エピローグ 彼の名前
すっかり見慣れたトゥーンの夜明けと共に3・3の基地が稼働を開始する。
と言っても、作戦や訓練ではない。
「おーっし。全機、整列したか?」
「ああ。ばっちり。こうしてみると、なかなか圧巻だね」
滑走路の両脇に15機づつ。総勢30機の《
その滑走路で発進の準備を整えているのは言うまでも無くシズクとセレスティーナの2人が乗り込む《アジュールダイバー》だった。
「ま、最後ってわけじゃないだろうけどよ。ケジメだかんな。バシッと見送ってやるよ」
「ああ。感謝している。皆にこうしてもらえるとは指揮官としての誇りだ」
整然と整列する《
こうしたセレモニーには無頓着のシズクでさえも、この風景には少し胸を打つものがあった。ましてや結果的に騎士団を追われることとなってしまったセレスティーナにとっては感無量というところだろう。
「アリーは管制室だから見送りに来れないけど、よろしくってさ」
「ああ。彼女にも随分と助けられた。私もよろしく言っていたと伝えてくれ。それから――」
と見送りに出てきている、3・3の主要メンバーを見回す。
「シェン、レイシア、リンダ。あまり言葉を交わす機会は無かったが……整備に補修、それに厳しい台所事情のやりくりでは助けられた。感謝している」
「なあに。
「だね。こんなにやりやすい仕事は久しぶりだったよ」
レイシアとマリアの2人がそう言って笑い合う。
「それは私も同じかな。シズクのおかげでかなり
「そうか。まあ……シズクのアレはどうかとは今でも思うが……
「大切に使わせて
トレードマークのメガネをくいっと指で押し上げながらにっこりと
「カルディナ、ヨシュア。2人にも助けられた。お前たちがいなかったら、あの作戦そのものが成立していなかった。改めて礼を言わせてくれ」
「気にすんなって。それよか、あいつから目ぇ放すんじゃねえぞ?」
小声でチラリとシズクに目を向ける。
それだけでセレスティーナはカルディナが、あの格納庫の夜のことを言っているのだと理解した。
「ああ。分かっている」
「なら、アタシから言うことはもうないさ。餞別だ。空の上で食えよ」
いつものように
「ありがたくいただく。ヨシュア」
「ん?」
「助かった。大っぴらにその……褒めるわけにはいかないのが何だが、ヨシュアがいなければ私はきっと今ごろ
さすがに脅迫まがいのことをよくやったとは言いづらいのか、セレスティーナは少し歯切れ悪そうにはにかんでみせた。
「ああ。ボクの見たかったもの以上のものは見せて
「それは……まあ、ヨシュアなら大丈夫だ。問題無い」
「どうだか。ま、そんなわけで……案外、近いうちにひょっこりなんて気もするしね。あんまり湿っぽい挨拶はなしでいいよ」
「そうだな」
「それから……君らの古巣の基地司令官からシズクに手紙を言付かってる。空の上でいいから、彼に渡してくれないか?」
思い出したようにヨシュアから一通の封筒を受け取ったセレスティーナは
「ヘス卿からか? また……少し意外だな」
「どうして?」
「いや。シズクとは何かあったらしくてな。どうも隔意があるようなのだ。ま、いい。確かに預かった。他には何かあるか?」
「いいや。それだけだよ」
語り合えばキリが無い。
セレスティーナはうなずくと、先に《アジュールダイバー》に乗り込んで機体のチェックをしていたシズクに視線で合図を送った。
「では、世話になった」
「ああ。気をつけてな。ねえとは思うけどよ。要らなくなったら真っ先にアタシに言えよ。
「ないな」
笑いながら、カルディナと腕を絡めあう。
腕を解くと、もはやセレスティーナは振り返ること無く、シズクの乗る《アジュールダイバー》の後部座席に潜り込んだ。
三度更新された機体はタンデムタイプの初期の実験機仕様に戻されている。その上で、ある程度の積載量も確保されたカルディナの言うところのドサ周り仕様の機体となっていた。
セレスティーナがシートベルトを締めたのを確認すると、コクピットのキャノピーを閉鎖。
外界と遮断され、2人だけの空間が形成される。外の声も音も、もう入ってこない。
「じゃあ、出発するか」
「ああ」
ゆっくりと出力を上げながらタキシングを開始。
両脇に並んだ《
剣の回廊をゆっくりと通過。
「……こんな
「来た時はいきなり撃ち落とされかけたのにな」
「まったくだ」
2人して笑いながら、さらに加速開始。浮いたのと同時に着陸脚を格納。そのまま、ゆっくりと高度を上げる。
正面に見えているのは、いつもと同じ空を2つに割る銀の塔。
それがトゥーンの大地そのものだということが当たり前になって、もうずいぶんになる。
「そろそろ、半年……。いや、もうちょっと
「もう、そんなになるか? いや……確かにそんなものか」
「早いような長かったような。不思議な感覚だよ」
「私もだ。まさか、最初に従騎士長を拝命した時はこんなことになるとは想像もしていなかった」
どこか楽しそうな声でセレスティーナが窓の外を見る。
「まさか異世界人とこれほどの長い付き合いになるとはな。今では唯一の部下どころか、唯一の同僚だ」
「せめて、
「そうだな。融合時の私と同じぐらいまで腕を上げたら、そう言ってもいいぞ」
「……そりゃハードル高すぎだって」
「なに。時間はある」
高高度に到達。水平飛行に移行。
騎士団に居たときはこの辺りで訓練に入るために分離しての模擬戦闘が待っていたが、今日はその心配は無い。
のんびりと心ゆくまで空を堪能することが出来る。
トゥーンの少し赤みのかかった藤色の空を。
すでに世界は白と青の2色だけ。シズクのパーソナルカラーの青とセレスティーナのパーソナルカラーの白。
おそろいと言えばおそろいだ。
思わぬ共通点を見つけて、なんとなく愉快な気分になっていると不意にセレスティーナが思い出したように後部座席から一通の封筒を差し出してきた。
「ん?」
「ヨシュアからの預かり物だ。ヘス卿からということだが……見るか?」
「司令官? なんだ?」
以前ほどの確執はもう無いが、それでもシズクにとって苦手意識が拭えない人物であることには変わりは無い。
とりあえず自動操縦にセットして、封筒を受け取る。
中に入っていたのは2つに折られた便せんだった。
真ん中にただ一言だけ、記されている。
日本語だった。
幾度か口の中で記された言葉を転がしてみる。
久しぶりに眺めるその文字の連なりはまだ、どこかしっくりと来ない。
「まだ、早いってことかな。滴」
その頼りを寄越したのはヘスでは無く、もう1人のシズクに違いなかった。
「……どうした?」
「いや。悪いけど、セレスが預かっててくれないか?」
「私が? いいのか?」
「ああ。頼むよ」
「中を見ても?」
「いいよ」
受け取った便せんを開くと、見慣れない文字が連なっている。文としておそらく成立していない。それほどに短い。
「……これは?」
「俺の名前」
「……なんだと? シズクというのは?」
「仮の名前っていうのかな。最初の死に戻りで名前を思い出せなくなったんだよ。だから、まあシズクって名乗ってる」
不思議な感覚だった。
最初は幼なじみのことを忘れないためだったはずなのに。
いまでは、それがしっくりと身についている。
いずれはセレスティーナの手にある名前を名乗る時が来るのだろうが。まだ少し早い。そんな気分だった。
「では……シズク、ではないのか?」
「シズクでいいよ。ただまあ、もういっぺん無くすと困るからさ。セレスに預けとく」
「私でいいのか?」
「ああ」
シズクの返事は簡潔だった。何の迷いも
「わかった。大切に預かっておく」
「助かる」
「ただ、そうだな。いつまでもシズクだけでは今後に差し支えるかも知れないからな。私からも何か名前を贈らせてもらうぞ」
「……え?」
「そうだな。それがいい。シズクだけでは何というか、その、不公平だ。そんな気がする」
どこか楽しそうに自分の思いつきを吟味し始めるセレスティーナにシズクは何とも言えない表情でため息をついた。
自動操縦から手動操縦へと再び切り替える。
「あんまり長くて複雑なのは勘弁してくれよ」
「……そう言われてもな。まあ、なんとか考えてみよう」
ミッションコンプリート。
帰るべき基地は今は無いが、共にあるべき人はいる。
今はそれで十分だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます