第29話 それぞれの戦場 -後編-

 シズクが赤目赤翅との戦闘を開始したころ、セレスティーナとカミラもまた目的の場所に近づいていた。

 女王の巣室へと続いているとおぼしき吹き抜けの通路は想像よりも長く、《竜骸ドラガクロム》をかなり上昇させる必要があった。

 ようやく吹き抜けを抜けると、そこは広間と言うには小さな空洞になっていた。

 そういう風にアピスたちが穿ったのか、あるいはただの偶然かはわからないが謁見の間へと続く控え室のような印象を受ける。

 静寂が支配する空間を《竜骸ドラガクロム》の斥力ジェネレーターが発する唸りだけが静かに響く。陰々とした響きに気が滅入りかけていると、それとは別種の音がさらに奥の空間から聞こえてきた。


『何の音でしょうか?』

「……わからん。が、注意しろ」


 カミラの疑問はもっともだが、あの分岐路から先のデータは何もない。完全な手探りの中、慎重に《竜骸ドラガクロム》を奥へと進ませる。

 近づくにつれて、音はさらに大きくなり、やがてはっきりと聞き取れるようになる。その音に耳をすませていたセレスティーナは怪訝そうに顔をしかめた。


「泣き声……か、これは?」


 まるで赤ん坊の泣く声のような音だった。幾重にも幾重にも赤ん坊の泣き声にも似た奇妙な音が響いてくる。むろん、こんな場所に赤ん坊がいるはずもない。

 最大限に警戒しながら前へと進むと、おそらくは女王の巣室へと続いているであろう最後の路が見えてきた。音はその奥から――つまり、女王の巣室から聞こえてくるようだった。


「カミラ、行くぞ。どうやら女王一匹というわけにはいかなさそうだ」

『承知いたしました』


 にじり寄るような慎重さでゆっくりと進むほどに声は大きく不気味さを増していく。シズクがいればまるでタチの悪いホラー映画の登場人物になったかのように感じたに違いない。

 ふいにピタリとセレスティーナの足が止まった。


「……はは……そうか、こいつらはこんな声をあげるのか」


 乾いた笑い声がセレスティーナの口からこぼれ落ちた。皮肉なような呆れたような泣いているような、いくつもの感情が混ざり合っている。


『……お嬢……様?』


 セレスティーナに続いて空洞に足を踏み入れたカミラは眼前に広がる光景に息をのんだ。

 そこは女王の謁見室というよりも、この巣のアピスの母に相応しい育児室であり産室だった。

 巨大な縦穴の壁面には無数の横穴が穿たれ、びっしりと卵や幼虫が詰まっている。その横穴を甲斐甲斐しく行き来しているのはおそらく労働に特化したアピスだと思われた。翅はなく、鈍重そうだが力だけはありそうな姿。とても、攻撃力があるようには見えない。

 そして、幼虫たちはというと、まるでねだるような甘えるような声をあげていた。無数の幼虫があげる無数の声が重なり合い響き合って、さながら人間の赤ん坊の声のように聞こえていたのだった。

 労働型のアピスはシズクたちのことを無視して、幼虫の世話に没頭している。もしかすると、幼虫の世話の他にはまったく興味を持たないようになっているのかもしれないと、セレスティーナはどこか冷静な思考でそう考えていた。


『……悍ましい』


 ぽつりとカミラがつぶやいた。

 その一言にありったけの憎悪が込められている。あまりに濃密な怒りと敵意とがないまぜになって、カミラの《竜骸ドラガクロム》から滴っているかのような錯覚さえシズクは覚えた。


「カミラ?」


 いつにない彼女の声に思わずセレスティーナが声をかける。カミラはその声には応えずにただ、幼虫の穴の一カ所を指さした。


 そこでは労働型のアピスが幼虫に餌を与えているところだった。赤黒い塊を小さくちぎって、幼虫が食べやすいように形を整えてから穴に放り込み、また次の穴へ。


 その度に歓喜の鳴き声が幼虫から響く。無邪気な声で。


 それが何を意味するかを理解したセレスティーナは思わず、目を逸らした。

 護るべき民たちが。死んだ騎士の記憶で見たかつては民によって形作られた肉団子が幼虫たちを育てている。


 おそらくそうではないかと予想はしていたが、それでもこの光景には吐き気を覚えるほどの衝撃を受けざるを得ない。


 幼虫たちの笑い声が響く中、坑の底から無数の顎を噛み鳴らす音が聞こえてくる。

 見下ろせば、縦穴の底にアピスの群が敵意をむき出しにして待ち構えていた。

 さしずめ、女王の親衛隊と言うところだろうか。森で追い払った斥候の狩人型アピスよりも一回りは躯が大きい。

 数はおそらく百と少し。思ったよりも少ないが、通常のアピスと同じように考えるわけにはいかないだろう。女王の元へ行き着くには、あの群れを突破する必要がある。


「私が先に突入する。カミラは援護を」


 セレスティーナの声にカミラは《竜骸ドラガクロム》の武装のロックを全て解除することで応える。怪我の癒えていないカミラの《竜骸ドラガクロム》は従来の接近戦重視ではなく、中遠距離からの攻撃に特化した構成になっていた。

 必然的にセレスティーナが前衛で切り込みを受け持ち、カミラが後衛となって支援を担当するという陣形になる。

 沸き上がる戦意と若干の恐怖心を高揚感へと変えて、セレスティーナは静かに融合状態へと移行した。


『承知いたしました。今のお嬢様には無粋かとは存じますが――ご武運を。大樹の加護があらんことを』

「ありがとう、カミラ。貴女にも大樹の加護のあらんことを」


 すっと意識が針のように尖っていく。自分を含めた周囲の全てがクリアに見通せる、あの感覚。思えば、こうした戦闘に特化した意識に身を任せるのは随分と久しぶりのことだった。

 祖と融合していることもあり、かつてないほどの戦意が身体の底からわき上がってくるのを感じる。

 まずは群れの中央に一撃。

 その圧力をもって、アピス達を中央から周囲へと押しやる。欲を言えば真ん中に寄せて一気に殲滅したいところではあるが、さすがにそれをやるには味方の数が絶対的に不足している。

 その後はアピス達を殲滅しながら、女王を探す。

 おそらく、縦穴のどこかに横穴か何かで女王の巣室へと繋がっているはずだ。


「……早いところ決着をつけて、アイツの援護に回ってやらないとね」


 セレスティーナは誰に言うともなく呟いた。

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