エピローグ
Doomsday ~今宵、その夜~
「やあ、ここに居たのかい。シズク」
「……キミか。何の用だい? ボクは今、キミとおしゃべりとケーキと紅茶を
トゥーン計画第8次先遣隊――通称、ゲーマー部隊をトゥーンに送り出して5日目を迎えようとしていた。
トゥーンでは
圧縮されて送られてきているデータを元にさらに地球と量子接続のマッチング精度を向上させる。
このことにより、最終的な目標……すなわち完全な精神のトゥーン世界への移行が成立する。
すでに動物を使った実験では良好な結果が出ていた。
あとは人間で試すだけだ。
「そんなにカリカリするなよ。君のステディが気になるのかい? 送り込んだことを、もしかして後悔していたり?」
「まさか。冗談はよしてくれ。逆だよ。ボクはね……彼をトゥーンに送り込めてホッとしているところさ。彼の家族の分もなんとか切符は確保したしね。ま……随分と高価な買物にはなったけど」
「本来は金を積んで買えるような切符じゃないんだけどね。キミの関係者だから、だよ。シズク。君じゃなきゃ、そもそもトゥーン行きの切符を融通するなんて不可能だ。正直……君があんなにエゴイストだったとはね。少し意外だったよ」
「軽蔑したかい?」
彼女――高梨滴はあのじっとりとした濁った瞳をフレイに向けた。いつものこととはいえ、彼女のこの濁った瞳には
彼女の瞳から濁りが取れるのは唯一、トゥーンで戦っている1人の少年のことだけだと彼が知ったらどんな気持ちになるだろうか。
フレイは子供にしか見えない、トゥーン計画の中心人物の少女の姿をあらためて眺めた。
見ようによっては少年にしか見えない、小さく華奢な身体。
その身体のどこにあれだけのエネルギーと叡智が詰まっているというのか。
わずか数年で確立した、異世界への精神の転移システム、身体との同調システム、そして最終的には地球側の身体が破壊されても精神活動を維持しうる量子エンタグル保存システム。
それらの基礎理論をたった1人で生み出した、おそらくは人類史上最高の頭脳の1人。
そんな彼女にこんな俗っぽい欲望が潜んでいた、というのはフレイにとってはどこか安心出来る事実だった。
それはたぶん、彼だけの考えではない。だからこそ、無茶とも言える横車がまかり通った。
「ま、今さらだね。ボクだって兄貴を送り込んでる。公私混同は今に始まったことじゃないし、計画の主要メンバーはみんなやってることだしね。別に非難するつもりはないよ」
「なら……放っておいてくれないか? ボクはもう少しここにいたいんだけどね。そうじゃないならさっさと用件を言ってくれ。そして、ここから出て行ってくれたまえ」
「ご挨拶だね。ま、いいさ。用件ってほどじゃないけどね――始まったよ」
フレイはそういうと、プリントアウトされたばかりの紙束を滴に差し出した。いささか古風だとは思うが、あいにくとこの区画への電子デバイスの持込は禁止されている。
「思ったよりも早いじゃないか」
「仕方ないさ。こればっかりはね……」
その紙束に記されているのは、地球と軌道の交差する小惑星群のデータだった。
最小の小惑星で直径10m強。もっとも大きいものでは100mを越えている。
「これは……第1波でも、地上に被害が出るね」
「ああ。いよいよ隠すのは難しいね。さすがにまだアマチュアの観測網には引っかかってないけど、時間の問題だ。事が明るみに出て、さてどうなることやら」
「最初の一撃はいつだい?」
「
「プランAも間に合わない、か」
「いよいよ、プランB――トゥーン計画が本丸だ。どうだい? 人類の命運を握った気分は?」
「知ったことじゃないね。ボクの目的はもう達成ずみだ。コー君をトゥーンに送り込んだ段階でね。あとはオマケだよ」
「君にかかったら、人類の命運も形無しだ」
「ま、仕事はするよ。それでベッドの数は?」
「今日の昼の時点で5500万。最終的に……億には届かないだろうね。7000万。その辺りかな」
「つまり、7000万人分の
「そういうこと」
肩をすくめるフレイに滴は今さらながら、あの時のことを思い出していた。
木星軌道上に発見された巨大な小惑星の分裂が確認されたのはざっと5年ほど前のことになる。当初は大規模な天体ショーぐらいの認識だった。
その残骸が地球軌道と交差すると判明するまでは。
分裂した小惑星の総質量はほぼ月と同程度。そのほとんどが木星に吸い込まれること無く、地球に降り注ぐ。
第1群で月質量の10%程度。
その後、断続的に破砕された小惑星群が訪れ、第1波から半年ほどで月質量の70%相当の小惑星群と軌道が交差する。
想定される被害はもはや国家がどうとかいうレベルでは無く、人類の文明をいかに存続させるのかという議論になっていた。
そのことが判明したのと、トゥーンへの量子接続チャンネルが発見されたのは決して偶然などではない。
そう滴は確信している。
おそらく……トゥーンは真の意味で
一体、どれほどの知的生命体がトゥーンを作り上げたのかは定かでは無い。
だが、トゥーンを管理しているネットワークおよびその統合知性体とも言うべき存在は、あるレベルに達した文明が危機に
あとはその文明がトゥーンへ無事に待避出来るかどうかは彼ら自身の努力によるというわけだ。
その段階に達している文明だけが滅びに
そのトゥーンへ人類を送り込むにはいくつものハードルをクリアする必要があった。それがトゥーン計画の骨子であり全容だ。
まず、トゥーンへ人間の意識そのものを送り込むという実験。
これは地球側の身体を量子的不観測状態に置くことで達成された。さらに今では地球側の身体が破壊されても、その量子情報は高分子ネットワークとして保存されるため問題無く稼働する段階に進んでいる。
ただし、こうなってしまうともはや地球に戻ることは出来ないが。
次に現地に存在している文明との交渉。
トゥーンでは遺伝子の代わりに意識を保存するための結晶体に人類は依存することになる。現在のトゥーン人がそうであるように。
そして、そのためには彼らが世界樹と呼んでいるシステムが必要だ。
このシステムを
それがトゥーン計画の第2段階だ。この第2段階の当初は正規兵を送り込むプランを立てていたが、ここで横やりが入った。
大規模な地下シェルターを建造してやり過ごすプランA。現在の軍事力を総動員して迫り来る小惑星を迎撃するプランC。そして限られた人類の意識だけを避難させるプランB。
プランAやCのために現役の兵士は残らず動員されることになった。
このため、急遽立てられたのが専門の傭兵を送り込む第2次計画。
さらに複数の実験を並行して行うために計画された、犯罪者を送り込む第3次計画。
第3次計画以降は送り込む兵力は実際に避難する要人や一般人の安全性を確保するための実験も兼ねられることになった。
そして、一般人の適応力を確認する第8次計画がゲーマー部隊というわけだ。
もっともゲーマー部隊は想定外に大きな戦果をたたき出しており、次の増員が決定されている。
実際に最終試験が行われるのはその後、ということになるだろう。
「まあ、間に合うかどうかは微妙なところだね。とりあえず、来週に100名だってさ」
「100人、か。微々たるものじゃないか」
「仕方ないね。なんせ、7000万人が最大値の椅子取りゲームだ。いくら役に立つとは言ってもね。ナードにくれてやる席なんかないってのがお偉いさんたちの本音だよ」
フレイは皮肉げに
「彼らがどんな顔をするのかちょっと興味があるね。戻ってきたところで……世界が滅びるって知った時の顔をさ。1ヶ月
「何が、だからなんだい?」
「いや。君がそこの彼に
今さらというようにフレイは腹を抱えて笑い出した。
「兄に
「君も太っ腹だ、滴。赤の他人のために全財産か! ま、今さら金なんか持っていても仕方ないけどね」
「そういうことだよ。それにボクにはね。コー君しかいないからね。あとはオマケだよ。彼の家族も。まあ、これは……さすがに彼には言えないけどね」
さすがのボクもこれ以上は嫌われたくないんだよ。
そう肩をすくめる小さな少女を見て、始めてフレイは滴がまだ子供と呼んで差し支えない1人の女の子だということを実感していた。
「ま、好きにすればいいさ。あとは最終実験を待つだけだ。死刑囚を使う予定だって?」
トゥーン計画の適応実験は第8次計画をもって完了し、最終試験の第9次計画が実施される。
トゥーンに送り込んだ人間の地球側の身体を破壊するという実験が。
破壊の後もトゥーンでの生存が確認されれば、あとは選ばれた人々をポッドを経由してトゥーンに送り込むだけだ。その後、おそらくはポッドもろともに彼らの身体は天変地異によって破壊される可能性が高い。
行ったきりの片道切符。だが、それ以外に打てる手は今のところ存在しない。
「みたいだね。もう理論的には完璧なんだ。あとは……実際にこっちの身体を破壊してもトゥーンで活動できるのを確認するだけだよ。言ってみれば儀式だね。地球よ、さらば」
「かくして、地球人はトゥーン人となりにけり、か」
「そういうことさ」
滴の濁った瞳にフレイが
「ま、そんなわけで思ったより時間がないよって言いに来たんだけど。天才に死角無し。すでに問題は解決済み。そう報告しとくよ。邪魔したね」
「全くだ。さっさと消えてくれよ」
フレイの姿が消えた後、滴は彼にとって唯一の親友。彼の身体の収められたポッドを
「コー君、とりあえず静枝さんと君のご家族の切符は確保したよ。別に許してくれとは言わないから、まあこれで勘弁してくれ。ボクにはこの辺が限界だ。君の変容は可能な限り押さえ込んでいるし、君が失ったものを取り戻す手配も完了済み。もう、とっくに知っているだろうけどね。あとは……そっちで
なにしろ――近いうちにこっちの世界はヒドいことになるからね。
誰も居ない、金属製のベッドが並ぶ部屋で滴は1人語り続けた。語る言葉はやがて歌となり
星に願いを。
その日、太平洋に小さな小さな星の
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