」


肩をすくめて言う。

佐藤先生には正直に光輝に言ったのと同じように言うつもりだ。


理由については、あまり言いふらすようなことではないから適当に誤魔化すしかない。

ゲームに夢中になっていたとでも言っておけばいいだろう。夢中になってた時間があるのは事実だしね。


「集合ー!」


体育を担当している男性教諭の野太い声がグラウンドに響く。こちらに向かって言っているような気がしないでもない。


そんなことを言われても僕は集合しませんよ?

だってほら、職員室行かないと。ね?体操着でもないですし。


「おっと、集合だ。じゃあ昴、また後でな!」


「うん、また後で」


元気な少年のように授業に戻っていく光輝。あんな風に元気な頃が僕にもあったんだろうか。


昔を思い出してみるけれど、外で元気に走り回っていた記憶がそもそもない。友達もあんまりいなかった気がする。光輝とは中学からの付き合いだし、走り回って遊ぶような歳じゃなかった。


僕は昔から色のない学校生活を送っているんだなあと感傷に浸っていると、校舎の方から視線を感じた。


顔を上げてそちらを見ると、校舎の窓から天童さんが僕の方を見ていた。

なんだろう、申し訳なさそうな顔をしているけれど、何かあったんだろうか。


僕は彼女に軽く会釈をして、遅刻したことを佐藤先生に伝えるべく職員室に向かった。

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