第24話 樹の護人 -後編-

 その避難所はずいぶん、本来の村から離れた場所の森の中にしつらえられていた。《竜骸ドラガクロム》や《アジュールキャリアー》ならほんの一息の距離に過ぎないが、徒歩では三日やそこらはかかるだろう。

 それだけ離れなければならないほどに怯えていたのか、と思うと戸惑いを隠せない。そもそも樹下の民はアピスをさほど怖れないのだ。ミードを必要としない樹下の民はアピスとはその気になれば共存可能な種族だ。

 それだけに結晶人ほどアピスを敵視もしないし怖れてもいない。ただ危険性だけは重々承知しているのでテリトリーには決して近づかないが。だが、それだけだ。

 なのに――この避難所の樹下の民は心底怯えきっていた。樹下の民だけではない。結晶人も同じだ。子供はみなどこかに隠れてしまっており、セレスティーナや《竜骸ドラガクロム》の姿を見ても姿を見せようとしない。

 かろうじて、幾人かの大人たちだけが遠巻きに縋るような視線を向けてくるだけだ。

 樹下の民の村長にシズクとセレスティーナを引き合わせると、すぐにエイリンはキーヴァの手伝いへと向かった。いくらキーヴァが性格的に向いているとはいえ、はやり1人より2人の方が良いのは確かだ。


「……何があったかはわからないけど、怯え方がハンパじゃないな」

「ああ。エイリンの話を聞いたときは半信半疑だったが……これは信じざるをえないな」


 案内するうちにも周囲への計画を隠さない樹下の民の村長は、やがて半地下の小屋とも地下壕ともつかない場所へとシズクとセレスティーナを導いた。急ごしらえにしてはしっかりとした造りで、樹下の民の器用さとたくましさがよくわかる。そして、その行為に走らせる力となった恐怖についても。

 半地下なので当然なのだが、中は暗かった。空気はひんやりとしており、まるで墓穴の中に潜っていくような気分だった。温度だけではない寒さを感じ、シズクは自然と身体の震えを押さえ込む。

 灯された明かりは最小限で、暗がりに炯々と樹下の民の瞳だけがわずかな光を反射して煌めいていた。


「こちらです。騎士様方」


 細長い通路とも部屋ともつかない壕の最奥にその騎士は寝台に身を横たえていた。

 年の頃は20の半ばぐらいか。イリエナやマリアよりも少し年上。シズクの見た中では最年長の部類だろう。そして、この騎士もまた女性だった。

 2人の気配に気がついたのか、騎士がうっすらと瞼を開く。包帯と血にまみれた姿が痛々しいが、命に別状はなさそうだった。


「お嬢様……こうしてお会いするのは幾年ぶりでしたか」

「そうだな。もう数年にはなるか。が、そなたに従騎士に任じられた時のことは昨日のことのように覚えている」


 柔らかい笑みを向けながら、セレスティーナは女騎士の傍らに腰を下ろした。そっと包帯の巻かれた掌を包み込む。


「よく戦ってくれた。一族の騎士として誇りに思う」

「もったいないお言葉でございます。何のお役にも立てなかったというのに。部下たちを死地に追いやり、民たちに村を捨てさせ、恥ずかしいかぎりでございます……」

「いうな。そなたが十分に戦ったことは2人からも聞いている。よく、あの2人を送ってくれた。その2人が報せを届けなければ、私は何も知らないままだった」


 2人を見つめながら、シズクはなんとも言い知れない感情に戸惑っていた。一言で言うと疎外感とでも言うのだろうか。この2人の間には絶対に割って入れない壁のようなものを感じる。

 いや、そこに割って入ろうなどという考えこそが厚かましいというものだろう。所詮は――行きずりの異世界人にすぎない。

 そんなシズクの胸の内に気がついた、というわけではないだろうが女騎士の視線がシズクに注がれた。


「そこの殿方は? よもやお嬢様の……」

「バカを言うな。この者はシズク。私の部下というか、まあ副官のようなものだ。噂には聞き及んでいるか? 死なずの異世界人の戦士だ」


 死なずの異世界人、という言葉に女騎士が目を大きく見開いた。


「てっきり、噂だとばかり思っておりました。そんなおとぎ話のような」

「事実だ。いくらかは誇張もあるがな」

「では不死身というのは……?」

「誇張だな。不死身では無い。ただ、何度でも再生出来るというのは確かだ。シズクは私の知るだけですでに二度死んでいる」


 いやな紹介のされ方だな、と思いつつもシズクは黙って頭を下げた。寡黙な戦士を気取ったつもりはないが、さすがにどう返事をしていいか見当がつかない。


「そうでしたか。そのような者がお嬢様の護衛というのは心強く思います。戦士殿――シズクと言いましたか。私はカミラ・クリモア・ローワン。クリモアの氏族の騎士として、この地の騎士隊を任されておりました。お嬢様のこと、くれぐれもよろしく頼みます」

「あ、はい。もちろん」

「ああ。すまぬ。なにぶん、我らの作法にはとんと疎くてな。今、仕込んでいるところなのだ。不調法は許してくれ」

「そのようなこと。お嬢様が殿方と連れだって歩くというだけで、私は十分に満足でございます。それよりも……キーヴァより聞きました。ジャーガ・フォライスはアピスの先遣を危惧しておいでだと」


 ほころんでいた笑顔がふと憂いに彩られた。そのことを知っている、ということはつまり援軍も望めないということも知っているということになる。

 ほんの一瞬だけ、セレスティーナがシズクに助けを求めるような視線を向ける。シズクにはそれで十分だった。上官に代わり、シズクが口を開く。


「ええと、はい。ですので、ジャーガの立場としては万が一の備えを解くわけにはいかないと」


 援軍を派遣出来ない、と決めたのは別にシズクでもセレスティーナでもなかったが、それでも何となく言い訳がましくなってしまうのは避けられなかった。やはり、どこか後ろめたい気分が拭えない。

 だが、カミラはとくにそのことに関して問い詰める気はないようだった。


「そうですか。であればジャーガには先遣の恐れはないとお伝えください。少なくともこの度のアピスの襲来は私の知る限り、どのアピスの巣分けとも異なります。先遣であれば、少なくとも幼樹に女王を宿らせる……ということはありえません」


 アピスの社会構造は蜂や蟻に酷似しており、一体の女王がその群れの個体を全て産出している。その代償として移動力や戦闘力をほとんど有さないというのも蜂や蟻と同じだ。それ故に女王アピスは巣を定めれば一生涯をそこで暮らす。

 その女王がいるというのであれば、確かに巣分けの先遣であるとは考えられない。巣分けの目的はあくまでもより大きな群れを養うのが目的なのであって、そこに幼樹を選ぶというのは目的に反している。

 思考能力などなさそうな昆虫型の生命体であるだけに、本能的な判断力に間違いは無いはずだった。

 となれば、最悪の事態は免れた――と考えて良いのだろうか? だが、シズクとしては当然ながら楽観的な気分にはなれなかった。アピスが狙って人を襲うという異常な行動の説明がまだついていない。

 なによりもカミラの態度が、どうにも納得がいかなかった。


 先遣であれば増援は出せないというジャーガの意向を理解し、なおかつ今回の襲撃が先遣ではないと判断しているのならば援軍を求めるのが普通だ。なのに、そういった気配を彼女からまるで感じられない。

 それとも迷いアピスだから、来なくても問題ないと考えているのだろうか? それも考えづらい。アピスを無視することが出来るのはアピスがミードにしか興味を示さないという大前提があるからだ。

 その大前提は人を襲うという特異な行動でひっくり返ってしまっている。放置して良いと考える理由が無い。

 考えていても解らないものは解らない。聞くしか無い。


「あの。1つ良いですか?」

「もちろんです、戦士殿」

「その……どうして、そんなに落ち着いているんですか? というよりも、その……俺にはあなたが何か諦めきってるように見えます」


 自分の言葉で気がついた。そうだ。この笑みには見覚えがある。ある種の諦観だ。病気で亡くなった母が死ぬ間際にこんな表情で自分を見つめていたのを思い出す。あの時はそんなこともわからずに無邪気に母親が笑ってくれたことを喜んでいたのだが。

 カミラの落ち着きも、それととてもよく似ている。


「……お嬢様。良い副官をお持ちになりましたね」

「どういう意味だ? 先遣で無いならば、ただちに一族の騎士を派遣することが出来る。私はてっきり、そなたもそう考えているとばかり」

「いいえ、お嬢様。そうではございません。幼樹の守護騎士として恥ずべきことでありますが――私はこの地を放棄すべきだと考えています」

「……今、なんと?」


 セレスティーナが言葉の意味をとりあぐねて、ポカンとした表情でカミラを見つめている。シズクは何となく予想はついてはいたが、こうして言葉に出されるとやはりショックだった。


「何を馬鹿なことを。先遣で無いのであれば、騎士団は動かせる。確かにアピスの群れは先遣並に強力な群れのようだ。10名以上の騎士が犠牲になってしまったのだからな。だが、十分に数と装備を揃えれば幼樹の奪還は可能なはずだ。私にも一族にもその覚悟はある! それはお前とて、よく知っているはずではないか! なのに……カミラ。一体、どうしたというのだ? 一体、何が起こったというのだ!」

「落ち着けって。相手は怪我人なんだぞ」


 乱暴にカミラの腕を掴んだセレスティーナを慌てて、シズクが静止する。ジャーガの時も思ったが、どうにもセレスティーナは見た目や言葉遣いとは裏腹に激情的だ。これでは、ジャーガ・ノートも心配するわけだ。


「あ、ああ。すまなかった。だが、さすがに――納得できん。アピスが民を襲ったということと何か関係があるのか? それとも、お前が臆してしまうほどの群れなのか?」

「群れ……では、ありません。アレはそういう代物ではありません。もっと悍ましい何か、です」

「カミラ……それでは何もわからない」


 セレスティーナが困惑したようにカミラを見つめる。カミラ自身も自分の言葉が無力であるということは最初から解っていたのだろう。そうですね、と呟くと一歩下がって控えていた樹下の民の長にうなずいて見せた。

 長は心得たとばかりに壕に設えられた祭壇よりひと抱えほどもある木箱を取り下ろしセレスティーナに差し出す。

 中には6つの小さな灰色の結晶体が収まっていた。

 今は亡き誰かの魂の抜け殻。

 それが誰のものなのか、尋ねるまでもない。


「お嬢様。それに戦士殿。どうぞ、その目でお確かめください。この地を何が襲ったのか。そして今も、幼樹に巣くっているのかを」


 そう告げたカミラの瞳の奥には憎しみと激情とそれら全てを灰にする諦めとを見てしまったような気がして、シズクは思わず目を逸らした。

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